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買い占める脳|中野信子「脳と美意識」

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※本連載は第20回です。最初から読む方はこちら。

 台風など、災害をもたらすものが近づいてくる時や、パンデミックのさなかに、多くのみなさんが「災害や新型コロナウイルスの感染拡大が、ただちにトイレットペーパーの不足を引き起こすわけがない」等と理解はしているはずなのに、つい、いつもより多めに購入してしまったりする。

 面白いことに、日本トレンドリサーチが実施した調査で、「買いだめ」をしたという人に「マスクやトイレットペーパーなどが『今後不足する』という情報はデマだと知っているか」と聞くと、91.5%が「知っている」と回答したという。さらにこれに加えて、「今回の品薄・品切状態は買い占め行為が引き起こしている」と言われていることを知っているか聞くと、90.6%もの人が「知っている」と答えたとも。

 つまり、理屈ではほとんどの人がわかっている、ということになる。それでも「もし万一、本当になくなってしまったらどうしよう」という不安を、9割もの人が、理性で打ち消すことができていないのだ。そして、その不安を癒すことができるのは、買いだめ行動だけ、という状況なのだ。

 こうした不安は人類に共通のものだ。ただし、日本人にはより強く感じられるかもしれない。有名な「セロトニン」は不足すると不安感が高まることが知られている。セロトニンの動態を見ると、ただ分泌されるだけでなく、分泌されて余ったセロトニンは取り込まれて再利用されている。ところが日本人には、分泌されたセロトニンを取り込んで再利用しにくい遺伝子を持つ人の割合が97%もいるという、特徴的な傾向がある。このため、セロトニンの働きが悪く、不安を感じやすくなる。東アジア諸国には似た傾向があるが、その中でも日本はひときわそれが強い。日本では念のために準備しておこうと考える人が諸外国より多いとしたら、そのためかもしれない。

 この不安を取り除くにはどうしたらよいか。なんとか買い占め状態をなくし、多くの人が不利益を被る状況を回避する方法はあるのか。不安が「念のため」の準備をさせるのに役に立っている部分もあるため、物量からのアプローチでは難しいだろう。単に供給を増やすだけでは、不安に乗じた転売を行う人々の利益を誘導するだけだからだ。多くの人は「念のため」と備える方が安全だと信じており、歴史的にも実際にそういう人たちのほうが生き残っているためにこうした人口比になっているのだろうという推論が可能だ。そうすると、なかなか買い占めという現象はなくならないのではないかという暗い予測にどうしても傾いてしまう。

 安心感を与えるためには、情報による可視化はひとつの良い選択肢になり得るだろう。ただ、一元的なデータしか与えられない場合、本当にその情報は信頼できるのかどうか、というところまで気にし始めるのが不安傾向の高い人の性質でもある。不安を緩和し、集団的な恐慌状態を回避するためには、どれほど疑い深く検証しても堅牢で崩れることのないデータが必要となってくるだろう。たとえば、在庫がどこにどれだけあって、原料の調達の状況はこうで、生産には何日かかって、流通にはどれくらいかかるか、といった一次情報があれば随分と違ってくるだろう。パニックが起きかねない局面でだけでも一般の人が参照できる仕組みを作ることができればかなり状況は改善されるはずだ。

 信じるためにどこまでも疑う、という一見逆説的な行為は、自然科学の基本的な態度でもある。ただ、一般社会においてこれを適用してしまうと、その振る舞いは美しいとはみなされないだろう。たとえばパートナーの浮気を疑う人というのは、「どんなに疑っても大丈夫だ」と思いたいがために、疑うことをやめられなくなり、中毒のように疑うことに依存的になってしまいもする。

 それと同じ心理が集団的に生じる現象が、近年SNSを中心に見られるようになっているのは興味深い。これらの人は「どんなに疑っても、これほどの在庫があるのだから絶対に大丈夫」ということをその都度確認できる状態にないと、本当に安心はできない。例えば、「人口1人あたり何ロール分あって、それは、今仮に原料の供給が止まったとしても数年は持つ計算になるから、買い占める必要はない」などといったような情報だ。文章にしてみるとやや病的な態度のようにも見えるが、人間の、理性では制御しきれない一つの側面でもある。

(連載第20回)
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