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益若つばささんロングインタビュー「自分のハッピーを『はいマウント』っていう言葉一つで片付けられないように」

来年デビュー20年を迎える益若つばささん。読者モデル時代は渋谷を歩くだけで人だかりができ、警察が出動するほど人気は過熱。カリスマギャルとして雑誌やテレビに登場した。しかし益若さん本人の自己イメージはそもそも「ギャル」ではなく、人気が出てからも「ギャル」に憧れ続けていたという。鈴木奈々さんやみちょぱ(池田美優)さんといった「読者モデル発タレント」の道を切り拓いた益若さんに、「ギャル」とは何か、現在の思いを聞いた。(聞き手・構成=小泉なつみ/ライター)

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益若つばささん(写真=深野未季/文藝春秋)

◆ ◆ ◆

――読者モデルとしてデビューされてから来年で20年なんですね。

益若つばささん(以下、益若) 来年37歳なんですけど、芸能界で仕事することも自分には考えられなかったことですし、しかもこの齢まで表に出る仕事を続けているなんて……本当に、すべては想定外です。

 そもそも妊娠がわかった21歳の時、きっぱり「モデルは辞めます」と言っていました。自分で言うのもあれなんですけど、当時は「ギャルのカリスマ」と呼ばれていて絶頂期でした。でも結婚したら、ファンのみんなに捨てられると思ったんです。

――読者モデルが妊娠・結婚したら読者から必要とされなくなる、と思っていたということでしょうか?

益若 飽きられて「益若つばさなんて興味ない」と思われる前に、みんなから捨てられる前に、自分から離れようと思いました。その時期に『情熱大陸』(MBS・TBS系)から取材依頼がきたんです。ただ当時は番組のことすら知らなくて、「『学校へ行こう!』には出たいけど『情熱大陸』は知らないのでいいです」と断ろうとしていました。でも周りの人に「人生の転機になるから絶対に出たほうがいい」と後押しされ、『情熱大陸』が何かわからないまま、密着取材を終えました(笑)。それから徐々に、「自分のやっていることは『仕事』なんだ」と自覚が芽生えてきた感じです。ずっと、青春の思い出づくりのノリでやってましたから。

――そもそも益若さんはなぜ「ギャル」になったのでしょうか。

益若 自分は本当に何者でもなかったんですよ。お父さんから日焼けを禁止されていたから色白だったし、当時人気のあったアルバローザ(ギャル系のブランド)は1着1万円くらいしたので高くて手が出ない。だから数百円の古着を買って着回ししてました。かといって下北系でもなければ原宿系でもない。すごく中途半端な存在だったんです。

 今でこそ多様性の時代ですけど、90年代後半から00年代前半の当時は、自分をどこかにカテゴライズして「何系の何者か」になっていないと変だったんです。

――当時は『CanCam』などのコンサバ系ファッション誌は「赤文字系」、個性的な『CUTiE』は「青文字系」といったように、女性の見た目でカテゴライズ、セグメントされていました。

益若 その中でも「ギャル」は自由を貫いていて、“男ウケ”じゃなく“自分ウケ”を目指している感じがすごく好きで、私は憧れていたんです。元気でサバサバしてて、思ったことを何でも口にする。放課後はサークルの仲間と一緒にパラパラして……みたいな。

 だけど私は踊れないし、外にいるより家でお菓子を作っているのが好きで、人の顔色を窺いながらしゃべるような性格でした。最初にスナップ写真が載ったのも、実はギャル系雑誌の『Popteen』ではなくて、正統派の『Seventeen』でした。

――ギャルとは真逆だった益若さんがどうやって「ギャルのカリスマ」になっていったのでしょう。

益若 日サロの店員になって、とりあえず見た目はギャルっぽくしてったんですよ。それとさっきも話したように中途半端だったので、とにかくどこかに属したくて。本当はお人形っぽいファッションが好きでしたが、自分の好みより、肌を黒くしたりCOCOLULU(ギャル系のブランド)の服を着たりして、ギャルとして求められるスタイルをやっていくようにしていました。

