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「三国志」乱世のリーダーに学ぶ 宮城谷昌光×太田純

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諫言ほど難しいものはない。/宮城谷昌光(作家)×太田純(三井住友フィナンシャルグループ社長)

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宮城谷氏(左)と太田氏(右)

徹夜で読破した強烈な体験

太田 今日は憧れの宮城谷先生とお話しできて大変光栄です。浅学非才を晒すのではないかと、脇の下に汗をかいております。

宮城谷 いえいえ、とんでもない。こちらこそ勝手なことを書いているだけの人間ですから。

太田 私は先生の小説の“大”愛読家でして、はじめて読んだのは20年以上前になります。週末に読む本を買おうと思って本屋に入って出会ったのが『|
孟嘗君《もうしょうくん》』でした。

宮城谷 戦国時代に斉の宰相となった、田文こと孟嘗君ですね。赤ん坊のころから書き出したので、連載の担当者から長いと呆れられました。

太田 そんなことないです。食客数千人といわれた人としてしか知りませんでしたが、もう冒頭の場面から一気に引き込まれました。

宮城谷 あれは私の創作なんです。父に殺されそうになる赤子の孟嘗君を、母が上の部屋の窓から庭の下人に投げて逃がすシーンですね。

太田 そうです。徹夜して1日ちょっとで読破しまして、私の読書歴のなかで強烈な体験となっています。2002年から4年間ほどシンガポールに単身赴任したとき、「これは良い機会だ」と思って本屋にある先生の作品を買い集めて現地で読みふけりました。春秋時代(紀元前770~前403)の英傑を描いた『重耳ちょうじ』『晏子あんし』など、どれも中毒性があって、読みはじめると止まらない。一睡もせずに翌朝まで読んでしまって出社前に「しまった!」と思ったことは何度もあります(笑)。戦国時代では『孟嘗君』の他に、燕の武将を描いた『楽毅がっき』も大好きで5、6回は読みました。

宮城谷 楽毅は、あの諸葛亮孔明も憧れた人物です。祖国の中山国が滅ぶ憂き目にあうも、小国の燕に移り五国連合の総帥として大国の斉を滅亡寸前まで追いこむ。楽毅ひとりで戦国時代の深広さや面白さを体現しています。余談ですけども、サイン会で「司法試験の勉強中に『楽毅』を読んでいました」という弁護士に2人も会ったことがあるんです。司法試験の勉強に効果があるんだろうかと、不思議に思いました。

太田 ほんとうに生きざまがかっこいい人物ですから。私のイメージとしては、潰れた町工場の優秀なエンジニアが他の中小企業に転職し大成功をおさめるみたいな感じでしょうか(笑)。

宮城谷 なるほど、そのたとえは分かりやすいかもしれませんね。

書影

「三国志名臣列伝」シリーズの近刊

登場人物が2000人超

宮城谷 太田さんは『三国志』では諸葛亮がお好きだとか。

太田 はい。先生の『三国志』に出会うまではご多分に漏れず『三国志演義』の影響を受けたひとりです。

宮城谷 かつて私たちが親しんできた三国志の多くが『演義』を下敷きにしています。これは三国時代から1000年後の明の時代に羅貫中が書いたとされる通俗小説ですね。

ときは後漢(25~220)末期。魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権という3人の英雄が覇を競って三国を興し、晋による天下統一(280)までを描いている。主人公は劉備であり、関羽、張飛と義兄弟の契りを結び、天才的な軍師諸葛亮を得て、敵役の曹操や孫権に立ち向かう英雄譚です。はっきりとした勧善懲悪の仕立てに超人的な豪傑たちが繰り広げるアクションが加わり、読み物として非常に面白いですよね。

私は、そうした虚構の多い『演義』に一線を画し、晋の歴史家である陳寿の書いた正史『三国志』をもとに可能な限り史実に忠実な歴史小説を書きました。従来の『三国志』より約70年さかのぼり、曹操の祖父の時代から書き起こしたから、最初に原稿を読んだ文藝春秋の編集者は、劉備も諸葛亮もいない『三国志』にとまどったそうです(笑)。

太田 仲間内で「最強の将軍は?」という話になると、つい関羽と言いたいところだけど、それでは羅貫中の言いなりなので言わないようにしています(笑)。先生の『三国志』を読んで、後漢の将軍、皇甫嵩こうほすうは本当に強かったんだろうなと思いました。信徒数10万人からなる新興宗教が起こした黄巾の乱で、他の将軍が征伐に失敗するなかほぼ1人で鎮圧していますよね。軍の士気を高めるのに長けていて、食事の際は兵士が食べ終えるのを待ってから自分の食事をとり、賄賂を受け取る軍吏には自分のお金や物を与えて諭す。ただ武勇に優れていただけでなく、モラルも高かったんだと思います。

宮城谷 皇甫嵩の名前が出てくるのは嬉しいです。ふつうの『三国志』には出てこない名前ですからね。

太田 先生の作品を読んで、後漢時代にはこんなにたくさんの魅力的な人たちがいたのかと知ることができました。

宮城谷 正史『三国志』は他の歴史書より登場人物の数が圧倒的に多いのが特徴です。私の作品にも2000人超が登場します。後漢末期は、王朝が頽弊たいへいし凄まじい乱世でした。そんななかで人々は生き抜くために最善の道を歩もうとした。かれらがどんな生き方をして成功し失敗したのか、多種多様な人物が登場するので、自分と似た人物を見つけることができるのも魅力でしょうね。

