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寂聴と晴美(上)剃髪秘話 下重暁子
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寂聴と晴美(上)剃髪秘話 下重暁子

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「わが作品にうながされ」……得度の手記を読んだ私は、興奮がおさまらなかった。/文・下重暁子(作家)

下重さん

下重さん

「内密の頼みがある」

1973(昭和48)年11月14日、早朝、私はテレビ朝日「モーニングショー」プロデューサーの小田久栄門さんに呼び出された。水曜日だから、確か私も時々ゲスト出演していた、大島渚の「女の学校」のコーナーがある日だった。

「頼みたいことがあるから少し早めに……」という言葉に、一瞬何事だろうとは思ったが、ともかく仕事だから30分ほど早めに迎えに来た車に乗った。

「奈良和モーニングショー」は8時半から9時半までの生番組。いつもは7時集合で打ち合わせをする。テレビ朝日は私の住まいから近く、車で10分ほど。6時40分頃には到着した。六本木ヒルズなど高層ビルができる前の旧館一階のガラス窓に、すでに小田久栄門さんの姿があった。

自動ドアが開くやいなや、私の腕を取って誰もいない部屋の片隅に連れていかれた。

「内密で頼みがある。瀬戸内晴美さんが今朝、剃髪して尼になる。得度式は10時。その前にモーニングショーの中で瀬戸内さんから預かった手記を読んで欲しい。公表されるのは初めてだ。決して口外しないように」

小田さんの言葉には説得力がある。多弁ではないが、否も応もなく命令に従わざるを得ないような。

私の手に数枚の手書きの原稿が渡された。そして朗読やナレーションをするための狭いブースに閉じ込められた。

その頃、みちのく平泉の中尊寺のまわりには、噂を聞きつけたマスコミが多く集まって瀬戸内さんの居場所を探していた。どこから情報が漏れたのか。テレビもラジオ、新聞、雑誌、どれも確かなことは知らなかった。

そこへ朝8時半過ぎからテレビ朝日の番組中に流れた手記の朗読。多くの人が驚いたろう。それを読んだのが私だった。

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瀬戸内寂聴さん

まるで自分が剃髪したかのような

なぜ小田久栄門さんは、知っていたか。

小田さんは剛腕のプロデューサーで、テレビ朝日の看板番組だった「木島則夫モーニングショー」の後、一時低迷したモーニングショーを立て直した人物である。その後、久米宏の「ニュースステーション」をはじめ、「朝まで生テレビ!」などテレビ朝日に報道番組を定着させ、今の民放の報道情報番組の基礎を作ったことでも知られている。当時はまだ一時間番組がほとんどであった。

「私をテレビに初めてひっぱり出したのは小田さんでした。作家がテレビに出るなんて思いもよらなかったのに、熱心に粘られました」(『週刊新潮』2014年11月13日号)

と、小田さんの「墓碑銘」で瀬戸内さんが語っているように、女の作家をはじめ、「女の学校」という身の上相談コーナーに大島渚監督を連れてきたり、時期に合った人に目をつけ、番組に登場させた。その勘の良さ、テレビの“今”のとらえ方は見事で、出演者の信頼も厚かった。とくに瀬戸内さんとは親しく、マスコミで最初に手記を託すほど信頼していても不思議はない。

私の記憶では、当時の出演者は、瀬戸内さんをはじめ宮尾登美子さん、澤地久枝さん、俵萠子さん、樋口恵子さん、吉武輝子さん、小沢遼子さん、木元教子さんなど錚々たるメンバーで、そのうちの一人に大宅壮一夫人の大宅昌さんもいた。私は30代。少しばかりものを書き始めた頃で、メンバーの1人として隅で小さくなっていた。その時が瀬戸内さんとの初対面だったと思う。

NHKでアナウンサーだった頃、朗読やナレーションもよくやっていたから、私に白羽の矢が立ったのだろう。

渡された原稿を一度下読みしただけで時間になり、事の重大さはわかるので緊張はしたが、できるだけ淡々と読むことを心がけた。

のちに瀬戸内さん自身がマスコミ向けに公表した手記とは少し違っていたように思うが、そこに至るまでの経緯や心の変遷などについては詳しく書かれてはなく、事実だけが綴られていたはずだ。そんなに長い文章ではなかった。

