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ノーベル化学賞受賞の吉野彰から若者へのメッセージ「京都から世界にET革命を」

ノーベル化学賞の受賞が決まった旭化成名誉フェローの吉野彰氏(71)。授賞式は12月10日、スウェーデンのストックホルムで開かれる。受賞理由は「リチウムイオン電池の開発」。小型軽量でありながら高出力で、くり返し充電可能な蓄電池は、携帯電話、ノートパソコンなどに搭載されてIT革命の土台を支え、世界の人々の生活スタイルを一変させた。/文・吉野 彰(旭化成名誉フェロー) 取材・構成=緑慎也

「公害問題」と「環境問題」の違いは?

 授賞式が近づいてきたので、そろそろスピーチの準備をしなければなりません。今回の受賞は、ノーベル委員会から、リチウムイオン電池は環境問題解決のために活躍せんといかんと激励されたようなものです。リチウムイオン電池が広く使われるようになっており、化石燃料が不要な社会が実現する可能性を切り開いたとして評価され、期待されて賞をいただけたのは嬉しい。受賞スピーチでは、それに対する何らかのレスポンスを示したいですね。せっかくの機会なので、世界にメッセージを出したいと考えています。

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 1972年に旭化成に入社して以来、環境問題は私にとって大きなテーマの1つです。当時の環境問題と言えば水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病などを引き起こした「公害問題」でした。「公害問題」と最近の「環境問題」は、一見似ているようで、中身はまるで違います。公害問題では、被害者と加害者を区別することができました。有害物質を垂れ流す企業と、その被害を受けて苦しむ市民という構図が明確だったのです。ところが「環境問題」と捉えると、被害者と加害者をはっきり分けられません。私たちは消費者、あるいは企業人として地球環境に悪影響を及ぼすと同時に、その報いも受けるからです。私たちは被害者であり、加害者でもある。

 私が、こういう問題を意識するようになったのは、十数年前に「サステナブル(sustainable)」という言葉を耳にしてからです。「持続可能な」と訳されますが、最初は何のことかよくわかりませんでした。しかし、この言葉は「地球環境を汚さず、資源も過剰に使わず、豊かな生活を維持できる」といった意味で、非常に重要な考え方を表しています。サステナブルな社会を築くことは、今日の中心的な課題です。

無人電気自動車とET革命

 私は近い将来登場すると予想されている無人電気自動車が、この課題の解決に大いに貢献するだろうと考えています。無人電気自動車とは、AI技術をベースとした自動運転機能によりドライバーなしで走り回る電気自動車のことです。私はこれをAIEV(Artificial Intelligence Electric Vehicle)と呼んでいます。

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電気自動車「AKXY」(旭化成広報室提供)

 すぐに思いつくAIEVの利点は、ゼロ・エミッション、すなわち二酸化炭素を排出しないことでしょう。しかしそれだけではありません。

 今、ITの世界では、各種のサービスがクラウドという形で提供されています。昔は重いソフトウェアも、データも自分のパソコンに入れて使っていました。しかし今では、クラウド上のソフトウェアやデータに直接アクセスして使うのが一般的です。今や多くの人が音楽データを自分のプレイヤーに入れずに、クラウドから逐次ダウンロードしながら再生して楽しんでいます。高速通信網が普及したからこそ可能になったシステムです。

 同じように、将来の自動車もネットワーク化され、みんなで共有できるものになるでしょう。いつでもどこでもAIEVが迎えに来てくれる定額サービスが普及すれば、車を自分で所有するニーズも減るでしょう。マイカーが減れば地球環境への負荷、交通渋滞、交通事故も減らすことができます。

 さらにAIEVは「人」だけでなく「電気」を運ぶこともできます。AIEVを「巨大な蓄電システム」として社会インフラに組みこみ、電力需給バランスの安定に活用するのです。太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギーでの発電量は、天候など自然条件に左右されます。晴天で強風なら、使い切れないほど電気が発生しますが、雨天で無風なら電気が足りなくなる。

 既存の電力に対して再生可能エネルギーの割合を増やすには、電気が余っているときに充電できて、足りないときに放電できる蓄電池が欠かせません。だからといって電気を貯めるためにコスト負担の大きい蓄電池を一般家庭の一軒一軒に設置するのはあまり得策とは言えません。

 インターネットにつながったAIEVが、あらかじめ蓄電しておいた電気を、必要な場所で、必要なときに配分する。その方が効率的です。車と電池と社会システムが一体化すれば、電気が足りなくなることも余ることもありません。発電所をたくさん作る必要もなくなります。過去にIT革命が起こったように、エネルギー分野でも革命が起こるでしょう。私はそれをET(エネルギー・テクノロジー)革命と呼んでいます。

環境問題への貢献

 これまで電気と言えば、発電所から送電網を通じて遠くから送られてくるものでした。しかし、今年、大型台風の被害により各地で停電が発生しました。電気が止まれば、冷蔵庫も、洗濯機も、エアコンも止まります。生活に深刻なダメージがあるのはもちろんですが、個人、企業にとって重要なデータが失われるリスクもあります。多くの方が停電に備えてバックアップしたり、蓄電池を設置したりしていますが、1週間以上も停電が続くと大変なことになる。しかし、もし現在の自動車がAIEVに置き換われば、発電所が1カ月程度止まっても持ちこたえられるという試算も出ています。

