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旬選ジャーナル<目利きが選ぶ一押しニュース>|北野新太

【一押しNEWS】感想戦は過ちから学ぶためにある/7月18日、朝日新聞朝刊社説

旬選ジャーナル1、筆者写真

北野新太(報知新聞記者)

ふと立ち止まって見つめてみると、不思議な3文字にも思えてくる。感想戦。日常的な単語「感想」の後に突然、勝負の世界ならではの「戦」が続く。古くからの将棋用語だが、藤井聡太棋聖の関連報道で初めて目にした人もいるだろう。

感想戦とは、勝負を終えた両対局者が互いに1局を振り返り、別の指し手の可能性などを学び合うことで棋力向上に役立てるための儀式である。他の競技ではちょっと考えられない習慣とも言える。「6回裏の第3打席でカウント2ボール1ストライクの時、何を待ってたの?」「外角低めのスライダーです。まさしく打った球ですよ」「参ったね。内角高めの直球を投げるべきだった」「ストレートなら絶対打てませんでしたよ」。以上の会話を、巨人の投手と阪神の打者がナイター終了後の甲子園球場で交わすようなものである。

読んでいる手の多さや深さを相互に理解するため、力の差が暴露される時間にもなる。知識や技術を隠すことなど皆無、とは言えないが、頂点を争う者たちは小細工を嫌う。そして、今を超える何かを常に探している。

6月8日の史上最年少タイトル挑戦から7月16日の獲得に至るまで、藤井棋聖を追う報道は過熱した。「対局中の出前やおやつは何?」という興味は正直あまりないが、私も将棋担当記者としてあらゆるネタを探し回って書き続けた。

新棋聖誕生の2日後に掲載された本稿は、一連のニュースの中で感想戦を主題にして書かれた唯一の記事だった。故に、なるほどと膝を打つものがあった。

筆者は、新棋聖の好きな言葉を「感想戦は敗者のためにある」と紹介している。さらには「負けたり失敗したりした時、人はしばしば、ただ落ち込む。あるいは、ごまかす、言い訳を考える、忘れようとする。逆にうまくいった時には、都合のいいことだけを記憶に残して、途中の過ちにはふたをする。熟慮や対話を通じて自らを相対化する営みが敬遠されがちな現代。将棋界が長い年月をかけて育んできた感想戦の文化から、学ぶべきことは多い」と書き、我々が生きる日常を「感想戦のない世界」として描いている。挙げられた6つの過失を日々繰り返している私には妙に身につまされるものがあった。なんだ、自分に必要だったのは感想戦だったのではないか、などと。少々大袈裟かもしれないけれど。

ちなみに、感想戦は棋士の義務ではない。やりたくなければやらなくてもいいのだが、大抵はみんなやる。時間制限もないから、いつまででもやれる。1986年8月、当時15歳の羽生善治四段が現役最年長、当時74歳の小堀清一九段と戦った順位戦はよく知られている。

同25日午前10時に始まった対局は26日午前0時33分に羽生の勝利で終わった。そして、同時に始まった感想戦はなんと午前9時30分頃まで続いた。翌年引退することになる明治生まれの老棋士は、これから時代を築いていくであろう少年と将棋について語り合う時間を1秒でも長く味わおうとしたのだ。「半分寝ながら、気付いたら朝でした」。あの日の記憶について語る時、羽生はいつも嬉しそうな顔をする。

感想戦の機微に触れるのは、始まる瞬間である。負けた側から声を発するのが暗黙のルールになっている。激闘の後に終局した将棋では、5分以上も無言のままでいることもある。至近距離で向かい合いながら、何時間も、時には2日間にわたって一度も言葉を交わさなかった勝者に対し、敗者が何かを語り始める。口元には自嘲の微笑が浮かんでいる。あの瞬間を、私はとても美しいと思っている。

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