 そうこうして2年経ったくらいに、『Popteen』で2ページまるまる自分の好きなことを発信できる企画のチャンスが巡ってきたんです。で、私はその日2時間かけて19ミリのコテでグリグリに巻いた髪にリボンをつけて、赤のギンガムチェックの洋服にペロペロキャンディを持参して、「お人形みたいに撮ってください!」とお願いしました。ちょっと恥ずかしかったけど、自分の好きを「これでもか!」と詰め込んだんです。そのページが読者アンケートで1位に選ばれたんですね。当時ハガキの投票だったと思うんですけど、そのランキングが編集部に貼り出されるので、他の読モの子たちも見てるんですよね。びっくりしたしうれしかった。編集部の人たちは正直私にまったく期待していなかったみたいで、「競馬でいうと大穴だよ」と言われました。

――昔は「ギャル」というとガングロでメッシュを入れてルーズソックスで……みたいな“型”がありましたけど、今は型がなくて、けっこう自由なスタイルですよね。その源流は益若さんだったというか。

益若 姫ギャルとか、いろんなタイプのギャルが出てくるきっかけになったかもしれないですね。ただそれができたのも、ファンの人たちが「自分の好きなもの好きって言っていいよ」と教えてくれたことが大きくて。あとはギャルの子たちの影響もあります。

 私は全然自分の意見を言わないし人見知りだったこともあって、イベントの時も一人ではじっこにいて。でもギャルは自分の意見をはっきり言う子が多かったから、そういう態度が疎まれて、撮影で無視されたり、大戸屋に呼び出されて「1年後はあんたなんか雑誌から消えてる」と言われたこともありました。周りは全員敵だと思っていたこともあります。

 ただ面倒見のいいギャルもいて、「はっきり言わないのも悪い。嫌ならちゃんと自分の言葉で話しな」って言ってくれたんですよね。それまでの私はコミュニケーションを円滑にするためには自分が黙っている方がいいと思っていたので、衝撃を受けました。

 彼女たちのアドバイスのおかげで、自分の思いを周りに伝えて形にするプロデュース業もできるようになった。いいことも悪いことも、ギャルたちが教えてくれました。

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――今でこそ鈴木奈々さん、みちょぱさんなど、読者モデルが芸能界に進出することは当たり前になりましたが、その道を切り拓いたのも益若さんですよね。

益若 それまで読モは雑誌の中だけの存在だったわけですけど、私たちの時代から、それこそ当時は一般人で事務所にも入ってないのに、携帯電話のdocomoの冊子に出たり、109のポスターになったり、初代プリクラ機の時期のモデルをやるようになったりして、今まで芸能人がやっていた仕事が私たちに回ってきたんです。

――そういった仕事は、たとえば代理店から益若さんの携帯に直接連絡が入るんですか?

益若 そうです、そうです(笑)。「電通ってなんだろう?」とか思いながら電話してました。それに当時は請求書の書き方なんて知らないから、一銭ももらえなかった仕事もけっこうあります。その時は高校の延長みたいな感じで、遊びだったんですよね。自分たちが好きなものを発信すると、それが自然と世間でも流行って時代の流れになるという、不思議な時代でした。

 何に出てもギャラは1、2万でしたけど、私たちが出ることでとてつもないお金が動いている、私たちを使ってお金を稼いでる大人がいることにだんだんと気づいて(笑)。当時を振り返ると、めちゃくちゃ搾取されていたと思います。

 それに、渋谷を歩くと警察が来るほど人が押し寄せてしまうし、イベントでも来場者が多すぎて窓ガラスが割れるとか、自分が外に出ると迷惑がかかることが増えていきました。それまではずっと「頑張れ」って周りから言われたから頑張ってたのに、人気が過熱気味になると、「つばさが出てくるとトラブルになるから家を出るな」と言われてしまって。「自分って一体何なんだろう?」と迷っていた頃に妊娠がわかったんです。そこでもう、すっぱり辞めようと思ったのは、やりきった感もあったからでした。

――そんな大変なことがありつつも、時代の寵児になっていく益若さんをご家族はどんな風に見ていたのでしょうか。

益若 全然、喜んでいる感じではなくて(笑)。家族はまったく私の活動や仕事に興味ないんじゃないかな。実家は埼玉県の越谷市にあるんですけど、撮影の時は両親のどちらかが朝5時に駅まで送ってくれたんです。それでキャリーケースをガラガラ引いて渋谷まで行って、帰りはいつも終電。そんな私の過酷な生活を見ていたので、親はいつも心配して「早くやめなよ」と言っていました。全然応援されてなかったので、それが逆に「絶対売れてやる……!」という思いにつながっていたと思います。

