【蓋棺録】小林亜星、根岸英一、寺内タケシ、若山弦蔵、エドワード・デ・ボノ〈他界した偉大な人々〉
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【蓋棺録】小林亜星、根岸英一、寺内タケシ、若山弦蔵、エドワード・デ・ボノ〈他界した偉大な人々〉

偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。

★小林亜星

20120409BN00174 小林亜星

作曲家で俳優の小林亜星(こばやしあせい)は、斬新なメロディを生み出すいっぽう、頑固で古風な日本の親父を生き生きと演じた。

1974(昭和49)年から始まったテレビドラマ『寺内貫太郎一家』は平均視聴率31.3%を記録する。ディレクターの久世光彦が「小林でやりたい」と言うと、脚本の向田邦子は難色を示した。当時、小林は長髪にサングラス。そこで小林を坊主刈りにし、法被を着せて引き合わせたところ、向田は「これが貫太郎よ」と納得したという。

32年、東京に生まれる。父は医者の息子だったが演劇に熱中し、家業を継がずに逓信省の役人をしていた。母は築地小劇場の女優で、左翼的な思想を持ち、外出するときはレーニン帽をかぶった。「私は反発して、江戸川乱歩の妖しい世界にひかれた」。

戦後、進駐軍とともにジャズやポップスが入ってくると友人とバンドをつくった。父が無理やり慶應義塾大学の医学部に進学させるが、「頭のなかは音楽ばかりで、こっそり3年のとき経済学部に転部した」。卒業後、製紙会社に入社したものの数カ月で退社、作曲家・服部正の自宅に押しかけて入門を許される。

最初の仕事はレナウンのCMソング『ワンサカ娘』で、「当時のCMは童謡調かシャンソン調だったので、ポップス調にしてみた」。弘田三枝子やシルヴィ・バルタンが歌って評判になり、出だしの「ドライブウェイに春が来りゃ」は子供たちも口ずさんだ。

その後、「この木なんの木」で始まる『日立の樹』や、日本生命の『モクセイの花』など親しみやすいCMソングを世に送り出していく。さらにアニメの『狼少年ケン』『怪物くん』『科学忍者隊ガッチャマン』などの主題歌は番組が終わっても長く愛唱された。

レコード曲では阿久悠とのコンビでヒットを飛ばした。71年、親子向け番組の中の『ピンポンパン体操』がレコード化されて累計260万枚を売る。75年に都はるみの『北の宿から』が発売されると140万枚の大ヒットで、翌年、日本レコード大賞を受賞している。

貫太郎の役は、最初はフランキー堺で進んでいたが、ぎりぎりになって役者経験のない小林に回ってきたという。石材店の親父に扮し、妻を加藤治子、長男を西城秀樹、老母を悠木千帆(後に樹木希林)が演じた。呼び物が西城との親子喧嘩だったが、あるとき西城が本当に負傷して病院に運ばれ、「西城ファンから脅迫状をもらいました」。

その後、俳優としての活動を拡大し、テレビドラマ『サザエさん』の磯野波平役をひきうけ、『恍惚の人』では立花茂造を演じている。「あのころは、テレビの仕事に人情がありました」。(5月30日没、心不全、88歳)

★根岸英一

化学者の根岸英一(ねぎしえいいち)は、妻と共にアメリカに渡り、「二人三脚」の生活を続けてノーベル化学賞の受賞に至った。

2010(平成22)年、触媒を用いて有機合成を行う「クロスカップリング」の研究でノーベル化学賞を受ける。北海道大学名誉教授・鈴木章も同時受賞だった。「2人が受賞した時には、少なくとも20人の同等の研究者が背後にいたと考えてほしい」。

1935(昭和10)年、満洲の新京(現・中国長春)で生まれる。父は南満州鉄道系の日満商事社員だった。転勤でハルピンに移り、教師の勧めで一年早く小学校に入学する。終戦時には京城(現・韓国ソウル)にいたので、ソ連による拘留を免れた。

家族と日本に引き揚げて、神奈川県の南林間で暮らし始める。中学校では音楽教師でオルガン奏者の鈴木次男を尊敬し、自宅にも出入りした。湘南高校に合格するが、最初は123番だった。しかし2年生の前期に9番に急上昇し、以降は一番を続ける。

東京大学に進学したころから、鈴木の娘すみれと付き合い始め、電気工学から応用化学に専攻を変えたのは結婚を考えたからだという。奨学金を得ていた帝人への入社を決めて、卒業直前に「二人三脚で生きていこう」とプロポーズした。

以降、2人で歩く人生となった。フルブライト奨学金を得て、米ペンシルベニア大学に留学するさいにも2人で渡米した。一旦帰国したが、企業での研究に限界を感じて再渡米を決める。不安はあったが一緒に暮らせることが嬉しかったという。

パデュー大学のハーバート・ブラウン教授のもとで研究員になったものの、当初は小さな学生アパートで暮らすのがやっとだった。「苦しい時期、妻のサポートは本当にありがたかった」。

72年にシラキュース大学の助教授に採用されるが、同大学で取り組んだ研究が、後のノーベル賞受賞の対象となる。日本に帰ることも考えたが、日本の大学は上下関係が硬直的で、「私が横から入る隙間はゼロでした」。

ブラウン教授が退任後、パデュー大学教授に迎えられ、2010年にノーベル賞を受賞する。「賞の半分は妻にあげたい」。偶然、この年に金婚式を迎えている。しかし、ノーベル賞受賞から8年後、世界中からの称賛の後に、不幸な事件が待っていた。

2018年3月、旅行のため2人で空港に向かう途中、車が側溝にはまって動けなくなった。厳寒のなか、根岸が助けを求めて車から出たが、戻らないので妻も外に出てしまう。翌朝、警察が2人を発見したとき、妻は低体温症で亡くなっていた。晩年は塞ぎ込みがちだったという。(6月6日没、不明、85歳)

★寺内タケシ

ギタリストの寺内(てらうち)タケシ(本名・武)は抜群のテクニックでファンを魅了した。

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