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出口治明の歴史解説! 平清盛とスティーブ・ジョブズの共通点は?

歴史を知れば、今がわかる――。立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんが、月替わりテーマに沿って、歴史に関するさまざまな質問に明快に答えます。2019年11月のテーマは、マネー(お金)です。

【質問1】世界史上で一番のお金持ちは誰ですか?

 世界史上で「ミスターお金持ち」といえば、先ずマンサ・ムーサでしょう。西アフリカに栄えたマリ帝国の王(在位1312~1337)です。海外の経済誌も“人類史上最高の資産家”としてマンサ・ムーサを挙げています。

 熱心なイスラム教徒の彼は、1324年にマッカ巡礼に出かけ、その余りのスケールが遠くヨーロッパまで伝わりました。500人の奴隷が金の延べ棒を担ぎ、黄金や贈り物を積んだラクダの隊列と数千人の従者に囲まれて出発したといいます。

 マンサ・ムーサは、マムルーク朝の首都カイロに立ち寄り、運んできた金を通貨に替えました。それがあまりに大量だったので、カイロの金相場が長期にわたって下落したというのです。当時のカイロといえば、世界有数の大都市。その金相場をたった1人で、それも旅行中の換金で下落させてしまったのは驚異的です。当時の世界で産出した金のおよそ半分は、マンサ・ムーサが所有していたという説もあります。

 このド派手な巡礼は、ヨーロッパに「サハラ砂漠の南に黄金の都がある」という伝説を生みました。世界遺産のトンブクトゥは、金、象牙、奴隷、塩などの交易品が集まる中継都市として栄え、ヨーロッパの地図には〈黄金郷〉として記載されたのです。

 当然のごとく、ヨーロッパ諸国の冒険家たちはこの黄金郷をめざしました。その代表は、ポルトガルのエンリケ王子(1394~1460)が派遣した探検家たちです。

 それまでサハラ砂漠の南へ向かうには、ラクダで砂漠を縦断するしか方法がなかったので、ラクダのキャラバンが頼りでした。これに対してエンリケは船で海岸沿いにサハラ砂漠の南に出る方法を考えます。しかし当時のヨーロッパでは、西サハラのボジャドール岬あたりが世界の果てで、そこから先は“煮えたぎる海”だと信じられていました。

 エンリケ王子が派遣したジル・エアネスは、この迷信を破り、1434年にアフリカ西岸を踏破します。10年後には探検隊がサハラ砂漠の南端に達して、アフリカ南部への航路を確立しました。そこで大量の金を得て、ポルトガルでは1452年に初めて金貨を鋳造しています。

 煮えたぎる海がないとわかり、ヨーロッパ諸国の船はやがてアフリカ南端をまわってインド洋に出ます。エンリケによって新しい時代の幕が上がり、彼は“航海王子”と呼ばれるようになりました。

 航海王子を誘惑したのは、サハラ砂漠の南にある黄金郷でした。ヨーロッパにその存在を知らしめたのがマンサ・ムーサです。

 世界史上にはたくさんの大金持ちが登場します。そのなかでもマンサ・ムーサは、大金持ちの評判だけでその後の世界を大きく動かしたのですから断トツの存在でしょう。


【質問2】お金儲けがうまかった日本人は誰ですか?

 平清盛(1118~1181)がぶっちぎりでしょう。お金儲けが上手なうえに、経済のセンスも抜群でした。なにしろ、日本で初めて貨幣を流通させたのが清盛なのです。

 日本の貨幣といえば、「富本銭」や708年に鋳造された「和同開珎」など皇朝十二銭が始まりだと学校で教わります。しかし、これは広く流通した通貨ではありません。

 たしかに奈良や京都で「これはお金やで」と出せば、米や布にしぶしぶ交換してくれたかもしれません。でも、よその土地なら「これで米をくれ」と和同開珎を出しても、「そんなもんで米が売れるか! 布を持ってこい!」と店主にどつかれたことでしょう。皇朝十二銭は、現在なら、霞が関界隈でしか買い物ができないような代物で、新羅など外国からの使節に「うちも唐のように貨幣を発行していますよ」と自慢するための“見せ金”でした。一般論として、貧しい国は、外国人から馬鹿にされないようにカッコをつけるものです。明治時代に鹿鳴館で洋装して夜な夜なダンスを踊ったのと同じで、初めから実質的な通貨ではなかったのです。

 平清盛は1158年(保元3年)、40歳で大宰大弐(だざいのだいに)に任命され、後に弟の頼盛がその職を継ぎます。主に中国と朝鮮半島に対する交易や外交を担当する立場です。

 清盛は現地に赴き、九州北部の経済がえらく賑わっているのを目撃します。その理由は、通貨の存在にありました。宋(960~1279)の通貨だった宋銭です。

 清盛は、今でいう貨幣経済に気づいたのです。父の忠盛が始めた日宋貿易を一層盛んにすると同時に、本格的な宋銭の輸入に踏み切りました。中世をトータルしてみると、宋で製造された貨幣の1割ほどが日本に入ってきたといわれます。

 もちろん、清盛自身も大儲けしました。従来の九州経由では京まで運ぶのが面倒だし、大宰府の干渉を受けたくないと、現在の神戸にあたる大輪田泊の港を大改修します。宋からの船が直接着くようになり、清盛はさらに儲けてウハウハだったでしょう。

 彼がどれだけ儲けたかは、厳島神社の絢爛豪華さを見ればわかります。清盛が武士でありながら朝廷で高い地位を誇り、平家が繁栄したのも日宋貿易で得た財力があったからでした。

 奈良時代から平安時代にかけて日本のGDPはほぼ横ばいだったのが、清盛の時代から少しずつ上向いてきたという研究もあります。それは宋銭という通貨によってわが国で貨幣経済が始まったおかげと見ていいでしょう。国内で通貨を製造することなく、宋銭のような渡来銭で国内のキャッシュフローをまかなうことは、江戸時代の慶長通宝(1606年)、寛永通宝(1636年)の頃まで400年以上もつづきました。

 最初の武家政権を樹立した平清盛は、お金についてのセンスもずば抜けていたことがわかります。現代でいえば、スティーブ・ジョブズのような異能の天才だったと思います。

(連載第1回)
★第2回を読む。

出口治明(でぐち・はるあき)
1948年三重県生まれ。ライフネット生命保険株式会社 創業者。ビジネスから歴史まで著作も多数。歴史の語り部として注目を集めている。
※この連載は、毎週木曜日に配信予定です。また、読者の皆さんに出口さんに聞いてみたい歴史の質問を募集しています。「マネー」「リーダー」「食べ物」「親子関係」をテーマにした歴史の質問をどんどんお寄せください。「#出口さんに聞きたい歴史」をつけてnoteに投稿していただくか、mbd@es.bunshun.co.jpまでメールでお送りください。


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