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思わず見惚れる「国宝」入門 小林忠

国宝の国宝たるゆえんは?89件の名作が教えてくれる。/文・小林忠(美術史家)

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小林氏

国宝は集客効果がたいへん高い

この10月から12月にかけて、東京国立博物館で特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」が開かれます。同館所蔵の国宝全89件を一堂に公開展示する機会です。

私は現在、神奈川県の岡田美術館館長を務め、それ以前は千葉市美術館館長をしておりました。それとともに学習院大学をはじめとする大学の教壇にも立ってきましたが、かつて東京国立博物館に勤務した経験を持っています。

大学院生時代に非常勤の調査員となり、1969年からは学芸部美術課絵画室員に。いったん名古屋大学へ出るため離れるも再び戻り、あわせて10数年にわたってお世話になりました。

当時は一人で収蔵庫に入ることも許されており、たくさんの作品とじっくり向き合う時間をとることができました。陳列は桃山・江戸時代の絵画を任され、演出効果をあれこれ考えながら展示を構成するのが楽しいものでした。そんな思い出の詰まった古巣のことは、いつも気にかかっています。これほど大規模な企画に打って出たと聞けば、つい肩入れして応援したくなるのです。

同館での国宝展の類というのは、今回が初めてというわけではありません。多くの国宝を所蔵することもあり、折に触れ同様の展覧会は実施されてきました。そして国宝は、集客効果がたいへん高い。国宝という語を展名に冠すると、メディアにも多く取り上げてもらえるし、お客さんはたくさんやって来ます。

そういう意味でも国を代表する名作は、多くのかたに芸術に触れていただける、ありがたいものに違いありません。

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左奥の建物が会場の東京国立博物館、平成館

国宝はどう選ばれるのか

それほど大きな訴求力を持つ国宝とは、そもそもどんな存在なのか。改めてひもとくと、こうなります。

国宝については、文化財保護法に規定があります。その定義に沿えば、「重要文化財のうち、世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」のこと。

国が特別に大切な文化財として定める重要文化財の中から、美術的・歴史的に卓越し、制作者や年代、制作背景も明確で、かつ保存状態が良好なものが国宝に選ばれるのです。

そう聞くと、なかなかハードルが高そうです。実際のところ国宝の数はさほど多くなく、重要文化財が1万3000件余りあるのに対して、国宝は1100件あまり。

すべてを実見するのも可能と思わせる数字なのでしょうか、登山好きが百名山すべてを登りたくなるのと同じように、たまにあらゆる国宝と出合うのを人生の目標としている方もおられます。今回の展覧会へ行けば89件分も一挙に稼げるので、大チャンスですね。

さて国宝は、どんな過程を経て決まるのでしょうか。

まず文化庁の専門技官による調査と庁内会議が重ねられ、指定候補物件を絞り込んでいきます。そして審議会議案が作成され、文部科学大臣が文化審議会に諮問します。

文化審議会は、文化財分科会専門調査会に審議を依頼。調査会は候補物件について審議をし、答申がつくられ、官報告示が為されると、新たな重要文化財や国宝が生まれるということになります。

調査会は工芸、考古など専門分野に分かれており、それぞれ10人ほどの専門家が属しています。私は70歳で定年となるまで、「絵画彫刻部会」に在籍していました。

毎年、議論が繰り広げられるのですが、少なくとも私のいた部会ではその雰囲気は、いたって穏やかなものでした。専門技官の詳細な調査がベースにありますから、それに沿って問題がないか確認していきます。議案を覆したりすることはまずありませんでした。かつて部会によっては気骨ある先生方がいて、「そんなものは認められん」などと提案を蹴ることもあったようですが。

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選ばれるジャンルは偏る

ではそのような過程を経て、どんなものが国宝に選ばれているのかといえば、正直なところ時代やジャンルによって大きく偏りがあります。国宝は結局のところ人が選ぶものですし、時代の流れも関係します。

リストを通覧しますと、刀剣の件数がたいへん多いのにはすぐ気づきます。100件を優に超えて、全国宝の1割強を占めているのです。

これには時代的な事情が関係しています。ポツダム宣言受諾により、戦後の日本はあらゆる武器を連合国軍に引き渡さねばなりませんでした。刀剣ももちろん対象になったのですが、美術品としての価値を持つ名刀は是が非でも没収を免れたい。