 たぶん親は、私が何をやっていても構わないんです。幼少期から「あれはダメ、これはダメ」と言われたことはありません。言わなくても私がレールから外れる子じゃないことをわかっていたんだと思います。非行にも走らないし、反抗期もなかったので。ただとにかくファッションが好きだったので、それを応援するでも否定するでもなく、受け止めてくれていた。今思えば、そうやって干渉せずに放っておいてくれたことはありがたかったですね。

 でもお父さんは、私が『世界まる見え!テレビ特捜部』とか『笑ってコラえて!』(いずれも日本テレビ系)に出ると見てくれるんです。たぶん所ジョージさんが好きなのかなと(笑)。だからお父さんが好きな番組には率先して出させてもらいたいなと思ってます。

紹介したアイテムが片っ端から売れていくことから、「つばさ売れ」というキャッチコピーを生みだした益若さん。人気絶頂期に結婚・出産し、その後、商品プロデュースに乗り出した。手がけたつけまつげは現在、世界中で販売され、累計販売数は約1500万個を誇る。

――モデル、タレント、歌手、女優、プロデューサーなど、益若さんの仕事は多岐にわたります。一番得意なものはご自身で何だと思いますか?

益若 プロデュースが一番好きです。裏方気質というか、家でパーティーする時も飾り付けをしたり、台所にこもって料理をしている方が好きなんです。コスメから洋服、靴下、下着、生理用品……何でも屋だと思っているので、手がけた商品はかなり多いと思います。10年以上続いているブランドも多いんですよ。

――ちなみに、プロデュースした商品でもっともヒットしたアイテムは?

益若 「DOLLYWINK」というつけまつげです。これも10年以上続いているんですが、世界中で売られていて、累計販売数は約1500万個です。アメリカやヨーロッパ、アジアのドラッグストアでも「DOLLYWINK」コーナーに私の顔が使われているので、知らない間に自分の顔だけ独り歩きしている感じで。中国に行った時、「益若つばさは知らないけど、コスメコーナーにいる人なら知ってる」と言われました(笑)。タイでは女装家の方にも人気みたいです。

――自己プロデュース力を買われてプロデュース業に乗り出したのでしょうか。当時、読者モデルが商品を発売することも珍しかったですよね。

益若 あの頃は、神田うのさんがタイツとウエディングドレスをプロデュースしていたくらいで、芸能人でも商品を作っている方はそこまで多くなかったと思います。プロデュース業をやるようになったのは、子育てと仕事を両立させるためでした。事務所の人が、「子育てしながらお家にいてもできて、自分で子どもを食べさせていけるだけのスキルを養える仕事をしてもらいたい」と言ってくれたんです。それで立ち上げたのが、「CandyDoll」というコスメブランドでした。

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――バックアップ体制が素晴らしい事務所ですね。実際、子育てと仕事はどうやって両立していたのでしょうか。

益若 前の夫と別居する前は、彼と私の家族でなんとか回しつつ、テレビの現場にりおん(益若さんの子ども)も連れて行ってました。お姉ちゃんがマネージャーのように付いて来てくれて、生放送中はりおんを姉に預けて……みたいな感じです。

 別居後は、引っ越した先の目の前に幼稚園があったのでそこに入園させて、実家の家族にも住み込んでもらってフォローをお願いしていました。私一人で子育てと仕事を両立させることは不可能でしたね。特にりおんが小さい頃は本当に家族が連携して、総出で乗り切ったという感じです。

――当時は「離婚」や「シングルマザー」に対して今より風当たりが強かったのではないですか。

益若 離婚は絶対に「悪」で、「子どもがかわいそう」と言われたこともあります。それに「どっちかが悪い」みたいに、みんな白黒つけたがるんです。でも離婚は2人の関係性が変わったことで起きることなので、どっちにも原因はあるのかなって。私自身一緒に生活する中で相手の悪いところだけでなく、自分の足りない部分もたくさん浮かび上がってきました。今だったら回避できたこともあると思いますが、21歳で結婚して、うまくできなかったことがいっぱいあって。

