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「村上春樹と井上陽水の『日本語』」ロバート・キャンベル×有働由美子

news zeroメインキャスターの有働さんが“時代を作った人たち”の本音に迫る対談企画「有働由美子のマイフェアパーソン」。今回のゲストは、日本文学研究者のロバート・キャンベルさんです。

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キャンベルさん(左)と有働さん(右)

江戸文学から村上春樹ライブラリーまで語り尽くす

有働 お久しぶりです! たぶん2017年のキャンベルさんの“結婚式”以来ですよね。

キャンベル 懐かしい! 僕の還暦祝いのパーティのはずが、その場でパートナーとの結婚披露宴みたいになり……。有働さん、頼みもしないのに司会してくれて(笑)。ホテルの人に「早くナイフ持ってきて」と急かして、「ケーキ入刀です!」って。

有働 勝手に仕切っちゃった(笑)。

キャンベル すごくうれしかったですよ。

有働 私、今まで200組くらい結婚式の司会をしてきましたけど、1番と言っていいほど印象的な式でした。あまりに自然に始まって自然に進行して。井上陽水さんのアカペラの『黒田節』なんて他で聴けない。

キャンベル そうですよね。僕が10年いた福岡では、結婚式や二次会で黒田節が歌われるんです。(福岡出身の)陽水さんが歌いはじめた時は涙が出そうでしたよ。

有働 今、陽水さんと福岡の話が出ましたけど、日本文学研究者のキャンベルさんは、1985年に九州大学文学部研究生として来日されたのがキャリアのスタート。九州大学文学部の専任講師になった後、1995年からは国立・国文学研究資料館助教授、東京大学大学院総合文化研究科教授などを経て2017年4月から国文学研究資料館館長を務められました。最近は情報番組のコメンテーターなどでも幅広くご活躍されています。

キャンベル ご紹介ありがとうございます。

不思議なライブラリー体験

有働 近況を色々と伺いたいです。この10月にオープンした早稲田大学国際文学館、通称「村上春樹ライブラリー」が話題ですね。その顧問をされているんですよね?

キャンベル はい。今年4月から早稲田大学特命教授という、どこの研究科・学科にも所属せずに自由に研究や言論活動をせよという非常にありがたいポジションをいただいて。前職の国文学研究資料館の経験を生かして、新しくできる文学館の資源やポテンシャルを社会に連携させたり共振させたりしていくために顧問になったわけです。

有働 キャンベルさんのYouTubeチャンネルでは、自ら文学館を案内されていましたね。建築家・隈研吾さんの設計で、ギャラリーには村上春樹さんが寄せた文章が飾ってあったり、1979年からの全作品が50カ国語以上の翻訳本とともに置いてあったり。わが家にも欲しいと思うくらい素敵な読書用の椅子があって、カフェは学生さんたちが運営していて。デートだとか、村上さんファンじゃない人でも楽しめそうなライブラリーですね。

キャンベル 目を向けてもらいたいところを見ていただき、ありがとうございます。地下1階から地上2階がパブリックスペースで、隈さんや内装を担当してくれた人たちのアイデアが生きています。空間が完全には遮られていなくて、空気の流れがありながら、進んでいくと少しずつ場が変化していく。隣にいる人にちょっと声をかけたくなるような、緩く交差する不思議な空間になっているんです。蔵書は、館内の好きなところで読むことができます。

有働 壁にキャラクターの絵もありましたね。あれはなんだろうと。

キャンベル 村上作品につながるクイズになっているんです。できるだけ心のアクションであったり、言葉であったりを引き起こさせるような工夫をしています。

有働 いろんな仕掛けがあるんですね。そもそも村上さんとキャンベルさんはどういうご関係ですか?

キャンベル 面識はこれまでありませんでした。読者としては、87年の『ノルウェイの森』からリアルタイムで読みはじめて、そこから遡及して『風の歌を聴け』などを読んでいきました。ストーリーが入り組んでいて、異次元にワープして戻ってくるなどファンタスティックなところに文学として惹かれますが、文章がいたって平明なのも魅力です。村上さんはレイモンド・カーヴァーやトルーマン・カポーティなど、現代米文学の翻訳もしている。アメリカ生まれの僕が改めて日本語で読むというのはおかしな話ですが(笑)。

有働 確かに(笑)。

キャンベル ところが、子どもの頃に大好きだったサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を村上さんの日本語訳で何10年かぶりに読んで、泣いたんです。まるで村上さんの文章のようで、村上さんの小説を読んでいる気分になる。それとは逆に村上作品の英訳を読むと、本を閉じたら日本語だったか英語で読んでいたかわからなくなります。翻訳しても取りこぼしが少なく、すっと英語になる文章なんです。

有働 そのまま訳しているということ?

キャンベル 優れた翻訳はそのまま訳しているように見えても、原書と読み比べると、言語のつなぎ目を見せないように翻訳者が腐心していることがわかります。でも村上さんの文体は最初からあまりに英語と親和性があるので、どちらの言語で読んでも同じようなテンポで同じタイミングで心動かされる。つまり日本語として平明であるだけではなく、英語に訳しても、いろんな要素がフィルターに引っかからずにそのまま通過していく。これは日本の文学者として非常に珍しいことです。

村上春樹ライブラリー

10月にオープンした「村上春樹ライブラリー」

井上陽水の歌詞を訳すと……

有働 村上さんの文体が英語と親和性があるのはなぜですか。

キャンベル 物事の捉え方とか、書きぶりというんでしょうかね。それで思い出すのは、井上陽水さんの歌詞を僕が翻訳した時に魅力的かつ苦しんだのが、蜃気楼のように留まらない日本語でした。数が単数なのか複数なのか、過去なのか現在なのか、主体が男性なのか女性なのか、わからないことがたくさんある。あの声と楽曲に乗るとそのあたりが気にならず、詩としていろんな読み方ができて面白いんですけど、英語にするためには決めないといけないことが多くて。決めるというのは可能性を捨てることなんです。ダイアモンドのような可能性の多面体を、タイルのようにある程度フラットにしていかないと英語にできない。

