寺田寅彦 科学は美的享楽
「ニュートンが一見捕捉し難いような天体の運動も簡単な重力の方則によって整然たる系統の下に一括されることを知った時には、実際ヴォルテーアの謳ったように、神の声とともに混沌は消え、闇の中に隠れた自然の奥底はその帷帳(とばり)を開かれて、玲瓏(れいろう)たる天界が目前に現われたようなものであったろう」
これは「科学者と芸術家」の一節。なんと的確で、流麗な文章だろう。また別のときは、春の空の雲に太平洋のかなたを遠望し、空いた電車に乗る方法を考察し、ガラスの割れ目やキリンの斑模様の生成、線香花火や藤の実が飛び散るしくみを論じた。若き日は欧州に留学、X線と結晶の研究でノーベル賞に迫る業績を上げる一方、夏目漱石の門下として『吾輩は猫である』の水島寒月、『三四郎』の野々宮宗八のモデルとなり、軽妙洒脱な文章をものして、科学エッセイストの嚆矢となった。当時、寺田を読んで初めて科学に興味を持ったファンも多数いた。
彼の文章は、単に才気煥発な秀才が、余技として科学啓蒙をしているのではないことがわかる。そこには諦念があり悲哀がある。科学は美的享楽であり、そのことについての含羞がある。あるいは科学の限界についての懐疑がある。この感性は、今こそ再評価されるべきものだ。
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