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イカゲームより苛酷な韓国社会 金敬哲

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「外に出たってどうせ地獄よ」。大ヒットドラマが映した現実。/文・金敬哲(フリージャーナリスト)

懐かしい遊びが残酷な殺人ゲームに

『冬のソナタ』(2002年)から20年。日本や中国を中心に人気を博してきた韓流ドラマが今や全世界の人々を虜にしている。南北分断という朝鮮半島の悲劇を男女の愛を阻む障害としてロマンティックに描いた『愛の不時着』(2019年)、そして幼い頃に親しんだ懐かしい遊びが残酷な殺人ゲームになる『イカゲーム』(2021年)――。

ラブコメで日本女性の心を掴んできた韓流ドラマが、いつから『イカゲーム』のような世界的人気を博す本格派の作品を制作するようになったのか。韓国のドラマ制作会社トップはこう説明する。

「30億ウォン(約3億円)の制作費を投入し、300億ウォン(約30億円)の収入を稼いだ『冬のソナタ』の大ヒット以後、韓国ドラマは規模の小さい“内需”市場より海外市場をターゲットにする“輸出向け”の作品を企画・制作するようになりました。特に似たような感性を持つ東アジア圏、その中でも日本と中国は韓流ドラマの最大のマーケットです。そのため徹底的に日本と中国のニーズに合わせた企画が立てられたのです。国外の韓流ファンに人気の高いラブコメものを、その国で人気のある俳優やスタッフを起用して制作するのが最も成功しやすいドラマ制作の“王道”でした。

それがネットフリックスの登場により、韓流ドラマの海外マーケットが大きく拡大しました。ターゲット層も中高年女性だけでなく、デジタルネイティブの若者層を始めとして全世代に拡がったのです。世界のトレンドに合わせて戦略的に作品を作るようになった一方で、最近では韓国独自のアイデアを取り入れた原作の発掘にも力を入れています」

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全世界で1億世帯以上が視聴

「史上最も見られたドラマ」

グローバル企業である動画配信プラットフォームから十分な制作費が投下されたことで、映画界で活躍していた優秀な人材が、これまで見下してきたドラマ界へ押し寄せるという現象も起きた。ネットフリックスは2016年に韓国に進出してから2020年までの5年間、韓国で制作するコンテンツに計7700億ウォン(770億円)を投下、2021年2月には同年だけで5500億ウォン(550億円)を投資することを明らかにしている。

評論家のキム・ホンシク氏は「いまや韓国では映画とドラマの境界が曖昧になっている」と語る。

「近年韓国では映画的技法で作られるドラマを指す“シネラマ”というジャンルが流行していたのですが、動画配信プラットフォームはこの現象をさらに加速させました。十分な制作費、制約の少ない自由な制作環境を持つネットフリックスは、韓国映画界の有望な若手監督たちにとって魅力的です。『イカゲーム』の監督・脚本を担当したのは、『トガニ』『怪しい彼女』『天命の城』など、数多くのヒット映画を生み出してきたファン・ドンヒョク監督ですが、彼が作るドラマも典型的な“シネラマ”。ポン・ジュノ監督の『パラサイト』をはじめ、最近の韓国映画は海外映画祭でその実力を証明していますが、『イカゲーム』はその潜在能力がネットフリックスに出会ってより輝いた好例と言えます」

「ネットフリックス史上最も見られたドラマ」として全世界で1億世帯以上が視聴する大ヒットとなった本作だが、成功の背景にはやはり世界市場を狙った戦略がある。まず本作は、ハリウッド映画『ハンガー・ゲーム』に代表される、登場人物たちが劇中で殺人サバイバルを繰り広げるという世界的にもヒットの多い「デスゲーム」というジャンルに属する。そこに韓国社会ならではの設定やストーリーが加味されることで、世界の視聴者が見たことのない作品に仕上がった。離島で繰り広げられる計6つのデスゲームに招待された主人公たちは、456億ウォン(約45億円)の賞金をかけて、命を担保にゲームに参加する。このシンプルなプロットも言語や国籍を問わず受け入れられた要因だ。

世界の逆を行く「K新派」

主人公のギフンは自動車会社を解雇された後、2度の起業に失敗したためにサラ金で数億ウォンの借金をつくってしまう。妻にも逃げられ、現在は母親と2人きりで生活している。ギフンは借金の取り立て屋に追われる極貧生活を続けている上に、同居する母は糖尿病が悪化して今すぐにも手術をしなければいけない。金持ちの男と再婚した元妻が米国へ移り住む前に娘を取り戻したい……。ギフンは今すぐにでも大金が必要だ。が、逆転の光明は見えない。そんなある日、謎の男からイカゲームに招待される。

もう一人の主人公のサンウは、「韓国の東京大学」と呼ばれるソウル大学経営学科に首席で合格した秀才。一流証券会社に就職したが、会社の金を横領して先物取引に手を出し、数十億ウォンの借金を背負ってイカゲームの参加者になる。ほかにも命がけで脱北した若い女性セビョクは韓国社会に受け入れられず、弟を保育園に預け必死に金を稼いでいる。だが弟や北朝鮮に残っている母と一緒に暮らすための金欲しさにイカゲームに参加する。出稼ぎで韓国に来たパキスタン人のアリは工場に勤めているが給料をまともにもらえず、仕事中の事故から2本の指を失ってしまう。それでも母国の家族を養うため、藁にも縋る思いでイカゲームに参加する……。登場人物はみな現代韓国の弱者の典型であり、韓国に住んでいれば周囲に見かけるような人々である。

