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美しい人――大下容子さん|中野信子「脳と美意識」

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 大下容子さんのことを書こうと思う。

 キー局のアナウンサーとして長く活躍され、現場での職責はそのままに、本年6月、エグゼクティブアナウンサーとして役員待遇となった。現在放送中の「大下容子ワイド!スクランブル」や17年まで放送された「SmaSTATION!!」などでの彼女の姿を知っている人には説明するまでもないことだが、控えめで他の出演者を常に引き立たせるよう気を配る様子や、決して派手なアピールはしないけれども上品さが香る立ち居振る舞いが支持を得ている人である。

 本人と話をすると、入社27年目になるけれどもいまだに放送後に、うまくいかないなぁ、と落ち込むこともあるのだという。番組に出演した人に気持ちよくお話しいただけたかな、と気になるのだと。こうした言葉を聞くと、ああ、この人は自分に対してなかなかOKを出さない、「律する人」なのだな、と思う。私服も、抑えた中にさりげなく、センスの良さが感じられるポイントが必ずどこかにある。悪目立ちしてしまう人とは真逆の、本当にお洒落な人、というのはこういう人をいうのだと唸らされる。

 脳科学的には、メタ認知の能力が高い人、ということになるだろうか。メタ認知というのは、脳の前頭前野、背外側部の機能で、自分の行動を見張ってコントロールする働きのことを言う。この機能が高い人は、あまり逸脱した行動を取ることはないし、TPOを良く踏まえた上で、的確な発言や適切な振る舞いをすることができる。落ち着いた大人の脳、ということもできるだろうか。

 情報番組は多くあるけれども、その番組を仕切るMCの人々はどの方も皆それぞれ個性的で強いキャラクターを持ち、それがしばしば賛否両論を呼ぶことがあり、ネットニュースにもなったりする。一方で大下さんはそうしたあり方とは一線を画しているようにみえる。 いわば、 特色ゆたかなオリジナルドリンクや、シグネチャーカクテルで強い印象を与えることで勝負しようと頑張る人たちが多い中で、「美味しい水」であることを目指しているようなものかもしれない。

 生放送では言いすぎるより言い足りないくらいのほうが良いと肝に銘じている、ということを伺ったことがある。言わなくて失敗をすることもあるが、言い過ぎて誰かを傷つけてしまったりするかもしれないことを考えれば、その方が良いのだと。

 大下さんのあり方は、まるで余白を残す水墨画のようだ。余白を残す=相手に考える余地を残すということ。すべてを詳らかにせずともわかるだろうと相手の知性と共感性を信頼しているのである。これは、何気なく見えるが、かなりの勇気とバランス感覚を必要とする。多くの人はこうした話し方の中に、意識にこそのぼらないかもしれないけれども、相手への信頼と敬意を忘れない心の持ち方というのを見ているものなのだろう。

 彼女は決して自分から目立つアピールをしたり、競争に参入するタイプではないのに、エグゼクティブアナウンサーに昇格した、というのは後輩である女性アナウンサーたちのみならず、多くの女性を勇気づけたのではないかと思う。

 昇格については全く予期していなかったことで、27年間、目の前のことを必死にやり続けてきたらこういうことになった、と本人はいう。「現場のアナウンサーとして、後輩たちの目標になってほしい」と言われ、これは現場の声を上に伝える役目なのかなという思いでその話を受けたということだった。自身は何も変わっていないけれども、周りの女性たちがみんな喜んでくれるのがうれしいとも。

 男性アナウンサーは結婚を期に退社ということはほとんどなく、年齢と経験を重ねながら会社でのプレゼンスを大きくしていく。女性アナにも同じキャリアパスがある、という道を、大下容子という存在が静かに着実に切り開いたようにもみえる。淡々と仕事を続けてきたことが会社から正当に評価され、「これからも頑張って」と言われたことは、女性にとって大きな希望となった。押し出しの強いタイプではなく、淡々と自分のなすべきことに真摯に向き合い、ひたむきに努力を重ねた結果として現在がある、というキャリアパスを、美しいと感じる人は多いのではないかと思う。

 たとえば、上司に食事に誘われて行かなかったら仕事が来なくなるのでは、という心配をする若い人たちもいるだろう。しかし、仕事をさせてもらえているのだから、そこに傾注するほうが先であり、気にしすぎるのは本末転倒であるともいえる。無理して機嫌をとることをスタンダードにしていっても、同じ条件のもとでなら、仕事に注力している方を評価しようというのは道理だ。自分を耕すことにエネルギーを使ったほうが、職場のためにもなり、自分の得にもなる、という考え方は、合理的であり、しかも美しい。

(連載第21回)
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■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。
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