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目黒虐待死事件“結愛ちゃん母”慟哭の手記「夫は本当のことを言っていない……」

 東京都目黒区のアパートで当時5歳の船戸結愛ちゃんが虐待死した事件からまもなく2年。養父・船戸雄大と妻・優里が保護責任者遺棄致死に問われ、逮捕された。今月7日、優里が手記を出版した。
私は「逮捕された」のではなく「逮捕していただいた」のだ〉
 夫による壮絶な心理的DVの日々を、はじめて獄中で振り返った。/文・広野真嗣(ノンフィクション作家)

手記を出版した優里

〈私は、結愛(ゆあ)をボロボロにした張本人である彼に土下座して謝ればよかったと後悔した。だって私が私でなければ、私が体を張って止めていたら、私が逃げていたらこんなことにはなっていなかったから〉

 ――東京都目黒区のアパートで起きた船戸結愛(当時5)の無残な死から1年半が経った2019年10月3日、保護責任者遺棄致死や傷害の罪に問われた養父、雄大の公判に証人出廷した27歳の母親優里は、その晩、拘置所の自室に戻った時の心境をこう書き残している。

 自らを追い込み、娘を暴行し死に追いやった相手を非難するどころか、謝罪したいという心情をどう受け止めたらよいのか。

 付け加えておくと同日の昼、刑務官に抱えられ怖いと泣きながら証言台に立った際の優里は、雄大が衰えていく娘を放置した様子を証言し、最後に「もう結愛と息子には近づかないでほしい」と毅然と述べている。

 しかも複雑なことに、翌日になるとかりそめにも謝ろうなどと考えた自分を責め、弁護士に「誰か私を殺してくれませんか」と手紙を書いたというのである。

 事件から2年になるのを前にした今月7日、優里は手記『結愛へ』(小学館刊)を出版した。引用文は、その一節である。

 18年3月2日、結愛はわずかな食事しか与えられなかった栄養不足と暴行による免疫力の低下で肺炎を患い、敗血症で亡くなった。

 遡れば1月23日に上京し家族4人で暮らし始めてから実に39日の間に、16・6キロあった結愛の体重の4分の1が失われ、遺体には170か所の傷や痣(あざ)があった。「おねがいゆるして ゆるしてください」と許しを乞う結愛の反省文の存在が報じられると、さらに衝撃をもって受け止められた。

 雄大は暴行や放置の起訴事実は争わず、懲役13年の刑が確定している。雄大の行為を見逃し続けた優里も保護責任者遺棄致死罪で懲役8年。「雄大から心理的DVを受け、雄大からの心理的影響を強く受けていた」と認定されたが、「強固に支配されていたとまでは言え」ないとして、責任を大幅には減じられなかった。現在は控訴中である。

 1審で優里は丁寧に答えてはいた。だが、記憶の一部にブロックされたように空白の部分があり、問答には、かみ合わない場面も目立った。

 手記は、2冊のノートが元になった。逮捕されてから1年ほど、優里は「結愛のところに行きたい」と自殺願望が拭い去りがたくあった。ノートはそうした複雑な気持ちをありのままに書き残したものだ。

 昨年9月の裁判を迎えた頃、優里はノートの存在を弁護士の大谷恭子に伝えたという。DVや児童虐待で傷つき、亡くなる犠牲者を1人でも少なくするために、という大谷の勧めもあり、事件までの経過について加筆することで手記は成った。

 これまでの裁判や優里自身への面会取材を通じて知りえた事実と手記を突き合わせながら読むと、なぜ優里は児童相談所や病院と関わりを持ちながらも「助けて」の一言を発することがないまま追い詰められたのか――その生々しいプロセスに触れることができる。

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手記は2月7日に発売

「お前はマグロだからな」

 優里は手記にこう記している。

〈離婚したいのにできない本当の理由が私にはわかっていなかった。それは支配の構造だ。私はあの人に支配されていた〉

 ではなぜ、支配が強まったのか。手記から浮かび上がるのは、その背景に優里が雄大と出会うまでのいきさつが影響しているという点だ。1月半ばに面会した際、黒髪を肩の辺りで切り揃えた優里は言った。

「今になって思えば、似た人を選んでいたと思います。結愛の実父も、感情表現が苦手で友達も少ない私とは正反対の人。優しくて頼りがいのある私の父親の姿を求めてしまっていた。彼らも最初は優しかったけれど、次第に変わった。その変わった夫を父親のようにしていくには、私が説教を我慢して頑張ればいいんだと思い込んでいました。その“頑張る方向”を、はき違えていた」

 結愛が生まれたのは12年3月。父親は地元・香川県の高校時代に付き合い始めた同学年の男だった。

 19歳同士の若い夫婦はお金もなく、生まれて3か月で結愛は保育園に預けた。夫は結愛を可愛がったが、家事や育児はしなかった。加えて夫は服やアクセサリーに金を使ってしまうため、家計を補おうと優里は昼の営業職に加え夜も働いた。

