
Photo by
minaboh
マウスを握った手|萩原健太
スキ
9
著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、萩原健太さん(音楽評論家)です。
父は判事だった。裁判官。「じゃ、お父さん、厳しかった?」とよく訊かれる。確かに。厳格というほどではないが、何事にも理詰めに、真面目に接する男ではあったけれど。ぼくたち家族に対しては、柔軟なユーモア感覚も持ち合わせた、話のわかるやさしい父親だった。好奇心も探究心も旺盛で、よく自室にこもっては様々な分野の興味深い事柄について勉強していた。ずいぶんと叱られもしたが、多くを教わりもした。グレアム・グリーンのこと、司馬遼太郎のこと、黒澤明のこと、長嶋茂雄のこと……。
ただ、重要な判決の時期が迫ると父の周りに少し近寄りがたい空気が流れた。ぼくが学生だった70年代半ば、父は千葉大チフス事件や成田闘争関連の公判などを担当。そんな時は自宅にも少なからず緊張感が漂った。子供心にもわかった。父に声をかけづらかった。そんな事情もあって、もしかしたら父とのスキンシップは普通の家庭より少なめだったかも。そう思い込んでいた。キャッチボールや肩車の記憶もなくはないが、あまりベタベタ甘えたことはなかったような。父と息子なんてそんなもの? 手をつないでもらったこととかあったっけ?
月刊誌『文藝春秋』の特集記事を中心に幅広いテーマの記事を配信しています。政治家や経営者のインタビュー、芸能人の対談、作家のエッセイ、渾身の調査報道、一流作家の連載小説、心揺さぶるノンフィクション……月額900円でビジネスにも役立つ幅広い「教養」が身につきます。
月刊誌『文藝春秋』の特集記事を中心に、一流の作家や知識人による記事・論考を毎日配信。執筆陣のオンラインイベントも毎月開催中。月額900円で記事読み放題&イベント見放題のサービスです。