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【東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件】宮崎勤が落ちた瞬間|伝説の刑事「マル秘事件簿」

 警視庁捜査一課のエースとして、様々な重大事件を解決に導き、数々の警視総監賞を受賞した“伝説の刑事”と呼ばれる男がいる。
 大峯泰廣、72歳――。
 容疑者を自白に導く取り調べ術に長けた大峯は、数々の事件で特異な犯罪者たちと対峙してきた。「ロス事件(三浦和義事件)」「トリカブト保険金殺人事件」「宮崎勤事件」「地下鉄サリン事件」……。
 老境に入りつつある伝説の刑事は今、自らが対峙した数々の事件、そして犯人たちに思いを馳せている。そして、これまで語ってこなかった事件の記憶をゆっくりと語り始めた。/構成・赤石晋一郎(ジャーナリスト) 

“調べ”の極意は、魚釣りと似ている

 あれは平成元年――1989年8月9日のことだった。午前10時、都内の気温はすでに上がりはじめていた。私は八王子署の二階にある刑事課の取調室で、ある容疑者と対峙していた。

 男の名前は、宮崎勤。

 寡黙な普通の青年、というのが第一印象だった。白い長袖のシャツを、ズボンに入れずに出している。既に散々調べを受けて疲れていたのだろう。長い髪はボサボサで、顔は青白かった。時折、人の匂いを嗅ぐかのように、疑り深い目をこちらに向けてきた。

 四畳一間の取調室には重苦しい空気が流れていた。テレビドラマで描かれているそれとは違い、現実の取調室には窓もスタンドライトもない。あるのは小さな机2つと椅子だけだ。私は机を壁際に押しやり、背中が壁につくくらいの位置に宮崎を座らせた。容疑者に圧迫感を感じさせるための“調べ”の常套手段だ。

 このときはまだ、この寡黙な青年があの大事件にかかわっているとは想像もしていなかった。事件解決は、まさに「瓢箪から駒」だった。

 昭和の最後から平成にかけて発生した「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」は、4歳から7歳までの幼い少女四人が犠牲となった凄惨な事件として、多くの人々に記憶されている。
 犯人の宮崎勤(犯行当時26歳)は、1988年8月に入間市で岡本優子ちゃん(当時4歳・仮名)、10月に飯能市で石井里美ちゃん(当時7歳・仮名)、12 月に川越市で村瀬由美子ちゃん(当時4歳・仮名)、翌年6月に東京都江東区で中田奈々ちゃん(当時5歳・仮名)を相次いで誘拐・殺害。幼女の遺体を切断、焼いた遺骨を遺族に送りつけ、「今田勇子」の名で犯行声明文を出すという「劇場型犯罪」は、日本中を震撼させた。

刑事の勘が働いた

 実は、もともと私は宮崎の調べ担当ではなかった。捜査一課殺人犯捜査五係・小野田班に所属し、深川署の中田奈々ちゃん事件の指揮本部にいた。本部ではデスク主任として、捜査員の配置などを考える内勤業務が主だ。当時41歳。刑事としても脂が乗り、現場に出たくてウズウズしていた。

 7月24日、八王子署から1枚のファックスが入った。少女に対する強制わいせつで男が逮捕されたという内容だ。それが宮崎だった。八王子市内で、少女を言葉巧みに裸にして写真を撮影しているところを、警察に突き出されたのだ。

 私はこの事件に不思議と興味を持ち、調べ官に立候補した。なぜかと問われても、刑事の勘が働いたとしかいいようがない。

 そのときはまだ、宮崎が連続幼女誘拐殺人事件の犯人だという見方をする者は、警視庁内にはいなかった。死体遺棄現場近くでの目撃情報から、ホシの車はツートンカラーのカローラとされていたからだ。宮崎の愛車は紺色のラングレーで、全然違った。ただ、車内からは血痕を示すルミノール反応が出ていて、シートの下に軍手とビニール紐が隠されていた。私はそこが引っかかった。

 八王子署で宮崎と向かい合った私は、何気ない雑談を始めた。まずはやつの性癖を探ろうと思ったのだ。宮崎は「女性と交際したことがない」、「セックスをしたことがない」と明かし、さらに「僕はセックスという言葉、嫌いです」とも言った。こいつ、女にウブなんだな、と思ったのを覚えている。

 流れが変わったのは、夕方近く。宮崎の趣味である「カメラ」についてのやりとりだった。どこで撮影するのかを問うと、「有明とか……。テニスをしている人を撮ります。パンチラ撮りやすいんです」と話し出した。

 ハッとした。宮崎が言っているのは、東京・江東区の有明テニスの森公園のことだった。有明は“東雲(しののめ)”の現場から近い。こいつ、土地勘があるじゃねぇか。これはえらいことになるぞ――。

