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日本人の欲望に答え続けたヒットメーカー「古関裕而」を辻田真佐憲がいま書く理由とは?

3月19日、文藝春秋digitalで連載中の辻田真佐憲さんが『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』を上梓した。古関裕而といえば、「六甲おろし」や甲子園のテーマ「栄冠は君に輝く」などで知られる作曲家。今、なぜ古関について書くのか。その理由を、辻田氏に尋ねた。

――なぜ、古関裕而の評伝を執筆したのでしょうか。

辻田 NHKの朝ドラ「エール」が決まったからですね(笑)。それは冗談ですが、私は子供のころから同時代のポップソングよりも、昭和歌謡や軍歌を聞いてきましたので、古関の名前には親しみがありました。古関はいつか何らかの形で書いてみたいテーマでした。

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――そもそものところをお聞きしますが、古関裕而という人はどういう人物なのでしょうか。

辻田 日本が誇るヒットメーカーのひとりです。その上、活動の幅が飛びぬけて広い作曲家です。歌謡曲や軍歌にはじまり、映画やラジオドラマ、テレビアニメのテーマソング、さらには団体歌や社歌、自衛隊の歌、宗教団体の曲まであらゆる曲を作っています。生涯で5000曲を作曲したともいわれます。

もともと交響曲などを作り、世界で活躍する作曲家に憧れていましたが、夢かなわず大衆向けの音楽を作ることになりました。生涯クラシックへの敬慕を持っていたようです。

しかし、自身の作風はジャンルも飛び越えれば、思想信条もあまり関係がないんです。戦前は軍歌を作っていたけれど、戦後は鎮魂の歌でもある「長崎の鐘」を作る。阪神の応援歌「六甲おろし」を作るし、巨人の「闘魂込めて」も作ってしまう。この幅広さが、古関裕而の最大の特徴だと思います。

そして、何よりすごいのは、時代を超えて現役で使われ続けている曲が多いことです。ここが昭和に活躍したほかの作曲家との大きな違いかもしれません。しかも、それは未来永劫愛され続ける可能性がある曲なのも、面白いですよね。たとえば、阪神ファンが「六甲おろし」を歌わなくなることが想像できますか? 早慶戦で早稲田の学生が「紺碧の空」を歌わなくなるなんて想像できませんよね(笑)。

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――聞けば聞くほど、すごい人だとわかります。

辻田 個人的な感覚では、50歳より上の世代になると、テレビ番組に出演していた古関の姿を覚えている人が多いようです。私の両親もそうでした。それ以下の世代になると、顔も名前も正式な曲名も知らないけれど、メロディーは知っている人がほとんどです。同世代を見ても「古関が好き」という友人は一人もいませんでしたね(笑)。

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――子供のころから聞いてこられたというのが、軍歌研究で文筆家デビューをされた辻田さんらしいですね。

辻田 大阪出身なので、知らずのうちに古関が作曲した阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」や「モスラのテーマ」などは聞いていたとは思いますが、古関裕而を強く意識したのは中学生のときでした。

終戦50年の1995年に、日本コロムビアよりリリースされた「歌謡で辿る昭和の痕跡 軍歌戦時歌謡大全集」。ヒットソングからマイナーな曲まで、オムニバス形式で収録されていていたこのシリーズを、私は東京に遠征したりして(当時、アマゾンなどはありませんでした)、地道に買いそろえていました。そしてその最終巻が、「古関裕而作品集」と題されていて、全15巻の中で唯一、一人の作曲家に焦点を当てたものだったのです。もともと「露営の歌」や「英国東洋艦隊潰滅」などは知っていましたが、このCDで「この曲も、あの曲も、古関作曲なのか」と強く意識するようになり、その作品世界に魅了されました。

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――面白いですね。今回は古関裕而さんのご長男へのご取材や資料の提供もしていただいたそうですね。

辻田 ご長男の古関正裕さんに、ご両親の話を伺いました。古関裕而と妻の金子は当時珍しかった恋愛結婚なのですが、そのきっかけになったのが、金子の送ったファンレターに始まる文通でした。快くその手紙の現物を見せていいただけました。赤いインクでハートマークとかキスマークを書く、二人のやり取りにはこちらが恥ずかしくなりましたね。

今回取材する過程で最も印象が変わったのは、妻の金子なんです。私は見たことがほとんどないのですが、朝ドラは女性を主人公にすることが多いそうですし、古関を支える奥さんとして描くんだろうな、と漠然とした印象を持っていました。ところが、福島の古関裕而記念館で、資料を調べ印象が変わりましたし、彼女をきちんと位置付けることで、古関の生涯もより際立つと思いました。

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――それほど大きな発見があったのですね。

辻田 福島に逗留して記念館に毎日通っていたところ、学芸員の方と親しくなりました。ちょっとした雑談をしたり、古関の音楽について話をしていると、ある時「面白いものがありますよ」いってスクラップ帖を出してきてくれたんです。これは、金子が作っていたもので、自分の記事をまとめたものでした。

――夫の裕而ではなく、自分自身のですか。

辻田 裕而のものもありましたが、注目したのは金子のものです。実は戦後、金子は株取引に熱中していまして、トレーダーとして有名だったんです。「株は芸術なり」という名言(?)も残しています。当初の金融関係のメディアでは某作曲家夫人と記されていたのですが、どんどん有名になって、古関金子の本名や写真入りで登場するようになり、「百戦錬磨の利殖マダム」として投資の体験談を語ったり投資指南も行っている。自分の夫の契約先である日本コロムビアの株も投資家目線で評していました(笑)。正裕さんによれば、渋谷の山一証券に毎日のように出かけていたそうです。

