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狂乱物価「悪夢のシナリオ」渡辺努(東京大学大学院教授)
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狂乱物価「悪夢のシナリオ」渡辺努(東京大学大学院教授)

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真に警戒すべきは、原油高、ウクライナ侵攻ではない。/文・渡辺努(東京大学大学院教授)

物価上昇に拍車がかかっている

昨年後半から、ガソリンや食品を中心に、値上げラッシュが日本で起きていることは、皆さんも実感しているでしょう。

商品やサービス価格が継続して上がっていく状態をインフレ(インフレーション)といいます。日本はまだそこまでいっていませんが、世界各国ではインフレが起きています。

3月のアメリカの物価上昇率は前年比8.5%。ドイツは7.6%。英国も7%と、どれも歴史的に高い伸び率で、そこへロシアのウクライナ侵攻の影響も加わり、物価上昇に拍車がかかっている状況です。

このまま値上げラッシュが続けば、日本でも海外のような大幅なインフレが起きるのではないか……。そんな不安を抱かれる読者の皆さんも少なくないと思います。

またウクライナ侵攻をみて、1974年の第4次中東戦争によるオイルショックと、前年比で23%も物価が上昇した「狂乱物価」を思い起こした方もいるかもしれません。

そこで物価の研究を専門とする立場から、今後、考えられるシナリオを検討していきたいと思います。

私は17年間の日本銀行勤務を経て、現在は大学で経済学を研究しています。クレジットカードの購買記録やスーパーのPOSデータを利用して、リアルタイムで物価を観察する新たな物価指数や、消費動向の分析モデルを開発してきました。

これから紹介するシナリオも実際の物価の動きを踏まえたものですが、まずは現状認識からはじめましょう。600品目のモノ・サービスの価格について昨年2月と今年2月を比較したところ、2つの事実が読み取れます。

ひとつは、ガソリンや電力などエネルギー関連の価格が、20%を超す勢いで上がっていること。これは海外発のインフレが国境を越えて侵入しているからです。これを「急性インフレ」と呼ぶことにします。

もう1つの注目点は、私たちが日常的に購入しているモノ・サービスのうち、約4割がインフレ率ゼロ近辺にあるということです。

インフレとは逆に、価格が継続して低下していくことをデフレ(デフレーション)といいます。日本では価格が激しく落ちるという意味でのデフレは起きていません。その代わりに、前年比がゼロまたは小幅なマイナスという状況が、金融危機が起きた90年代後半から現在まで続いています。これが日本の「慢性デフレ」です。

この2つの事実が示しているのは、パンデミック前から続いている「慢性デフレ」を克服できないうちに、海外から「急性インフレ」が日本へ押し寄せてきている、ということです。日本経済は2つの病に同時に苦しめられているのです。

欧米各国は基本的に急性インフレの治療に専念すればいいのですが、日本は違います。そこに今後の経済運営の難しさがあるのです。

何が狂乱物価を招いたのか

では、こうした現状を踏まえて、これから起こりうるシナリオを検討していきましょう。現時点で可能性が高いと私が見ているのは、「いまの物価高は一時的なもので、若干の上昇はあっても、1年ほどかけて落ち着くだろう」というものです。

これを聞いて、「今まさに急性インフレが日本を襲っているではないか」と、疑問に思う方もいるでしょう。ところが一部の価格が上がったとしても、それがモノ・サービス全般に広がらなければ、インフレにはなりません。

74年のオイルショックのときは国際原油価格が3ヶ月で約4倍になり、国内の石油関連商品も大幅に値上がりしました。このとき前年比で23%も物価が上昇。ときの福田赳夫大蔵大臣は、このインフレを「狂乱物価」と命名しました。

しかし狂乱物価の原因はオイルショックではないことが、その後の研究で明らかにされています。

このインフレの原因は貨幣の供給過剰でした。当時、列島改造論を掲げた田中角栄政権が大規模な財政支出をしていました。加えて、固定相場制から変動相場制に移行したばかりでしたので、円高に備え、日銀はドルを買って円を市中に大量放出していたのです。

貨幣が世の中にあふれると、どうしても魅力は落ちてしまいます。価格とは貨幣と個々のモノ・サービスとの交換比率ですから、貨幣の魅力が落ちると、交換できるモノ・サービスが目減りする。これを逆からみるとモノ・サービスの価格、すなわち物価が上がるということなのです。