 環境問題へ対処しなければならないと誰しもわかっていますが、なかなか本腰を入れられません。その理由は大きく2つあります。1つは、利便性が損なわれること。環境問題の解決策の多くは、人々に我慢を強います。しかし、今より不便になるのは嫌なものです。もう1つは、経済性です。環境に優しくてもコストがかかることはしたくないわけです。

 環境問題の解決に貢献して、利便性も向上し、なおかつ低コストを実現する技術があれば、誰も文句を言いません。その点、AIEVはこの困難を一挙に解決しうる方策だと思います。

 AIEVの実現に、リチウムイオン電池が大きな役割を果たすのは間違いありません。その兆候はリチウムイオン電池に関する公開特許件数の推移を見るとよくわかります。

 リチウムイオン電池が最初に商品化されたのは1991年です。その後、特許の出願件数は少しずつ伸びていきましたが、急伸したのは95年以降。その年、ウィンドウズ95が発売され、IT革命が本格的にはじまったのが最大の要因です。携帯電話の普及も、リチウムイオン電池の市場拡大を後押ししました。

 やがてリチウムイオン電池の事業環境は落ち着き、2003年頃から特許件数も減ってきました。どんな製品の開発においても、たくさん製品を売って研究を継続できる人たちと、コストや性能で他社製品に負けて研究を断念する人たち、言いかえれば、勝ち組と負け組が次第に決まってくるものです。

 ところが、2007年以降、再び特許の出願件数が伸び始めました。その最大の要因は、車載向けのリチウムイオン電池開発の活発化です。携帯電話やノートパソコンなどモバイル端末に搭載するリチウムイオン電池の改良は進んでいましたが、車載向けに要求される性能とは違うので、新たな材料研究、技術開発が必要になる。2017年にはリチウムイオン電池の販売実績で、車載用途がモバイル端末用途を越えました。

期待される全固体電池

 自動車メーカーが望む電池性能レベルとのギャップを埋める研究は今もつづいていますが、リチウムイオン電池とは異なる蓄電池の研究も進んでいます。

 次世代の蓄電池として最も期待されているものの1つは全固体電池でしょう。リチウムイオン電池も含め、従来の電池は、その内部で行き来するイオンを溶かす電解質に液体が使われていますが、全固体電池はその名の通り、電解質に固体が使われます。液漏れのリスクがなく、小型化しやすく、高速充電も可能と言われています。

 2011年に、東京工業大学の菅野了次教授が発見した固体電解質は、1つの大きなブレイクスルーです。ただし全固体電池が量産されるレベルに達するにはもう1つ大きなブレイクスルーがほしい。

 私たちが開発したリチウムイオン電池の実用化にもいくつものブレイクスルーが必要でした。発想の原点、アイデアの土台にあったのは、日本人としてはじめてノーベル化学賞を受賞された福井謙一先生のフロンティア電子理論。私は1966年に京都大学工学部石油化学科に入学して、福井先生の愛弟子の研究室に入ったので、言わば福井先生の孫弟子にあたります。

20120706BN00028_アーカイブより

 この理論は、「物質を構成する分子が有している電子の動きをコンピュータで計算することにより物質の物性や化学反応性を予測しようという理論」で、簡単に言えば、実験なしで実験結果を予測しようとするものです。研究開発の過程でデータの解釈に迷うことは多々ありますが、そんなときいつもこの理論に助けられました。

 この理論で予測された通り、プラスチックでありながら電気を通す物質が本当に存在することを実証したのが、2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹先生です。

 1972年に旭化成に入社して、リチウムイオン電池の開発につながる研究をはじめたのは、福井先生がノーベル化学賞を受賞した1981年。このとき私が電池の負極の材料として使ったのが、白川先生が見つけた導電性ポリアセチレンでした。私の研究成果は2人のノーベル賞受賞者の業績の上に成り立っているのです。

 福井先生が1981年、その19年後の2000年に白川先生、さらにその19年後の2019年、嬉しいことに私のノーベル化学賞の受賞が決まりました。19年単位で賞が来ていることを考えると、変な話ですが、2019年に私が受賞することはあらかじめ決まっていたのかもしれません。最初からそれがわかっていたら気が楽でしたよ(笑)。

授賞式での“父”との再会

 もちろん電池は負極だけでは成り立ちません。世界ではじめてリチウムを電池の材料に使ったニューヨーク州立大学のスタンリー・ウィッティンガムさん、そして偶然同時期に、オックスフォード大学で私の負極にピッタリの正極の材料を論文で発表していたジョン・グッドイナフさん、彼の下で実験を行った水島公一さんらの成果があってはじめて実現可能になったのです。

 特にグッドイナフさんらのコバルト酸リチウムがリチウムイオン電池の正極として使えるという報告が、もし10年ほど前か後ろだったら、リチウムイオン電池は実用化しなかったかもしれませんね。正極と負極の材料の発見がほぼ同時期だったのは、本当に運がよかったと思います。

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