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村上春樹『猫を棄てる』挿絵担当 台湾出身イラストレーター・高妍さんインタビュー

村上春樹さんが初めて父親の戦争体験や自身のルーツについて綴った『猫を棄てる父親について語るとき』が4月23日に発売された。昨年、月刊「文藝春秋」に掲載され、文藝春秋読者賞を受賞するなど大きな話題を集めた本作には、書籍化にあたり13点の挿絵(1点は表紙にも使用)が描かれている。

それらを手掛けたのは、台湾の新進気鋭のイラストレーター、高妍(ガオ・イェン)さんだ。台湾と日本で作品を発表している高さんは、1996年、台北生まれ。漫画家としても活躍し、かねてから村上作品の大ファンだったという。そんな高さんに、『猫を棄てる』に寄せた挿絵と、村上作品への思いを聞いた。/文・三井三奈子

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イラストレーター・漫画家の高妍(ガオ・イェン)さん

「まさかね」という感じ

――『猫を棄てる』の挿絵は、どのような形で依頼が来たのでしょうか。

 昨年11月に、編集部からメールでご連絡をいただきました。スマホ画面に映った文面に「村上春樹」という文字が見えたので、慌てて開いたものの、実を言うと最初は詐欺メールじゃないかと思ったほど、「まさかね」という感じでした(笑)。そこから半信半疑ながらもすぐに編集部とコンタクトをとったところ、詐欺でも間違いでもない、正式な仕事のオファーだとわかりました。

私は村上さんの大ファンで、自分の描く作品の中で村上語録といいますか、村上さんの名言や文章を引用することが多々ありました。もしかしたら、それが何らかの形で編集者の目に留まったのかなと思ったのですが、実際は玄光社の『イラストレーション』に掲載されていた作品を見て候補に挙がったということでした。編集者と装丁のアートディレクターが何人かの候補を村上さんに提案したところ、光栄なことに私が選ばれたという経緯だったようです。純粋に作品の雰囲気で選んでもらえたことが何より嬉しく、そして誇らしく感じました。

『猫を棄てる』には二重のテーマが存在している

――最初に『猫を棄てる』の原稿を読んだときは、どのような印象を持たれましたか。

 表面的にはお父さんとのやりとりや繋がりが主軸になっていますが、実際は「歴史と人とがどう繋がっているか」という部分こそ核心なのだと感じました。そういった二重のテーマが存在するという意味では、『走ることについて語るときに僕の語ること』に似ているな、と。

「父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを――現代の用語を借りればトラウマを――息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。人の心のつながりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういうものなのだ」

この文章こそが『猫を棄てる』のコアであり、村上さんが一番言いたいことなのではないでしょうか。歴史の影響を受けた人々が交差して、その結果として今、私たちがここにいる。そんなふうに思いを馳せました。

――その後、挿絵の創作は順調に進みましたか。

提出後に「描き直したい」と伝えた理由

 村上さんからも編集部からも「思うまま、自由に描いてください」と言っていただけたので、かなり自由度の高い制作作業になりました。実際にとりかかると、次から次へとアイデアが湧き出てきたんです。

ただ、今回は自分にとってあまりにも重要な仕事だったので、もっとうまく描けるんじゃないか、まだ何かが足りないんじゃないかという気持ちがいつもどこかにありました。そんな中、アングレーム国際漫画祭に台湾代表として参加することになり、フランスへ行ったんです。そこでパリの美術館や博物館を訪れ、教科書でしか見たことがない作品に直に触れたことが、とてもいい刺激になりました。

実は、完成させた挿絵を編集部に提出してからパリへと発っていたのですが、帰国後、思い切って編集部に「描き直したい」と伝え、最終的には少し修正を入れさせてもらいました。

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『猫を棄てる』掲載の挿絵©高妍(GaoYan)

――挿絵を描き終わった瞬間は、どのような気分でしたか。

 何より、締め切りまでに提出できてほっとしたというのが、正直な気持ちでした。提出後は、村上さん、編集者、アートディレクターからよい反応をいただけて、素直にうれしかったです。