 2人目が欲しいという優里の求めを夫は拒む一方、ほかの女性と食事をしていた、と知人から知らされた。14年に離婚するが、離婚届を持って優里が立ち上がると、「お前はマグロだからな」と、性行為の際のおとなしさを揶揄する暴言を吐いた。「なんでそんなことを言うの?」と優里は深く傷ついた。

再婚、そしてつかの間の幸せ

 母子家庭になり、優里はキャバクラで働き始める。元夫の暴言の傷を拭い去ろうと、愛のない相手と関係を持ったこともある。だがすべてを癒してくれるのは、幼い結愛だった。好物はチョコレートやチーズ味と2人で一緒、仲の良い母娘だった。

〈そのころ結愛はよく私に向かって、手で銃の形をして、バキューンと言ってきた。私は「ウッ」と苦しんで、死んだふりをする。結愛はゲラゲラ笑って何度も私を撃ってくる。笑いはいつまでも絶えなかった〉

 元夫は養育費を払わないどころか、離婚後も金をせびった。脅し口調だから断れない、そんな身の上話に耳を傾け、「利用されただけ」と優しく気づかせてくれた男がいた。店のボーイをしていた8歳年上の雄大だ。

 岡山県に生まれ、北海道札幌市育ちの雄大は、東京の大学を出て通信関係の企業に就職。7年ほど勤めたが札幌に異動した後に退職し、地元の水商売の店で働いた時の伝手で香川県の店に転職してきていた。

 社交的で物知りで、何より優里の気持ちを上手に言い当てた。

〈私も賢くなりたい。バカだからいつも失敗ばかりして、順風満帆な人生にならないんだ。(略)彼からたくさんのことを学びたい、彼に導かれたいと、本気で思うようになった〉

 雄大は保育園の送り迎えについてきてくれ、洗濯も料理もする。結愛も「お兄ちゃん」と呼び懐いた。

〈今度こそ、お父さん、お母さん、娘というあこがれの家族になれる〉

 15年11月、職場恋愛禁止のルールに違反をしたとして2人は店を解雇される。オーナーからは「年末年始も働くなら」と猶予の提案もあったのに、優里に確認もせず2人とも辞めると断り、雄大は食品会社に転職。強引ではあったが、当時はそれも頼もしく感じていた。

 翌月は自宅で3人のクリスマスパーティー。年が明けると結愛は雄大を「パパ」と呼ぶようになっていた。

 16年2月に妊娠がわかり、4月には再婚。雄大は結愛を養子にした。教育に熱心な雄大に言われ、結愛を保育園から幼稚園に入れ直した。

「しつけ」という名の暴力

 自由だった母娘の生活は、入籍後の半年の間に180度、変貌する。

「結愛の幸せのため、お前の育児の負担を減らすため」という理由で、雄大はしつけをすることを求め「外国では小さな子が1人で寝るのは当たり前」「風呂も着替えも1人でできる」とまくしたてた。

 抗弁すると説教は長時間に及んだ。入籍前にも一度あったが、入籍後は毎日のように説教された。

 悔し涙をこぼす優里に対し、当初は「もう泣かないの」と頬の涙をぬぐってくれたが、しばらくすると「泣いて許されると思うなよ」に変わった。適当なことを言えばなじられ、反論すれば余計に長引いた。

〈次第に、「なんでわからないんだ」と、(略)鼻をつままれたり、顎(あご)をつかまれて強くゆすられたりするようになった。「わかりました」と言っても許してくれなくなった〉

 自分も疲れて帰ってきてこんなことはしたくない、でもお前らのためにやっている。そう言われると申し訳ない気持ちになった。

〈私がバカなだけだ、私が頑張らなくちゃと言い聞かせた〉

 当時の雄大のやり口の特徴は検挙されるような暴力を自分からは用いずに圧力をかけるところにある。

 結愛に厳しくするのは優里には苦痛なのに、その苦痛を強いた。その1つが“顔つけ”だった。

 夏に3人で海に行った際に結愛が水面に顔をつけられないと知った雄大は、翌日からお風呂で練習させ、毎日帰宅するとできたかと訊いた。

 叱られることにびくびくして焦った優里は「早く顔をつけないと、押すよ」と脅すように声を荒らげ、結愛は大泣きした。そのやり取りを聞いた隣人が通報。初めて通報されたのは雄大でなく優里だった。

〈私は、必死だった。なぜ娘のプールの練習をしているのに隣の人が余計なことを言うの?〉

 正座しながら3時間の説教を受けた。終わると「怒ってくれてありがとう」と言うようになり、携帯にメモした反省文を翌朝にLINEで送ってようやく説教は終了する。台所に忘れてはいけないことを紙に書いて貼ると、雄大は満ちたりた表情をした。この経験が後の「おねがいゆるして」の反省文の布石となる。

 雄大は優里に偏った理想を押しつけた。コンビニ弁当を平らげた臨月の優里を「女なのにあり得ない」と難じた。妊娠前は痩せている方だったと反論すると、170センチ、46キロというモデルの体重をネット検索で探し出してきた。優里は雄大の前で1人前の食事をすることができなくなり、残した半分を差し出すと「お願いですから食べてください、だろ」と威張った。優里の食事のサイクルは乱れた。