彼らは命をかけた殺人サバイバルゲームを行いながら、ときに友情を育み、他人を思いやる。生死を分けるような極限の精神状態のなかで不条理な人間ドラマに感情を爆発させる。その姿が観る者の涙を誘うのだ。本作のように登場人物の喜怒哀楽を大袈裟とも思えるほど過剰に表現する韓国ドラマの演出手法は、最近では「K新派」と呼ばれている。

前出のキム・ホンシク氏が言う。

「『K新派』こそ『イカゲーム』が世界的に人気を集めるようになった理由の一つです。最近のハリウッド映画やヨーロッパ映画に顕著な傾向ですが、『抑制された感情表現』を美学と考えている演出が世界的な傾向です。その中では、むしろ『K新派』のコンテンツが優位な競争力を持つのです。例えばBTSが青年たちに向けて希望や勇気に満ちたメッセージソングを歌うとき、国内の音楽業界からは“ありきたりな内容”という批判もありました。しかし世界の若者たちはその熱烈な歌詞に感激したのです。弱者に対する憐れみや未来への希望こそ、世界レベルで大衆の共感を獲得できる韓流コンテンツならではの魅力なのです」

登場するゲーム設定や美術セットなども海外の視聴者の嗜好を考慮して選ばれている。まずタイトルの「イカゲーム」は、△や□を組み合わせたイカの姿に似た図を地面に描いて遊ぶ、韓国では広く親しまれている陣取りゲームだ。また「ムクゲの花が咲きました」は「ダルマさんが転んだ」の韓国バージョン。ほかにも綱引き、飛び石渡り、ビー玉、駄菓子の型抜きなど、登場するゲームは普遍的で誰でも簡単に理解できる単純なルールのものばかりだ。

ファン・ドンヒョク監督は韓国メディアのインタビューでこう述べている。

「(設定は)サバイバル・デスゲームですが、ルールがシンプルな子供たちのゲームという点で(視聴者が)関心を持ってくれているようです。わざとルールが最も単純な遊びを選びました。世界のどの国の人が見ても30秒以内に直感的に理解できます」(『文化日報』9月29日付)

このノスタルジーと暴力のギャップこそが、命の危険に晒される主人公たちへの感情移入を起こしやすくする舞台装置となっているのだ。

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モデルとなった壮絶リストラ

もう一つのヒットの理由には、エンターテインメント色の強い商業ドラマに、格差や貧困などリアルな社会問題を織り交ぜた点が挙げられる。ややもすると荒唐無稽なファンタジーに転びやすい「デスゲーム」作品に、韓国社会の現実を投影したことがドラマに説得力を与えた。ファン・ドンヒョク監督もKBSのインタビューに応じて「『イカゲーム』が他の(デスゲーム)作品と違うのは、ゲームより“人”が目立つ作品だという点です。また、この作品はいわゆる“ルーザー(敗者)”の物語なので、英雄も勝者もいないという点でも(ほかの作品と)差別化されています」と語っている。

ギフンが自動車会社「ドラゴンモーターズ」から一方的にリストラされ、それに抗議するストライキに参加したという設定は、2008年から翌年にかけて韓国社会を騒がせた双竜サンヨン自動車による大量解雇がモチーフとなっている。

2008年、リーマンショックを引き金とした米国発の金融危機により、経営難に見舞われた双竜自動車は、法定管理(日本の会社更生法)を申し立て、全労働者の約37%にあたる2646人のリストラを発表。これに反発した労組員たちは工場を占拠して77日間のストに突入した。警察は対テロ作戦に使われる装備のヘリやテーザー銃(スタンガンの一種)、警察機動隊などを総動員し、過剰な鎮圧と批判された。

ギフンが解雇された後に一念発起して起業するものの、ことごとく失敗し、借金を抱えることになる過程もまた、韓国の中年男性の現状を反映している。大量の雇用を生み出す大企業の数が極端に少なく、脆弱な中小企業ばかりで雇用市場が硬直してしまっている韓国では、会社を退社せざるをえなかった中年男性たちが一番簡単に始められる第2の職業が軽食屋やコーヒーショップなどの零細自営業なのだ。

「退職してチキン屋」は定番

そのため韓国の労働市場で自営業が占める割合は2017年で25.4%と先進国の中でもかなり高い。米国は6.3%、日本は10.4%、ドイツは10.2%である。

特にチキン屋はほとんどがフランチャイズで、特別な技術がなくても起業が可能だ。「起承転チキン」という言葉があるほど、“退職後のチキン屋”は韓国の中年男性にとっては、よくある脱サラ後の姿なのだ。2019年2月時点で韓国のチキン店は8万7000店あまりで、マクドナルドの世界店舗数より2倍以上も多く、当然ながら競争が激しい。ドラマの中のギフンも解雇された後、家族の生計のために、大した準備もせずチキン屋をオープンして失敗し、もう一度起業して、さらなる借金を背負ったという設定である。

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