さらに感動したのは、村上さんが私の名前を表紙に載せて、あとがきでも触れてくれたことです。そのように形にして評価していただけたことは、この上ないほど栄誉なことでした。あとがきの中で村上さんは、私の絵に対して「どこか懐かしいところがある」とおっしゃってくださいました。私は村上さんの作品の中にある場所に行ったこともないし、写真すら見たことはありません。それでも、私の創り上げた世界観から村上さんがそういう気持ちを抱いてくれたことは本当に光栄で、私にとって最大級の誉め言葉でした。

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『猫を棄てる』掲載の挿絵©高妍(GaoYan)

『ノルウェイの森』の小林緑が好き

――そもそも村上春樹さんの大ファンだった、とのことですが、最初に出会ったのはどの作品だったのでしょうか。

 今このインタビューを受けている場所(台北市内にある『海邊的卡夫卡(海辺のカフカ)』というカフェ)は、ライブハウスとしても知られていて、昔、初恋の人に出会ったのもここでした。その彼が「一番好きな本」だと教えてくれたのが『ノルウェイの森』で。それを聞いてすぐに読んだのが、そもそものきっかけです。読めば読むほど、自分のものになっていく手ごたえを感じました。

――村上作品の中でいちばん好きなのも、やはり『ノルウェイの森』ですか?

 そうですね。……ただ、『ノルウェイの森』が好きというより、作品の中に登場する“小林緑”が好きなのかもしれません。彼女がいるからこの作品が好きなんです。他にも、『女のいない男たち』もいいですね。その中の「イエスタデイ」と「シェエラザード」が特に好きです。官能的でありつつも乙女チックで、片思いがいきすぎて“変態”になってしまったという思いにも共感できるんです。

村上さんの作品は多くが男性目線で書かれていますが、この作品は割合として女性側の語りが多かったのが、良い意味で村上さんらしくないな、と思っていて。そこが気に入っています。あとは、安西水丸さんと共著の『ふわふわ』も好きです!

台湾人なら誰でも「村上春樹」を知っている

――台湾において、一般に村上春樹さんはどのような存在なのでしょうか。

 台湾人なら誰でも知っている日本の作家です。作品を読んだことがなくても、どの年代の人でも、必ず“村上(ツンシャン)春樹(チュンシュー)”を知っています。私も小学生時代には既に知っていました。

村上さんの作品は、読み手とともに作品も変化していく感じがします。違うタイミング、違う年齢で読むと、受ける印象も変わってくる。一緒に成長できる存在なんです。私は今でも落ち込んだら『ノルウェイの森』を読みかえすのですが、そうすると昔は読み流していた部分でも、共感できたり、新たな気づきがあったりします。

――高さんは日本の音楽もお好きだと伺いました。特に影響を受けたアーティストはいらっしゃいますか。

細野晴臣さんに届いた漫画『緑の歌』

 「はっぴいえんど」ですね。最初は、浅野いにおさんの漫画『うみべの女の子』で、『風をあつめて』という曲を知ったんです。その後、大学3年の時に初めて日本を訪れたのですが、一番の目的ははっぴいえんどのアルバム『風街ろまん』を買うことでした。日本に到着してレコード店に直行したところ、その時に店内に流れていた曲がかなり自分好みで、店員さんに訊いてみたら「これですよ」と。その場では特段気にもせず購入して、ホテルに戻ってじっくり見たら、それも細野晴臣さんの『HOSONO HOUSE』というアルバムだったんです。それでなんだか縁を感じて、どんどんのめり込んでいきました。

「細野さんの日本でのライブにも行ってみたいな。でもお金もないし、学校もはじまるし……」。それからしばらくの間、そんなふうに思いを巡らせていたら、なんと細野さんの台湾公演決定のニュースが飛び込んできたんです!そのときの嬉しいような怖いような、不思議な気持ちを『緑の歌』という漫画にしました。“緑”は、『ノルウェイの森』の小林緑からいただきました。

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細野晴臣さん©文藝春秋

――ここでも村上さんの作品と繋がるのですね。

『緑の歌』は台湾の繁体字のみで500部しか刷っていないのに、どういうわけかはっぴいえんどの松本隆さんの手元に渡って、そこから細野さんにまで届いたんです。誰かが「台湾にこういうファンがいるよ」と紹介してくれたらしいのですが、それがきっかけで細野さんの2回目の台湾公演の際に、直接お会いする機会をいただけて。そこにいたるまでのひとつひとつは、どれも小さな出来事だったかもしれませんが、最後にはとてつもなく大きなものになって自分に戻ってきたことに、本当に感動しました。