 背筋が震えた。

 岡本優子ちゃん、石井里美ちゃん、村瀬由美子ちゃんの捜査は、いずれも埼玉県警の所管。警視庁が捜査本部を設置し、大峯も参画していたのは中田奈々ちゃんの事件だ。その奈々ちゃんが誘拐された場所が東雲だったのだ。
 取調べで「黙秘権を使う」とまで言って抵抗していた宮崎は、雑談のなかで無防備に「有明」という地名を口にした。大峯のなかで点と点が繋がった瞬間だった。

「俺は全て知っているぞ」

 私は宮崎を落とすことに本腰を入れた。「パンチラ撮って何が楽しいんだ」などと雑談を続けながら、こう切り出した。

「おい宮崎、お前が今までにした悪いことを教えてくれよ?」

 普通はこんな質問をすることはない。狙いは、宮崎に犯行を意識させることだった。自分の小さな罪を挙げさせていくと、だんだんネタが尽きていく。そうすると犯人はますます本当の犯行を意識し、言動が乱れる。そこを突くのだ。

 私の質問に対し、宮崎からは「立ちションベンをした」、「車のガス欠で渋滞を起こし、迷惑をかけた」という話が出てきた。犯罪にならない行為ばかりだ。

「お前な、何か勘違いしてないか。俺が聞いているのは、お前のやった犯罪行為についてだ」

 ルミノール反応、軍手、ビニール紐、そして有明。この四つの材料から、私は宮崎が連続幼女誘拐殺人事件のホシだと、このときすでに確信していた。ビニール紐については石井里美ちゃんの事件で、足首、手首をビニール紐で縛った痕跡があったことを覚えていた。

 キーワードは揃っているものの、犯行を示す決定的証拠はない。そこで「俺は全て知っているぞ」という雰囲気を醸し出し、宮崎を追い詰めていくことにした。

――車のトランクの血は何だ。

宮崎「遊び半分で友達をトランクに入れたりして、傷ついた」

――ビニール紐は何に使うんだ。

宮崎「……友達にビデオを送るときに使った」

――友達はケガをしてないと言ってるぞ! 友達の血じゃないんだよ。

宮崎「私の家にいた職人が刃物で指を切ったことがありましたから、その血がついたかもしれません」

――辻褄が合わないんだよ。友達はお前からビデオを送られたことはないと言ってるぞ!

宮崎「……」

――なぜ嘘をついた。

宮崎「送りました」

――嘘をなぜついた?

宮崎「……トイレに行かせて下さい」

――ダメだ。なぜ嘘をついた?

宮崎はおどおどし始めた。生唾を飲み込み、小鼻がピクっと動いた。こいつは落ちるな――と感じた。

「お前は社会的に非難されるような犯罪を犯した。違うか?」

 追い打ちをかけると、宮崎は黙りこくってしまった。私は追及を止めて、じっとあいつを見つめた。

「私の話を黙って聞いてください」

 長い沈黙のあと、宮崎はそう切り出し、自らの犯行を語り始めたのだった。

 午後10時を回り、外は真っ暗になっていた。

 宮崎の自供内容は、要約すると次の通りだった。
「自分は手のひらを上に向けられないという『先天性橈尺(とうしやく)骨癒合症』という障害を持ち、周囲から馬鹿にされてきた。だから女友達もできず、交際相手もいない。大人の女性に相手にされないので、小さな女の子がいる団地や公園に行くようになった。
 その日も有明まで撮影に行ったが人がいなかった。近くの東雲に向かい、公園で女の子を探した。奈々ちゃんに『写真を撮ってあげる』と声をかけ、車に乗せた。しばらく走り、車の中で首を絞めて殺した。手、足、首を切断し、別々に捨てた」

 調べの極意は、魚釣りと似ている。「間合い」、「タイミング」、「言葉の使い方」の3つが重要だ。相手との間合いを詰めながら、タイミングを見て、「お前は犯罪を犯した」等と核心を突く。口で言うのは簡単だが、繊細なバランス感覚を必要とし、長年の経験が物を言う。

 もう一つ、調べの鉄則がある。「水をください」、「一服させてください」、「便所に行かせて下さい」という要求は一切拒否することだ。ホシは調べの緊張感からなんとか逃げ出そうとする。宮崎もそうだった。調べの途中でトイレに行かせたりすれば、気持ちが落ちつき、全てを飲み込んでしまう。

 また、刑事は相手の表情をじーっと観察しなければならない。顔が青くなるか、脂汗が出るか、言葉にどう反応するかを細かく見る。

 宮崎は何もないときは、俺の顔を見るし、態度も堂々としている。だが、痛いところを突くと、下を向いて目線を合わせなくなる。更に追い込むと、極めて小さな反応だが、小鼻がピクっと動く。その些細な様子から、仕留めるタイミングを見極めるのだ。

 結果、宮崎は落ちた。

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