――どんなところにすれ違いを感じていたのでしょうか。

益若 うーん、そうですね。老後に私が動けなくなったとして、果たして私の介護やサポートをしてくれるのかなと思ったことがありました。その時、老人ホームのほうがいいかもとか考え出した途端、今のうちにしっかりお金を貯めなくちゃとか、わりと真剣にライフプランを考えだしたんです。あとは私がテレビに出るようになって色々な方のお話を聞く中で視野が広がったぶん、自分の未熟さや相手との価値観の違いも浮き彫りになったかもしれません。それでも前まではいつかは再婚できたらと考えていましたが、今はしてもいいし、しなくてもいいなって思ってます。

――「再婚したい」から「してもしなくてもいい」へ、心境の変化があったんですね。

益若 法律婚をしたら子どもの名字が変わりますよね。それも悩みますし、そもそもこの後一生、ひとりの人を愛し続けるって、人生100年時代にかなり無理なんじゃないかと周りと話します。芸能人はよく離婚すると思うかもしれないですけど、周りの人たちを見ていると、そもそも失敗しやすいと思うんですよ。交際をオープンにできないから旅行もデートもほとんどできません。相手が店員さんにどんな対応をするか、知らない土地に来たらどんな振る舞いをするか、何にも知らないまま密室デートを繰り返して、一回も一緒に外へ出ずに結婚しちゃうことだってあるようなもの。それは、うまくいかないことがあっても仕方ないですよね。「結婚は最低でも3回するのが当たり前」みたいな時代が来るかもしれません(笑)。

――益若さんはプライベートをオープンにされていますが、海外だと授賞式にパートナーと出席したりして、交際がタブーという感覚はなさそうですよね。

益若 私は読者モデル出身で芸能人という意識もないから、自分を出すのが当たり前だと思ってたんですよ。それに恋愛は犯罪じゃないですよね。好きな人を好きと言うことの何が悪いのかわからないんです。あと、私が誰と付き合っていようと、「益若つばさ」という商品としての価値は変わらないとも思ってて。たとえばある俳優に恋人がいても、その人の演技の素晴らしさは変わらないと思う。それと同じようなことじゃないですか?

「指輪をどの指につけているか」だけで報道されることもあります。でも人によっては、その指輪がその時しっくりくる指につけているだけで。そういう他人の一つひとつの行動に一喜一憂する人がいること自体、すごく不思議です。プライベートが充実していたら仕事もいいパフォーマンスが発揮できるでしょうし、人から見ればあきれるような恋愛をして失敗したとしても、私はその人の仕事ぶりとは直結させないですね。

 海外では好きな芸能人が結婚しようが離婚しようが子どもがいようが、「あなたの作品が好き」とか「あなた自身が好き」みたいな感じだと思っています。日本もそうなってくれたらもっとみんなハッピーになれるのに、と思います。だから私はどこでも、彼がいたら一緒に出かけてますよ。撮られるのは嫌ですけどね(笑)。

避妊リング「ミレーナ」についてYouTubeで公表し話題を呼んだ益若さん。その後も生理について発信するなど、益若さん流「性教育」が広がりを見せている。数年前に友人から、「最近“益若つばさ”が薄まってきてるよね」と言われたことで、“気づき”があったという。

――読者モデル出身ゆえにプライベートを隠す意識がなかったというお話でしたが、芸能界という違うフィールドでは周囲の反応もさまざまにありそうです。

益若 ちょっとさらけ出しすぎてしまったかもしれませんね(笑)。読者モデル時代は好きなものは好きと言ってたし、「こんなことがあった。つらい」と素直に何でも話してたのに、今それをSNSで発信すると、「かまってちゃんなの?」「承認欲求強め」と受け取られてしまう。「この芸能の仕事はどうやらプライベートの出し方に気をつけないといけないらしい」と気がついて、一時、普段の自分を出さないようにしていたこともありました。

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――益若さんをはじめ、メディアに出ている方はプライベートの出し方を考えざるを得ないですよね。お子さんのこともあります。

益若 ただそうやってパートナーや友だちと一緒に見たもの、食べたもの、その時に感じた気持ちとかを隠していくと、自分の好きなものをどんどん発信できなくなってしまうんですよね。最近「匂わせ」とか言いますけど、「この食事ってあの人と一緒だよね」と言われるのを想定して発信の中身を全て制限してしまうと、“自分”がどんどん薄っぺらくなってしまう感覚がありました。