〈2、3日食べないで、食べる時は隠れて、食パンの1斤くらいを一気に食べた〉

 顎を揺する脅しも食事制限もDVだが、そんな認識は当時の優里にはない。DVは結愛への虐待と複雑に絡み合いながら進行した。痩せれば友達も増える、モデルになれる、と結愛のおやつは禁じられ、幼稚園の預かり保育で出されるおやつをやるなと言えという。口答えすると「だったら夕食を減らせ」と言い出して、お代わりはなし、になった。

サッカーボールのように腹を蹴る

 息子が生まれたのは、結愛が4歳の16年9月。乳児を抱えた優里に代わって、雄大が直接、結愛の面倒を見るようになる。

〈理詰めだった。最初は優しく語りかけて、質問攻めにする。そして誘導して、自分で答えを導き出したように思わせる。そんなやり取りを見ていて当初は上手だな、と思っていた。だけど何か変。いつもいつも結愛の顔は不満そう〉

 雄大は「赤ちゃん言葉を使うな、1人前の大人として扱え」と言っていたくせに、雄大が息子に対する時は赤ちゃん言葉が出た。雄大と結愛の間には、険悪な空気が漂い始める。11月に教会で結婚式を挙げた直後、不安は現実のものになった。

〈結愛が床に横向きに寝転がっていた時、彼が思い切り、結愛のお腹を蹴り上げた。まるでサッカーボールのように。(略)心をおおっているものにひびが入り、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた〉

 吐き出すように「やめて」と泣き叫んだが、雄大は「かばう意味がわからない」と激高した。

 結愛は16年12月と17年3月にそれぞれ行政に一時保護されている。1回目は夜にアパートの外で蹲(うずくま)っており、唇と目のふちと耳たぶに傷があった。1か月で保護が解除されると2か月もしないで2回目の保護。この時は1人走らされていた。

 結愛は車の中で雄大から叩かれたと警察官に告げたが、雄大は「この子は嘘つきで困っている」と食ってかかって認めず、優里には口裏合わせのメモを覚えこませ、実際、不起訴に終わっている。

 それでも当時、保護の措置に優里は安堵した。自分ではどうしたらよいか出口が見えなくなっていた。

 1度目の保護の後、勇気を振り絞って「結愛にやりすぎだ」と言うと、雄大は「お前のようになっていいのか。バカで男に利用されて捨てられて男の前で股広げる女にしたいのか」と言い放った。優里は二の句が継げず、謝るしかできなかった。

 2度目の保護期間中には、優里の身も変調を来し始める。

〈面会に行って、結愛を抱きしめたり、膝の上に座らせたりすると、なんだか違和感を覚えた〉

 子供扱いするな、くっつくなと叱られ続けたせいで、雄大がいない所でもハグができなくなっていた。当時は理由がわからず戸惑った。

 17年7月には2度目の保護も解除されたが、直後の8月と9月、定期的に通院するようになった病院の医師は、結愛のこめかみや腿にコブや痣を確認している。

「親があんなだからバカ娘が……」

 優里は孤独感で追い詰められた。“施設に結愛を入れて離婚してから迎えにいこうか”とか、“自分が結愛を叩いたと申し出て逮捕してもらえば結愛を一時保護してもらえるだろうか”という選択肢を本気で考えた。

 雄大にやられるよりはと自分で結愛を説教するが、割り込まれて結局結愛が説教を受けるはめになってしまい、うまく立ち回れない自分に苛立った。真っ赤にはれ上がるまで腿を叩き続けたり、過食しては下剤を飲むのを繰り返したりした。

 自分がおかしくなっていると感じ、精神科医を紹介してもらったが、下剤の服用量を聞かれ「もっと飲んで苦しんでいる人はいる」と診察は1度で終わり。「努力が足りない」と言う雄大の言葉がやっぱり正しいのだ、と結論せざるをえなかった。

 雄大は当時、「親があんなだからお前みたいなバカ娘が生まれた」と優里の両親をバカにし、優里が友人の話を持ち出すとこれも貶(けな)した。実家には近寄れず、保護されたことも伝えていなかった。友人にも会いづらくなっていた。

 意図していたのかどうか、優里は“避難場所”への経路をあらかじめ断ち切られていたのだ。

「結愛が太った。締め直す」

 17年11月、以前から話題になっていた東京に移る計画を準備し始めるとようやく雄大の圧は緩んだ。翌月、先に雄大が上京。年末年始の1か月、優里は子供2人を連れ両親の下で生活した。結愛もよく食べ、笑った。「東京に行けばみんなうまくいくはず」と考えたが、実際には、悪夢の39日間の始まりだった。

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 東京のアパート暮らしは雄大の仕事がない分、雄大と結愛が顔を合わせる時間が増えた。

 3日目で「結愛が太った。締め直す」と言い出した雄大は、食事は自分が作ると決めた。2月初めには結愛の顔を手の甲で思い切り殴った。

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