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海外ではインフレ進行中

小まめな節約が大きな効果

貨幣があふれているとインフレを引き起こすという点は、後ほど改めて触れることにして、シナリオの検討へ話を戻しましょう。

なぜ物価高は落ち着くとみているのか。それは消費者に「逃げ道」があるからです。たとえばガソリン代が上がっているので週末のドライブを控える。こうした小幅な需要減も、積み重なれば大きなインパクトになります。車を使わざるをえない地域であれば、ガソリン以外の商品の購入を少しずつ減らす。

またPOSデータを分析したところ、パンやパスタなどの小麦製品が値上がりしているので、米食に切り替える動きが見えます。

また、同じパンやパスタであっても、値上げされた商品を避ける購買行動も目につきます。これまで選んでいたナショナルブランドの商品の購入を減らし、スーパーのプライベートブランド(PB)のような比較的、安い商品を買っている。

当然ながら、こうした消費者の購買行動には小売店側も敏感です。値上げの報道が相ついだ3月末、流通大手イオンの店舗に、こんなポスターが貼られました。

「今こそ企業努力が必要な時と考えます。トップバリュは、食料品・日用品 約5000品目の価格を本年6月30日まで値上げしません」

昨年からPB「トップバリュ」の価格を値上げせずに据え置きしていたが、その期間を延長するというのです。やはり大手の西友も同じように発表しています。

食品値上げのニュースが相次いでいるわりに、食品という品目全体で値上げ傾向が見られないのは、こうした消費者の購買行動が、値上げの波及を防いでいるからです。

ガソリンや電気・ガスなどのエネルギー関連は、代替することが容易ではないので節約に努める。食品では価格の安いものを選ぶ。こうした小まめな生活防衛術が積み重なることによって、一部の商品の値上がりを、かなりの程度、相殺できるのです。79年の第2次オイルショックでも、石油の国際価格が2倍に引き上げられましたが、このときも小まめな節約の結果、日本はそれを乗り切っています。

近年では2008年のケースが参考になります。このときも穀物価格が上昇した影響で、年初から物価が上昇しました。ところが同年7月のプラス2.3%をピークに縮小し、翌年1月にはゼロ%になっています。約1年かけて、値上げが飲みこまれたのです。

輸入物価の上昇分は、かなりの部分を企業が吸収して、残りは小幅な値上げ、ステルス値上げ(分量を減らした実質的な値上げ)という形で消費者が負担する。この痛み分けのような形で、海外発の急性インフレが吸収される。これが私の想定しているシナリオです。

根強い「値上げ嫌い」

輸入している原材料費などのコストが高くなっているのに、企業が値上げせず価格を据え置くのは、日本の消費者の間に根強い「値上げ嫌い」があるからです。

日本の消費者は、いつもの店で、いつもの商品が値上げされていた場合は、別の店へ足を運びます。他ではこれまでと同じ値段で売っているだろうと予想するからです。これを専門用語では「消費者のインフレ予想が低い」と表現します。

値上げ嫌いの背景にあるのは、読者の皆さんが想像するとおり、多くの企業で給与が上がっていないからです。だから消費者は値上げには耐えられないし、企業は客離れが怖くて価格を据え置かざるをえない。

この値上げ嫌い、据え置き慣行をもたらす「慢性デフレ」は、経済にとって大きなマイナスです。

19年もの長きにわたってアメリカの金融政策をつかさどり、「マエストロ(巨匠)」と賞賛されたFED(連邦準備制度)の元議長グリーンスパンは、こう言いました。

「デフレが社会に定着すると、少しの値上げでも顧客が逃げてしまうのではと企業は恐れるようになり、原価が上昇しても企業は価格に転嫁できない状況になる。これが価格支配力の喪失で、そうした企業は前に進む活力を失ってしまう」

しかし、急性インフレに襲われている現在であれば、消費者の根強い値上げ嫌いと、それに呼応する企業の価格据え置き慣行は、物価上昇を阻止し、インフレを回避する方向に働く公算が強いのです。

円安は不安要因

とはいえ油断はできません。さらに物価が押し上げられることで、前述のシナリオが崩れてしまう可能性があるからです。

さらなる物価上昇の材料の一つがいま進行している急激な円安です。

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