太田 社会のあり方が急速に変わりつつある今もまた激動の時代。『三国志』は一つの道しるべとして困ったときに読み返し、そのたびに元気づけられています。

諸葛亮孔明

諸葛亮孔明

儒教が組織を滅ぼす

宮城谷 リーダー論としても格好の素材です。いかに組織を変革し、人材の能力を見極め、率いていくべきか。『三国志』の中には、さまざまなテーマと事例を見出すことができます。例えば、「組織の改革」。後漢がなぜ滅びたのか。それにはいろいろな理由がありますが、その一つが儒教思想でした。曹操、孫権、劉備の3人は、それぞれのやり方で儒教思想からの脱却を進めました。

太田 儒教は中国思想の根幹ですよね。なぜ、否定したのですか。

宮城谷 儒教は「形式主義」なんですね。これは既存の体制維持には都合がいい。でも組織が落ち目のときには、往々にして弊害のもととなり、人材を登用せず大事な問題を先送りすることにつながってしまう。もちろん、儒教の奨励する先祖の供養、親への孝行や目上の人への礼儀を重んじること自体悪いことではありませんが、弊害もまた大きいのです。後漢末期、官僚の登用制度である選挙では、学力よりも親孝行したかどうかが重視されました。学問に優れた「茂才」よりも、親孝行のふりをする人やコネのある人が優遇される。会社でも上司に対して礼儀正しい社員よりも、ちょっと行儀の悪い人のほうが、おもいがけない発想でもって会社を救うことがありますでしょう。

太田 まったくもっておっしゃるとおりですね。

後漢の名臣と土光敏夫

宮城谷 曹操はこの儒教が問題だと見抜いて、代わりに重視したのが文学的教養でした。魏の国では、曹操の庇護のもと詩人が輩出して、「建安文学」と呼ばれるまで文芸が発展しています。それでも儒教の浸透力はすさまじいもので、士民の凝り固まった偏狭の考えを変えられなかった。曹操から数えて3代目のときに文学は衰退してしまいました。

孫権は、当時、中国に入って来たばかりの仏教の導入をやりました。呉の国があった江南の地に高僧を招いて寺を建てています。それでも、完全な仏教国家は確立できませんでした。

劉備も儒教的な礼節は無視した人です。かれは、老荘的な思想の持ち主でした。老荘思想とは、無為を至上とする、という考え方です。ただし、その思想では規律を正して国を統治できない。組織を締めあげるときには儒教が要るんですね。結局、3人とも儒教思想を排するのに失敗したのです。

太田 私どもも組織の形骸化を防ぐためにTPOに合わせて自由に服装を選択できる「ドレスコードフリー」を2019年から導入しています。今ではTシャツやジーンズ姿で出社するのは見慣れた光景になりました。

今、終身雇用や年功序列といった働き方は制度として疲労していますよね。これまでの常識や慣習に囚われず新しいことにチャレンジしやすい環境にしないといけないという考えから、「社長製造業」を掲げて社内ベンチャーを10社ほど立ち上げました。中小企業のデジタル化を支援したいと言ってきた当時37歳の社員を社長に抜擢したりしています。パッションを持った若い人たちにどんどん活躍の場を与えたいなと。

宮城谷 それは素晴らしい。

太田 先生の『三国志名臣列伝』の後漢篇では、刺史(地方官)として皇甫嵩とともに黄巾の乱を鎮圧した王允おういんを取り上げておられますよね。王允の考えはとても身に沁みます。組織は、人と同じで老いてゆく。若返りのための自浄を怠ると外圧によって破壊される。その外圧とは時勢のことで、時勢に遅れないためには常に内部に不足をみつけ、他者に教えを請う謙虚さが必要である。ところが支配する高みにのぼると、視界が変わって下からの声が届かないと……。もうひとつは、王朝のように組織が巨大化し複雑になればなるほど運営の原則を単純化しないといけないと。どちらも私が日ごろから気をつけていることなのです。

宮城谷 いやぁ、そういってもらえるのは嬉しいです。東芝を立て直した土光敏夫さんの発言が王允に通じるところがありましてね。「組織というのは1番下に立つと1日でわかる」と。土光さんは社長室を開放して部下たちが直接自分に意見を言えるようにしていたそうです。

太田 土光さんは、諸葛亮みたいに私心がなかった人で目標になる経営者のひとりです。我々金融界はまさに時勢の大きな変化に晒されています。これまでのような貸出や決済といった銀行機能に安住することなく、自ら「脱銀行」へシフトしていかないと生き残れない。社長に就任して以来、「カラを、破ろう。」の一言だけで経営してきました。

「我が子房なり」

宮城谷 ところで『三国志』ではいかに有為の人材を集めるかということも重要なテーマになっています。太田さんの会社でも他社の人材を引き抜いたりするのですか?

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