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美しい生き方|中野信子「脳と美意識」

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※本連載は第32回です。最初から読む方はこちら。

 自分のように中途半端にメディアに出る仕事をしていると、知らない人から声をかけられるとき、意外なほどの怖さがあることに気づかされる。その人が自分に対して、匿名の存在だからだ。好意的に思われていることが明らかにわかるようであっても、時にはその中に針のように毒が仕込まれていることがある。わざわざこちらを傷つけるために、最初は砂糖菓子やぬいぐるみのようなもの柔らかな態度で近づいてきて、いきなり攻撃的な言葉で切りつけるようなことをしてくる人もいる。過度にセクシャルなメッセージや、変態的な動画を送り付けてくるもの好きな人もいる。私はただの太った中年女なんですがね……。世の中には奇特な人が多いものだと思う。

 一方で、私にとっても、私は相手のことを知っていても、相手がこちらを知らない可能性が高いという人に会う機会がある。そのとき、どう接したら安心してもらえるのか、まだ探り探り応対してしまうこともある。

 肩書のせいなのか、どれくらい相手のことを見抜けますかとよく聞かれる。基本的には、見抜くも何も、その人の日々の振る舞いや選択には既にその人が現れてしまっているのだから、そのままその情報を使えばいいのである。特に、私のような肩書ではなくとも、多くの人がそういう風にして「見抜いている」はずである。あの人はちょっと振る舞いが変だとか、服装がアレだとか、言葉遣いだとか、声の調子、箸の使い方、普段のくせ、歩き方、等々。意識的にその部分を変えることは難しい。完全に正確に見抜けるかどうかには疑問の余地が残るものの、チャンスレベル以上の確率で粗々その人のことを把握できる。その程度の情報があれば、そこそこの間柄でいいのなら、十分コミュニケーションをとることが可能だろう。

 問題なのは、それ以上の関係を望むときだ。その人が「どう扱われたいと思っているのか」が肝要になる。

 人間には、自分以上に大切な存在は、基本的には存在しない。存在するケースもあるが、そういう人はむしろ要注意である。自分よりも大切な何かのために、ほかの人の生命さえ犠牲にしてもかまわないというマインドセットを、潜在的に持っているということを示しているからだ。極言すれば、こういう人にあまりコミットしすぎれば、その「何か」のために殺されても文句は言えない。その「何か」は、名誉であったり、金であったり、宗教であったり、絶対的に崇拝している誰かであったり、美や科学的真理や思想など抽象的価値であったりする。が、一般的には、現代人では自分より大切な何かというのを持たないケースが多いだろう。

 たいていは、その人にとってはその人が一番大事。であれば、一番大事なものを正当かつポジティブに評価するのが最適解となる。

 とまあ、理屈では理解できてはいても、なかなか自然にそうふるまうのは難しい。その人にとって、その人のどんな資質が最も大切なのかを見抜かなければ、この方法も効果が半減してしまうからだ。なるべく観察の機会を持つことをおすすめしたい。

 ところで、意識的に振る舞いを変えられるものかどうかについても軽く考察してみたいが、集中力を持って、ある程度、限定的な数時間くらいは、振る舞いや選択を意識的に調整することは可能だろう。しかし、まあまず24時間365日休みなしというのは無理がある。それでも、たったの1年である。その後一生、注意を途切れさせず行動するというのはもはや不可能だ。1年でも続けば見事だとは思うが、そこまで律し過ぎた人はどこかにしわ寄せが来ているに違いなく、頭痛がひどかったり、身体的に影響が出ていたりすることも考えられる。何より周囲の人がしんどいだろう。なるべく近い付き合いをしたくないなと私は思ってしまう……。たまにこういうことを楽々できる人もいるのだが、そういう人物は虚言癖か詐欺師であることをつい疑ってしまう自分がいる。もし本当にそうなら、それこそ絶対に付き合いたくない。

 自然に選んでしまうものと、自分の行きたい方向がかみ合っていない状態を見るとき、私たちはそれを美しいとは感じない。ただ、その間違った行きたい方向というのは、実は周りから刷り込まれたりして形成された、つまらないものだったりもする。淡々と、自分が自然に選ぶものだけを大切にして、注意深く取り分けていけば、それで十分美しい生き方ができるはずだ。単純な話だと思うけれど、そこに目を向ける人は少ない。けれど、それが美意識というものではないだろうか。

(連載第32回)
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■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。京都芸術大学客員教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。
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