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『緑の歌』©高妍(GaoYan)

――高さんの漫画『間隙・すきま』も、日本語版が電子コミックとして発売されましたね。

『ダンス・ダンス・ダンス』を何度も読んだ

 “すきま”とは、一般的には物理的なモノとモノ、あるいは時間と時間の間みたいな意味だと思いますが、今回は音楽の“間(ま)”を指しています。私自身もそうなんですが、主人公は音楽の中の“すきま”がとても好きなんです。そんなマニアックなところに気づく人も、共感してくれる人もほとんどいないのですが、それでも音楽について語りたいという思いを描いてみたかったんです。

それをどう表現にしたらいいかずっと迷っていたんですが、いろいろな小説を読むうちに、“すきま”がテーマとして取り上げられている作品が意外と多いことに気づきました。中でも伊坂幸太郎さんの『フィッシュストーリー』に感銘を受けまして。それを読んで、できる限りわかりやすい、シンプルな表現でやってみよう、と思ったんです。

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台湾芸術大学卒業後は、沖縄県立芸術大学に短期留学したという。「学校に行くよりも、旅行をしたり、何かの作品の世界に思い切り浸ることの方が好きでした」

――『間隙・すきま』で、特に力を入れた部分や、読者に注目してもらいたい点はありますか?

 冒頭のイラストレーションは、沖縄に留学した時の体験に基づいて作った「雨」のシリーズです。漫画は3編収録していて、そのうちの2つ、「序章」と「クジラ」ではグレーの紙を選びましたが、「隙間とバニラスカイ」では黄色に変えました。最後のページに描かれた雨上がりの空をめくった時に、「空は本当にバニラ色なんだ」と連想していただきたいからです。

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『間隙・すきま』の原作。「この作品は、昨年11月に日本で開催した個展に出したものです」TUG_6259:『間隙・すきま』の原作。「この作品は、昨年11月に日本で開催した個展に出したものです」

 また、あとがきで引用した村上さんの『ダンス・ダンス・ダンス』のセリフは、大学3年生の時に読んで、とても惹かれた言葉です。まるで周りのことを考えられず、必死に絵を描いている自分のことのようだと思いながら、何度も繰り返して読んでいました。このあとがきを書いた1ヶ月後に、まさか村上さんとのお仕事のオファーをいただくとは思ってもいませんでしたが。

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「好きな雑誌は『ガロ』。特に、佐々木マキさん、つげ義春さん、安西水丸さんの作品に影響を受けました」

村上さんに会えたら話してみたいこと

――今回、「村上さんの挿絵を担当した」という経験は、今後の高さんの活動にどのような影響を与えると感じていますか。

 いまでも、このオファーをいただいたこと自体が不思議で仕方ありません。心から光栄だと思いますし、私の創作人生において大変な励みになる出来事でした。ただ、この仕事をしたから何かが変わるわけではなく、これまでやってきたことを今もやっているし、これからも変わらずやっていくのだと思います。あくまでも私は私のままで、好きなことをコツコツとやっていくだけなのかな、と。

――ありがとうございます。最後に、まだ村上さんとは直接お会いになっていないとのことですが、その機会が訪れたら、どんな話をしてみたいですか?

 村上さんの作品についてはもちろんですが、安西水丸さんの作品についてもお話ししてみたいですね。村上さんは音楽が大好きな方なので、音楽についても……。その頃には私の次の漫画もある程度進んでいるはずなので、それも見ていただけたら嬉しいです!

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高妍(GaoYan・ガオイェン)
1996年、台湾・台北生まれ。台湾芸術大学視覚伝達デザイン学系卒業、沖縄県立芸術大学絵画専攻に短期留学。現在はイラストレーター・漫画家として、台湾と日本で作品を発表している。自費出版した漫画作品に『緑の歌』と『間隙・すきま』などがある。2020年2月、フランスで行われたアングレーム国際漫画祭に台湾パビリオンの代表として作品を出展した。



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