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角田光代さんの「今月の必読書」…『卍どもえ』

谷崎の「卍」を超える奇っ怪さ

冒頭、デザイン事務所長であるアート・ディレクター瓜生甫(うりゆうはじめ)と妻ちづるの、充実したハイクラスな生活が描かれるので、彼らの、いっけんなめらかで、そのじつ何か滞っている関係が小説の軸なのかと思うが、そうではなく、縦横無尽に小説は繁殖していく。

ちづるはネイリストの女性と肉体関係を持ち、瓜生甫は英文学講座で会った女性とやはり肉体関係を持つが、逆に彼女から脅されて大金を払う羽目になる。第2章では、彼ら夫妻とつきあいのある、あらたな夫婦が登場する。フィリピンで日本人向けの英語学校を経営する中子脩と、近畿日本ツーリストのプランナー毬子である。彼らも瓜生夫妻同様に子はなく、裕福な暮らしをしている。やはり複雑な事情を持つ中子夫妻だが、毬子はちづるに誘われて女性同士の性愛に足を踏み入れ、中子もまた、フィリピンの上院議員の娘と関係を持つ。

……と、人間関係がじつに複雑なのだが、それ以上に、小説には情報があふれかえっている。登場人物たちの出自、住まい、通う飲食店、そこで働く人々、彼らの出自、それに加えて社会的事件、映画や小説の断片、すべてが異様なほど詳細に描かれ、そのいくつかは実在の場所や事件であり、いくつかは(たぶん)架空のものだが、あまりの情報量の多さに幻惑されたようになり、事実でも虚構でもなく、小説の「現実」に放りこまれる。そこではとんでもないことが次々と連鎖して起きていくが、でも読み手である私たちは、安心してそれを眺めていられる。この「現実」は小説のなかだと思うからだ。とんでもないことは、登場人物たちだけに起きているのだと思うから。

でもそうだろうか。私たちが生きているこちらの「現実」こそ、情報が異様なほどあふれかえり、それを取捨選択しているつもりで溺れ、次々起きる予想外のできごと――自分自身の欲望さえ含めて――をやむなく受け入れ続けているだけではないのか。

作中、幾度かユングの唱えたシンクロニシティ(共時性、意味のある偶然の一致)の話が出てくる。危険信号を察する、人間の無意識の話もそれに絡む。そんな話をしながら、登場人物たちは危険を察知できず、意味のある偶然の一致に意味を見いだせない。これはきっと、現実の私たちも同じだろう。かつてあったはずのそうした本能は鈍磨し、退化しているのに、それでもこのとんでもない世界を、泳ぎ切らねばならない。

谷崎潤一郎の「卍」も入り組んだ人間関係の話だったけれど、約90年のちに書かれた「卍どもえ」はさらに奇っ怪で込みいっていて、どこに連れていかれるのかわからず、読み終えても、どこに連れていかれたのか、まったくわからないおそろしくも魅力的な小説である。

(2020年5月号掲載)


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