読み終えるとすぐ、手記を小田さんに取り上げられて私は車に乗って自宅に戻った。いや、戻らされた。

あの手記を読んだのが私だということを知っているのは、今は亡き小田さんとその時スタジオでナマで聞いていたモーニングショーのスタッフぐらいだろう。いや、私の声をよく知らない人にはわからなかったろうし、番組の中でも誰が読んだかは明らかにされなかったはずだ。おかげで、私がマスコミに追われることもなかったし、各社とも自社の取材に必死だったはずだ。

ただ私だけが、まるで自分が剃髪でもしたかのように、興奮がおさまらなかった。少なくとも、得度式に参加していたかのような当事者意識が、しばらくは消えなかった。

最近まで、私はこの話を人にしたことがなかった。小田さんから口止めされたことが尾を引いたわけでもなく、なんとなく「寂聴」さんの誕生を真っ先に私が知っていたのを口にすることが憚られた。

寂聴さんにもその話をしたことはない。小田さんが、私が読んだことを伝えたかどうかも知らないし、もし知っていたとしても、50年も前のこと。寂聴さんが忘れていても不思議ではない。

その後も仕事やパーティなどでお目にかかることは度々あったが、その話はしなかった。

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出家する前

「わが作品にうながされ」

11月9日、99歳で他界されて、あの時に思いを馳せる。51歳。ちょうど人生の半ば、なぜ瀬戸内さんは寂聴と名を変えて得度したのか。私なりに考えてみた。

紅葉燃ゆ 旅立つ朝の 空や寂

その日、寂聴さんが詠んだ俳句である。

マスコミをはじめ友人知人に配られた挨拶状には、今までつきあいのあったことへの感謝と共に、こう記されていた。

「……いつとはなくわが作品にうながされ、ひそかに出離の想いを抱きつづけるようになっていました」

私が読んだ手記にも「わが作品にうながされ……」の一文があったように記憶している。ということは、瀬戸内さんの作品のひとつひとつが、いわゆるフィクションとしての小説ではなく、自分自身の体験とぴったり重なり合うことを意味している。

彼女の生まれ育った環境も、奇しくも仏具店ということで、普通の人よりは見様見真似で仏の道に近いものがあり、慣れ親しんでいたかもしれない。

少女時代に読み耽った日本の古典、とくに平安時代の源氏物語をはじめとする作品の女人の多くは、源氏が憧れ続けた藤壺も、源氏の愛を拒み続けた空蝉も、みな最後は尼となる。平家物語でも、建礼門院をはじめとする残された女人達。寂聴さんが開いた寂庵にほど近い嵯峨野の祇王寺などは、妓王、妓女の姉妹をはじめ、彼女たちから平清盛の愛を奪った仏御前まで、最後は尼となって共に暮らした因縁の地だ。祇王寺で尼になった元芸妓の智照尼をモデルに『女徳』という小説まで書いている。

素地は十分にある。意識するしないにかかわらず、寂聴さんの心の底に尼という生き方があることが刷り込まれていたことは疑いがない。

突然思いついたわけでも、遠い世界の出来事でもない、身近な親しさがあったに違いない。

とはいえ、その世界に我が身を投じることと、夢想していることの差はあまりにも大きい。その深い溝をどうやって飛び越えたのか。

「わが作品にうながされ」とあるからには、その作品に戻るしかない。

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生真面目すぎた愛のゆくえ

私が最初に読んだ作品は『夏の終り』であった。この作品で1963年に中央公論社の女流文学賞を受けて、文壇で認められた。その頃『婦人公論』をとっていたので、女流文学賞は毎回必ず読んでいた。私は当時NHKのアナウンサーだったが、瀬戸内晴美という人は、なんと自分に忠実で真面目なのかと驚かされた。

『夏の終り』は、同人誌『文学者』で丹羽文雄の弟子となり、同じ門下の小田仁二郎と同棲を始め、同時に若いかつての愛人との仲が再燃した中で、みずから結末をつけるまでが綴られている。

瀬戸内さんの小説といえば、実生活を含めて、男女の愛における奔放さ、自由さが語られるが、私には、その律儀でひたむきな真面目さが印象にある。

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文学の師の丹羽文雄

小田仁二郎には作中の慎吾と同じく妻子があり、それを承知の上でやむにやまれず深い仲になり、彼はきっちり妻子の許と主人公の知子の許を行き来する。正月や盆、行事のある時は、「〇日に来る」と言って自宅へ帰っていく。その空白の虚しさ。しかし知子はそれに一言も文句を言わない。「むこう」「あちら」などという呼び方で、存在を認めている。

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