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「夜の街」への圧力と有用性の選別という優生思想|三浦瑠麗

★前回の記事はこちら。
※本連載は第37回です。最初から読む方はこちら。


 前回は、新型コロナウイルスに起因する休業要請で多くの経済セクターが打撃を受け、かなりの数の労働者が解雇されたり労働市場から退出してしまったりする現実を踏まえても、約半数の人は第二波において1回目の緊急事態宣言と同等かそれ以上の行動自粛・休業要請を望んでいるという意識調査結果をお示ししました。

 今回の景気の悪化速度はリーマンショックをはるかにしのぐものであり、少なくともバブル崩壊後の日本経済の長期停滞期と同様の影響を生み出すであろうと思われます。経済危機は、不安定な雇用形態で働く人を直撃します。また、年代で言えば若者を、性別で言えば女性を最も苦しめるものです。売り上げが激減した企業は軒並み新卒採用を見送ったり内定を取り消したりしており、ふたたびロストジェネレーション=「失われた世代」が生まれるであろうことは明らかです。そして、コロナ禍で雇用調整が行われて真っ先に解雇される非正規雇用の労働者の7割は女性であり、自粛やリモートワーク、休校などで生産性がまっさきに下がるのも女性です。また、過去に生じたロスジェネの不安定な雇用形態の人も、性別を問わず直撃します。コロナ経済危機の影響がさしてないのは公務員のような安定した雇用の人や、高齢者に典型的な財産をすでにしっかりと形成した人、あるいはもともと持っていた層であって、平素いかに創造性のあるフリーの仕事をしていても、まだ財産を形成できていない人は、不可抗力としての不況に出会えばひとたまりもないからです。100万人を超える人々がひと月の間に労働市場から消えていなくなり、今年、来年、新卒採用される若者の中からロスジェネが生まれるということは、彼らの生産性が失われ、彼らの人生の夢や希望が損なわれることを示しています。

 経済危機に対する日本の民意の鈍感さは、雇用が各国に比べて保護されていることによるところが大きいでしょう。ゆくゆくは彼らも影響を受けることになるのですが、大企業正社員はまだまだ危機意識が低い。以前、私がコメンテーターとして出演している番組が自粛期間中の生活を取り上げた時、知り合いから抗議されたことがありました。なんとなれば、それはモデルファミリーとされた家族像が一般庶民の感覚からはかけ離れていたからです。

“公務員の夫は不便さをこらえて在宅ワークをしている。専業主婦の妻はオンラインでジムトレーニングをするようになって生活費が浮いた。大学生の二人の息子のうち一人は、オンライン家庭教師でバイト代がむしろ上がった……”

 いったいどこの世界の話だ、と70を超えて非正規雇用で働いている彼女が思ったのも無理はありません。おりしも政府から、企業は7割の人員を在宅勤務させるように要請があったばかりですが、人々の境遇差による経験の内実のギャップは、とても埋められるようなものではありません。

 メディアが報じるこの手のストーリーは、何をしても難しいというところがあります。日本のマスコミは「ボクら」という目線を前提にしていますが、その共通体験としての「ボクら」が成り立たないところに分け入ってしまうと、いやみになったりまったく共感を呼ばないものになってしまったりする。だからこそ、私は報道も情報番組も、現場の丁寧な取材とあわせ、出演者は印象論ではなく数字と構造を語るべきだと思っています。一見とっつきにくいと思うかもしれませんが、数字をもとに話をしても、共感を誘い興味を引く方法はいくらでもあります。日本のテレビは引き続き、多方面への配慮ゆえに奥歯にものが挟まったような報道を続けざるを得ないのでしょうが、もはや彼らが新しい憧れのメディアではない今、「共通体験」などというものを仮想するのは難しいのだということを肝に銘じる必要があります。

 残念なことに、SNSの世界もそれに近づいてしまっています。テレビがマスコミュニケーションというからには、100万人以上から1000万人程度の視聴者を相手にしたもののはずですが、現状のSNSはそれほどのインパクトはないのに、「反響」はテレビ以上に感じてしまうメディアです。想定されていない受け手が、自分向けではないメッセージをせっせと拾い上げては噛みつく場になってしまっているからです。そして、メッセージが数十万人に届き、数万程度の共感を得たにしても、結局発信者が気にしてしまいがちなのは、数百~数千程度の噛みつきに来たタイプのコメントです。最近周りを見渡すと、どうもイライラしている発信者が多いように思いますが、これはやはり雑音を過大評価してしまう人間ならではの習性でしょう。もっと悪いのは、発信者の側に立つ人でも、自分の頭で考えるのが怖いタイプの人は、「いまの流れ」に引きずられてしまうことです。そうすると、発信者は自分のサークルの、自分のフォローしているユーザーの雰囲気をうかがい、意見を形成していく。となれば、それはもはや「議論」が成り立つ場ではありません。