そこでさまざまな働きかけがおこなわれ、有力な手立てとして用いられたのが国宝指定。文化財保護委員会が名刀を次々と国宝に推し、保全に努めたのでした。

また、縄文時代の土偶は5件も国宝に指定されているのに、弥生~古墳時代の埴輪は1件しか指定がないのも、バランスが悪いように思えますね。古墳時代は各地に豪族が割拠していたので、地域的なしがらみが絡んでなかなか名品が推されないということもあるのかもしれません。

私が専門とする江戸時代の美術も、国宝はずいぶんと少ないものです。世界中で評価され人気を博す浮世絵に関しては、国宝指定された作品がいまだ一つもありません。重要文化財にしてもごくわずかです。

浮世絵版画は複製を前提とする品なので、指定に慎重になるのはわからなくもありません。指定後に、もっと摺りや保存状態のいいものが出てくると、困ったことになるので。

しかし、肉筆画に視野を広げても、浮世絵師のものは国宝からほど遠いところにあるのが現状です。

これには浮世絵が、江戸時代の庶民の楽しみだったという出自が関係しているかもしれません。

日本の美術品には大きく分けて2種類があります。一つは宗教儀礼に用いられた遺品。仏や神のためにつくられ、人に尊さや畏怖、霊験を感じさせます。それらは古来為政者に守られ、多くの人に大切にされてきました。そのため仏像・仏画の類は名品がしっかり国宝に選ばれている。

一方で、日常生活とともにある美術品も各時代にある。人の心を慰め、喜ばせるためにつくられてきたものです。

ただ、それらを当時の「お上」が大事にすることはなく、その風潮は現代もやや残っており、国宝にまで上り詰めることが難しいのです。

国宝制度が生まれた歴史的経緯も、おさらいしておきましょう。淵源は明治維新にまで遡ります。

「文明開化」「脱亜入欧」一辺倒の時代、古いものはとにかく駄目との風潮が生まれ、仏教を排する廃仏毀釈が全国へ広がり、寺院や仏像が壊される事態に発展しました。

名品は外国人が買い漁り、海外へ持ち出し放題。文化流出を憂えた政府は1871(明治4)年、太政官布告として「古器旧物保存方」を出し阻止を図ります。

続いて政府は1897(明治30)年に「古社寺保存法」を公布。東洋美術史家アーネスト・フェノロサと岡倉天心が全国を実地調査し、国が守るべき文化財を定めました。

1929(昭和4)年に「国宝保存法」ができ、戦後の1950(昭和25)年には現行の文化財保護法が生まれます。戦後の混乱期だというのに速やかな制定がなされたのには、大きなきっかけがありました。1949(昭和24)年の法隆寺金堂壁画焼損です。

模写をつくるための作業中に失火、写しをつくろうとして、原本を失くしてしまったのです。

大きな社会問題となり、事態を重く見た政府が法制を急ぐこととなったのでした。翌1950年には、室町時代に創建のかけがえない建築・金閣寺も炎上しています。文化財保存の気運が高まる事情が、いくつも重なったのです。

文化財保護法では、戦前に国宝指定されていた文物を、いったんすべて重要文化財へと「格下げ」しました。その中から改めて、国宝を選りすぐったかたちとなっています。

今展の出品作から、とりわけ注目したい国宝を4件選んでみました。

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焼損した法隆寺の金堂壁画

今回、注目すべき4作品

まずは《埴輪武装男子立像》、通称「挂甲の武人」。6世紀のものと見られ、現在の群馬県太田市から出土しました。全国で数多くある埴輪のうち、単体として唯一の国宝となります。

武人は当時の武具をフル装備した姿で毅然と立っています。兜を被り鎧を身にまとい手甲も着けて、弓矢を持ち刀に手をかけている。造形美もさることながら、当時の風俗を知る手がかりとしても重要性が高い。

縄文から弥生、古墳時代あたりまでというのは、文字による記録がほとんど残っていません。当時の環境や人の暮らしを知るにはモノに頼るしかなく、時代の雰囲気を伝える「挂甲の武人」のような文化財は、いっそう希少と考えられます。

東京国立博物館には他にも、猿の頭部をリアルにかたどったものなど、印象深い埴輪がたくさん収蔵されています。それらも国宝にしていいのではと個人的に思っています。それに限らず、古墳時代の国宝は今後増えていくかもしれませんね。

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