世は右肩上がりの成長期ですし、どこまで株取引が上手だったのか本当のところはわかりません。いずれにしても、古関金子は自分の考えや主張を強く持っている女性であり、高度成長期の日本を体現する女性だったとみることもできます。夫はそんな妻をやさしく見守っていたようです。

彼女の姿をどのようにドラマでは描くのか興味深いです。いや、ぜひNHKには、その逞しい部分を取り上げて欲しいですね。「夫を支えた……」だけでは勿体ない。

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――それは辻田さんならではの視点ですね、他にはどのような発見がありましたか。

辻田 古関裕而のようなビックネームでも、資料整理が始まったばかりで、まだ、宝の山が眠っているという印象を受けました。古関が所属していた日本コロムビアにお願いをして、いろいろな資料をみせてもらいました。レコードの製造枚数が記入されている、「レーベルコピー」と呼ばれる資料を見たときは、感激しました。戦前の音楽シーンは現在のようなきちんとした集計システムがなかったので、ヒットといってもどれくらい売れていたのか、本当のところはわからなかった。今回レコード会社の内部資料で古関の売り上げが部分的とはいえ裏付けられれたことは、非常に大きいことです。

古関家にはコロムビアとの専属契約書も残っていて、印税がどのように計算され、支払われていたのかもわかりました。別々のところに大事に保管されてきた資料を重ね合わせることで、新しいことや知りたかったことが分かるのは、素直にうれしかったですね。その興奮が読者のみなさんに伝わるといいのですが……。

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――古関の出身地である福島には何度も通ったそうですが、資料集め以外にはどのような取材をなさったのですか。

辻田 旅先では土地のものをと決めているので、夜は居酒屋をハシゴしていました(笑)。直接、新書の原稿にはならないですが、こういうところで話を聞くのがとても大事なんですよ。地元の酒場で、「古関のことを知っていますか」と聞いたところ、「知ってるよ」「駅の前に銅像があるからね」と返ってくる。東京だとこうはなりませんよね。面白かったのは「好きな曲はありますか」と聞いたら「わらじ音頭だね」と。毎年夏に福島で行われるお祭り「わらじ祭り」のテーマソングを古関が作っているんです。やはり、地元に愛された音楽家なんだなと再確認することができました。

このあたりの取材旅行記のようなものは、どこかで書きたいと思っています。

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――最後に本書の読みどころを教えてください。

辻田 昭和という時代と音楽家の人生をなるべく読みやすく書いたつもりです。ともすれば、音楽関係の本は「オレはこれだけマニアックなことを知っているぞ」という内輪に向けたアピールに陥ってしまうことがあります。それでは、その分野に詳しくないひとを白けさせてしまう。たとえば、「SPレコード」といっても、You Tubeや配信サイトで音楽を聴いている世代にとっては、なんのことかわからないと思います。そこで、そもそも、レコードとはどんな製品なのか、という部分にもページを割き、歴史と現在のなめらかな接続を試みました。

それから、タイトルにも入っていますが、私は古関裕而という作曲家の生涯を追うだけでなく、彼から見える昭和という時代そのものを描こうと思いました。歴史上、どの国にも政治的・経済的・軍事的に大暴れした「黄金時代」がありますが、日本にとっては昭和がまさにそうだったと思います。古関は明治に生まれ、大正に青春を送り、戦前、戦中、戦後と昭和を通じてヒット曲を生み大活躍をしました。そして、平成元年に亡くなっている。まさに、昭和を代表する人物だと思います。

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――昭和史を書くこともテーマだったのですね。

昭和史研究は、質が高く、量も膨大です。政治史や外交史などは非常に精緻ですよね。ただ、その分、人間を描くよりも組織や思想を細やかに描くものが増えている。それは結構なのですが、あまり詳しくない一般の読者を遠ざけているところもあるのではと感じていました。

その上、昨今、歴史研究の界隈では、極端な実証主義アピールが席捲しています。実証主義はもちろん大切なことだと思いますが、それに捉われすぎると窮屈になりませんか? と常々思っていました。トンデモは困りますが、歴史書はもっと多様であっていいはずです。「実証主義だけで歴史修正主義も完全に退治できる」といった態度も疑問でした。物書きの端くれとして、自分なら別のアプローチができるのではないかと考えていた。そのときに、昭和の音楽史、中でも大衆音楽の歴史というのは、研究が進んでいるとはいえないし、自由度が高いテーマだと感じたんです。

今回、入手できうる古関関連の資料を片っ端から集めて、読み込みました。それでも、他人の人生を知ろうとすると空白の部分は出てくるわけです。そこで、資料から類推できる範囲で、私なりに会話を構成してみたりと、新しい表現方法を模索しました。

それが成功しているのかは、読者の皆さんに委ねたいと思います。

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■辻田真佐憲(つじた・まさのり/Masanori TSUJITA)
1984年、大阪府生まれ。作家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『天皇のお言葉』『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『文部省の研究』(文春新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、『愛国とレコード』(えにし書房)などがある。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。


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