 それが典型的に表れていたのが、ホストクラブなど「夜の街」と感染者数発表をめぐる報道や世論です。実は、ホストクラブやキャバクラの従業員が抗体検査に協力してくれる過程で、当初から彼らの間に一般よりも高い確率で感染が広がっていることは一部に知られていました。しかしそれが公になることはなく、政府や自治体は単に感染者数の増減ばかりを報道し、中身のリスクの実態をなかなか論じませんでした。院内感染で100人まとめて感染が判明した場合と、経路不明の感染者が100人出たのとは全く違う意味合いであるのに、です。

 情報の透明性を確保することは、感染症対応や、人々の政府に対する信頼の観点から重要です。いったいどこにリスクが存在するのか、どのようなタイプの感染の広がりなのかを政府に関わっている少数の人以外も把握できるようにするため、個人情報を含まないようにしたうえで、いまの感染状況を把握し共有する必要があります。感染者数だけを取り出して一様に自粛強化を迫るのは、(初めの1か月は医療体制の拡充が遅れて仕方がなかったにしても)社会の協力を得つつ継続的に感染症をコントロールするという観点から正しくありません。

 しかし、感染ルートを情報公開する目的は、「リスクを把握すること」と「誰がリスクに晒されているか」を洗い出すためにあるのであって、決して感染をすべて夜の街のせいにしたり、病院のせいにしたりして、差別するためにあるわけではありません。高齢者ホームの防疫体制の優秀さは日本の死者数を限定することができた大きな理由の一つだろうと思いますが、もしも高齢者ホームに集団感染が出たとしたら、まず心配の声を寄せられるのは入居者と介護職員でしょう。高齢者ホームが高リスクだからといって、ホームを解体しようなどという人はいないはずです。そこで生きている人がいるからであり、集団感染は第一義的に「彼らの負っているリスク」であるから。社会のリスクはその次に来る問題だからです。

 ところが、ふだんから社会に歓迎されず、よくても必要悪とみなされている「夜の街」となると世論は変わります。夜の街が高齢者にとって高リスクであることは確かですから、緊急事態宣言中の重点的な休業要請対象に含め、短期間休んでもらったうえで補償を行うのならばよいでしょう。それならば彼ら個人が負うコストとベネフィットがまあまあ釣り合っているからです。ところが、世間では緊急事態宣言中の東京都の協力金のようなスキームなしに、重症患者用ベッドが埋まっていない今の時点から休業させ取り締まるべきだという議論が出てきています。ほんとうは、特定の業種を倒産させろという圧力を許してはいけないはずです。

 挙句の果てに、論客の中には、この産業自体が性を搾取する構造にあるのだから、夜の街の労働者は低賃金かもしれないが需要のある分野に業界を超えて移動せよという声まで聞かれます。明確に違法営業ならば取り締まればよいのですが、合法に営業している店や労働者を取り締まる権限は世間にはないはずです。日本はいつから職業選択の自由という憲法上の権利を忘れてしまったのでしょうか。社会全体として労働者が足りないから、ホストは仕事をやめて中国人やベトナム人の代わりに農家の収穫を手伝えとでもいうのでしょうか。ホストクラブであっても、キャバクラであっても、彼らは感染者を出せば休業させられます。それは飲食店や普通の会社と同じ条件であり、感染による経済的なコストは同様に負っています。そして、いまのところ彼らは何の症状もなくとも積極的に検査に協力しているのであり、まだ集中的に調べていないほかの業界に感染者がいないというわけでもない。

 私はホストクラブやキャバクラがいいものだと言っているわけではありません。社会にとって必要なものだとも言っていません。表で禁じれば地下に潜るという合理主義的発想で言っているのでもありません。人びとには自分なりの発想で自由に生きていく権利、憲法に保障された職業選択の自由という権利があるということを指摘しているのです。彼らがほかの人の私権を害していないのだから、ほかの人が彼らの私権を害してはいけません。

 コロナによって、有用性の選別で優生思想がまかり通る時代になりました。私たちはハンセン病患者への差別をはじめ、歴史をあとから堂々と裁きますが、当時はその病気が社会に対する脅威だと思われていたことも確かなのです。仮に脅威だと思っていても、違う対応ができなかったか、というのがハンセン病の教訓です。だからこそ、私たちは人間性に対する洞察に学んで、徹頭徹尾、自制ということを自らに叩き込まねばならないのです。

(次週に続く)

■三浦瑠麗(みうら・るり)
1980年神奈川県生まれ。国際政治学者。東京大学農学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科修了。東京大学政策ビジョン研究センター講師を経て、現在は山猫総合研究所代表。著書に『日本に絶望している人のための政治入門』『あなたに伝えたい政治の話』(文春新書)、『シビリアンの戦争』(岩波書店)、『21世紀の戦争と平和』(新潮社)などがある。
※本連載は、毎週月曜日に配信します。
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