有働 翻訳の壁ですね。

キャンベル 村上さんの作品はそれがあまりありません。性別や数、目の前で何が起きているかということがくっきりと見えるようになっている。本人もインタビューで語っていらっしゃいますが、読者がついていきやすいような文体を作っている。僕は江戸から明治初期の文学が専門なので、修飾や形容、比喩がたくさん使われて、現代の読者には読みづらい文章を日頃読んでいます。その合間に、村上さんの小説を読むととても気持ちが軽くなる感じがあります。そこがすごく好きです。

有働 あのー、正直申し上げますと、私、話題になっているという理由で村上作品を頑張って読んできたところもあって、よく理解できないお話もあって……。

キャンベル 読者にもそれぞれ背景があって、小説に求めるものは千差万別ですからね。おかしなことではないですよ。僕自身、時に共感しづらい部分があるのも事実です。たとえば『ノルウェイの森』。僕はゲイですが、主人公が異性愛者の男性であることは、自分と異なる性的指向や価値観がある人の胸を借りて世界を経験できるから面白いと言えます。ただ、作中の女性の役割というか、恋愛や性愛の対象としての描かれ方にあまり共感できない。

有働 ああ、ちょっと安心しました。私が読者としてダメなのかと思っていました。

キャンベル そんなことはないですよ。僕が研究者として最も評価しているのは村上さんの創作スタイルです。私たちが精神の1番奥に潜めているもの、記憶の不確かさとか生きながら記憶を作り変えていくこととかを手にとるように丁寧に、具体的な出来事に重ねて描かれている。

心を語り合う場を作る

有働 なるほど。こうやってキャンベルさんと語り合って、魅力を知ると、読み方も変わりそうです。

キャンベル まさに国際文学館では「物語を拓こう、心を語ろう」という村上さんが考えたモットーを掲げています。違う背景を持った人、政治的、宗教的に敵対している人であっても、1つの物語を真ん中に置いたら利害や損得とは関係なく議論できるかもしれないし、一緒に笑うこともできるかもしれない。

有働 だから「心を語ろう」。

キャンベル はい。英語で「物語を拓こう」はExplore Your Storiesと翻訳しています。「物語」を複数形にして「あなたの」を加えている。単に『1Q84』といった本を紐解いて読んでみましょうということではないんです。誰もが自分の物語があり、自分の周囲や国家の物語があります。国際文学館では、村上さんが積み上げてきた40年間の仕事や関連資料を起爆剤として、普段交差することのない他者同士が集まり、心を語り合う場を作っていければと思っています。

銀座の文学史を書きたい

有働 先ほどちらっと話に出たキャンベルさんのYouTubeチャンネルも、この4月からでしたね。

キャンベル そうですね。7月からはTikTokも始めて、1分動画を毎月20本作ってアップしています。

有働 エーッ! それって?

キャンベル 安心してください。踊っていません。

有働 なーんだ(笑)。

キャンベル 本当は時々踊っているんだけど、自慢の腹筋を見せたりはしていない(笑)。

有働 どんな動画なんですか?

キャンベル 僕は10年くらい前から銀座の文学史を書こうと思っていて、銀座に友だちがたくさんできたんです。明治時代からの個人経営のお店もあるし、大きなお店もある。そこを訪ねて、1分でちょっと何か学ぶようなことをTikTokで始めたんです。先日は和光さんに行きました。銀座の中でも難攻不落かと思っていたんですが。

有働 確かにTikTokなんて撮ろうものなら怒られそう。

キャンベル 僕がやってきたことを見ていただいて、こういう内容なら大丈夫と判断していただいたんだと思います。和光は1年前にショーウインドウを全部変えたんです。マネキンの後ろの壁をぶち抜いてガラスにして、お店の内側が見えるようにした。逆に中に入ると、銀座4丁目の交差点が見えるんですね。この時代、もっと外の人とつながっていかないと自分たちも成長しないから壁をなくしたと聞いて、ハッとしました。

有働 そういうことを1分で紹介するなんて面白そう。後ほど見ます。私はテレビの世界にいるから、後から出てきたYouTubeやTikTokにまだちょっと抵抗があるんです。でもキャンベルさんは古文書を手にしながらも、TikTokのような新しいツールにも馴染んでいらっしゃるわけですね。

キャンベル 僕も照れくさい部分もありますが。東大で教鞭をとっていた頃、学生と1年間かけて1冊の本を精読するということをずっとやってきました。地味ですが重要な作業です。一方で中年に差し掛かったあたりから、本業の枝葉の部分に、ちょっと面白そうだしやってみようかなということがいろいろ出てきました。『あさイチ』などのテレビ出演や、新聞への寄稿の機会をいただいたのがそれです。普段の教室や文化的な講座だけでは手が及ばない人たちに、自分の言葉を届けられるようになった。その意味はとても自覚しています。

有働 それでテレビ出演や寄稿の依頼を受けるだけでなく、個人メディアも始められたのですか。

キャンベル はい。昨年度までの4年間は、ナショナルセンターである国文学研究資料館の館長として、パワーを集約するよう心がけていました。でも今年度からは存分に言論活動ができる身となりましたし、これまでに与えていただいたマテリアルや知識を使って、仲間たちと一緒にいろんな挑戦をしてみたいなと。YouTubeでは、その週にあったニュースを日本のメディアとは違った角度から捉え直すということも試みています。

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