 そんな時期、友達に「最近“益若つばさ”が薄まってきてるよね」と言われてハッとしたんです。自分を押し殺した結果、私はファンをないがしろにしていたなと思いました。それからは本を出したりYouTubeを始めたりして、読モ時代のように自分をもっと出していこうと思って今に至ります。

――益若さんのYouTubeと言えば、避妊リングの「ミレーナ」を入れたことを明かされたり、生理の話題を展開するなど、話題になっています。

益若 避妊リングの話をしたら間違いなく炎上すると思っていました。それにLINEニュースにもなるだろうなとも思っていて、実際、動画を多くの方が見てくださったようです。ありがたいことに、自分で発信したことについて、ネットニュースになるような場所に今、私はいさせてもらっています。これまではその影響力を自分が好きなヘアメイクやファッションの分野で使っていました。でも今は「今日の髪型」じゃなくて、知識とか教養になることを発信できたらなと思っているんです。そう考えるようになったのは、子どもが中学生になって思春期に入ったことが大きいかもしれません。

 動画に上げている生理や避妊リングのことも、専門家である産婦人科医の方ではなく“益若つばさ”が話すことで、みんなの会話にのぼりやすくなるなと思ったんです。正直、私がミレーナを入れたというのはあまりどうでもいいことで、避妊リングの存在を知ってもらうきっかけにしたかった。そういう意味で、私は「お題提供の人」でいたいんです。

 それを知りたての人が発信してもいいし、知識が足りないから言っちゃいけない、なんてことはないと思います。「しっかりお勉強してから来てくださいね」的な言葉は議論を活発にするのではなく、相手を黙らせてしまうだけだと思います。

――バッシングや炎上はこわくないですか。

益若 こわいです。めちゃくちゃこわいです。お題提供者としてはたとえばヤフトピに載せてもらうって最高ですけど、一方でヤフコメで叩かれもします。LINEニュースも文春も、正直、メディアに出るのは全部覚悟がいります。ただ取り上げてもらうことで、たとえば性教育が進む場面もあると思うので、本当にその狭間で悩みながらやっています。

――みちょぱさんや藤田ニコルさんといったギャル系タレントの方は、バラエティ番組などで、ご意見番というかコメンテーター的な立ち位置になることも多いですね。

益若 私自身は「ギャル」や「シングルマザー」を代表しているつもりもないし、代弁者になりたくないんです。それにコメンテーターとして呼ばれたとしても、人や事件について白黒つけるようなジャッジもしたくなくて。

 友達のケンカの仲裁で話を聞くと、聞く人によって全然印象が違うみたいなことってありますよね。Aさんから聞いたらAさんが被害者に思えるけど、Bさんから聞くとAさんは完全に加害者みたいなことはよくあることだと思うので、だったらどっちの背景もわかった上で、考えて発言したいんです。

 でもテレビはどっちつかずの、歯切れの悪い発言は好まれません。「嫌い」「ダサい」「ダメ」と、一言でバッサリ言い切る表現がウケるんです。私も仕事と割り切ってコメントしていたこともありました。でも言った後はめちゃくちゃ自分自身だって傷つきましたし、後悔したんです。だからわかりにくかったりまどろっこしかったとしても、今は自分なりの言葉で話すようにしています。

――ちょっとした失敗や間違いも許されない、SNSの息苦しい雰囲気も気になります。

益若 今は「常識」を求めすぎてるから、一回でも失敗した人を、周りが立ち上がれなくなるまで叩きますよね。このままの世界線が続いていくのは本当にこわいし、才能のある人が出てこなくなってしまう気がします。

 それにすごくハッピーなことをSNSでつぶやいても、「はい、マウント」と言われることもある。例えば日本だと、「うちの子ってほんとに天才で、この前もテスト100点取ったの」っていう言い方しないですよね。むしろ周りからポジティブな反応が得られないことを見越した上で、「うちの子たまたま100点取ったけど、ほんとにただの偶然」と書く方が正解みたいになっている。

 でも子どもからしたら頑張りを否定されたように感じるでしょうし、そもそも、素敵なものを素敵と言えない文化はしんどいです。自分のハッピーを「はい、マウント」っていう言葉一つで片付けられないようにしたいし、みんなも、好きな人たちとの時間や幸せを変に隠したりせず、自然に過ごして健康的にやっていけたらいいですよね。

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(写真=深野未季/文藝春秋)

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