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森絵都さんが今月買った10冊の本

遠いどこかの話

緊急事態宣言の発出後、都内では多くの書店がコロナ対策のために休業し、大変なことになっている。営業が再開されたら、給付金10万円はぜんぶ本に使おう。そう胸に期し、とりあえず買い溜めてあった本を捲りつづける日々だったが、これが、なかなか頭に入ってこない。小説より奇なる現実に翻弄されて読書に集中できない。暇しているはずの世間の人たちがあんまり本を読んでくれない理由がなんだかわかる。が、それでもこつこつ読み進めるにつれ、比較的読みやすい本の傾向が見えてきた。遠いどこかの話がいいみたいだ。今の日常と地続きではない異世界の話。

その異世界度が極めて高かった『バッタを倒しにアフリカへ』は、サバクトビバッタの生態を研究すべくモーリタニアへ渡った新人昆虫博士の奮闘を綴ったノンフィクション本だ。コロナ禍の裏でバッタの大量発生が世界を脅かしている今、「まずは敵(バッタ)を知るべし」と自分に活を入れて手に取ったのだが、そんな力みを一掃してくれる面白さだった。大胆にして繊細な「研究者」という生態。意外な砂漠豆知識の数々。底なしに人が良い(が、やっぱりズルい輩もいる)モーリタニアの人々。私にはとても食べられそうにないけれどありがたみは伝わってくるヤギ料理。見知らぬ風景に圧倒されながら読み終えた後、「このような人々の営みを害するバッタは本当にどうにかしなければ」と、他人事ではない危機感が湧いてきた。異世界に触れるとはそういうことだと思う。

〈(本文340頁より)貴様を追うばかりに、私がどんな目に遭ってきたのか知っているのか。どれだけの犠牲を払い、どれだけの辱(はずかし)めを受けてきたことか。黒い雲と化した悪魔の群れは、私を嘲(あざわら)うかのごとく飛び去っていく〉

所変わって韓国の高校を舞台にした『保健室のアン・ウニョン先生』は、一風変わった短篇連作集である。養護教諭の主人公ウニョンには「死者も生者も放っている微細な、まだ立証されていない粒子の凝集体(きなり色のゼリーみたいな)」を肉眼で捉える能力がある。よって、若者の集う高校は彼女にとってエロエロゼリーの温床なのだが、エロは仕方がないにしても、もっと厄介で邪悪な何かと出くわすたびに、ウニョンはおもちゃの銃でそれを撃退するのである。

なんだそりゃ、と思われるかもしれないが、人をおちょくったようなこのストーリーの底には、社会を歪ませるものに対する本気の闘志が横たわっていて、読み進めるほど笑うに笑えなくなっていく。財閥の権力、ブラック企業、学歴主義――本書の背景にある韓国社会は闇深い。そこに小さな光の穴を穿つが如く、あるいは彼女自身の虚無感と闘うが如く、ウニョンはおもちゃの銃を放つ。切なくも可憐な負け戦だ。

〈(本文99頁より)ウニョンは簡単に人を嫌いになったりしない。人間が好きな方ではないが、人を嫌うにもエネルギーがいるし、そんな余力はないからだ〉

重厚な長篇小説に浸りたい方にお薦めの『ザリガニの鳴くところ』は、2通りの興を読者に与えてくれる。殺人事件の謎を追うミステリー小説の楽しさと、一人の女性の色鮮やかな人生を辿る冒険譚の味わいだ。家族に捨てられた少女カイアは、ノース・カロライナ州の湿地でただ独り、貝で腹を満たし、月の光や野生の鳥で心を満たして成長する。生きる術を誰からも教えてもらわなかった彼女が、自然の営みの中からそれを独力で身に付けていく姿は、痛ましいながらもどこか清々としたものがあった。

〈(本文379頁より)雌のホタルは偽りの信号を送って別種の雄を誘い、彼を食べてしまう。カマキリの雌は自分の交尾の相手をむさぼり食う。昆虫の雌たちは恋の相手とどう付き合うべきか、ちゃんと心得ているのだ、とカイアは思った〉

「今月買った本」は橘玲、森絵都、手嶋龍一、本上まなみの4氏が交代で執筆いたします。

(2020年7月号掲載)



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