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「感染してるのでは?」ダイヤモンド・プリンセス号に派遣された医師が感じた“風評被害と日本の風潮”

3月1日、新型コロナウイルスの集団感染が起きたダイヤモンド・プリンセス号に乗船していた乗客・乗員約3700人全員の下船が完了した。

楽しいはずのクルーズ船旅行が一転、狭い客室に隔離され、薬不足をはじめとした不自由な生活を強いられる中、周囲の乗客が次々と感染し、搬送されていく。乗客のストレスが極限状態にあったことは想像に難くない。

そんな中、災害派遣精神医療チーム(DPAT)のリーダーとして船内で医療活動を行っていたのが、群馬県・赤城病院の関口秀文院長(38歳)だ。2月9日から船内に入り、乗客へのメンタルヘルスケアを実施。過酷な現場を目の当たりにしてきた。

関口医師は、ダイヤモンド・プリンセス号によって、新たな災害医療の課題が浮き彫りになったと語る。

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災害派遣精神医療チーム(DPAT)のリーダーとして船内で医療活動を行った群馬県・赤城病院の関口秀文院長

――はじめに、船内で医療活動を行われた期間を教えてください。

まず2月9日~11日の3日間と、12日の休みを挟んで、13日、 14日まで船内で医療活動を行いました。私たちはDPATとして船内に入って医療活動を行った1隊目のチームです。医師は私1人で、看護師が1人、物流などの後方支援を担当するロジスティックス担当の職員が2名の合計4名のチームでした。

――どんな経緯でダイヤモンド・プリンセス船内で医療活動をされることになったんでしょうか。

ダイヤモンド・プリンセス号の隔離が報じられた後、8日にDPAT事務局とやりとりをしていると、事の重大性を感じ、次長を務める大鶴卓先生と連絡をとり、「よろしくお願いします」と派遣要請を受けました。通常の災害の現場と違って今回は目に見えないウイルスが相手ですから、感染リスクを考慮すると、人員を派遣できないという病院が多いことが予想されました。10日からの活動隊の確保は可能でしたが、9日からの活動隊確保が出来ない状態でした。

船内に入れるチームの条件としては、すぐに「明日から行けます」という即応性を持っていることと、初動対応の重要性をわかっていることが条件でした。当院は普段から災害時の準備体制を整え、DPAT活動については病院全体での意識共有・職員周知を行なってきました。また、DPATの活動要件である“発災後48時間以内の活動開始”についても力を入れており、迅速に現場に向かうことができます。8日土曜日の夜間に、院内のスタッフが物品詰め込みを手伝ってくれました(写真①)。

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写真①

また、私はDPAT事務局の先遣隊・事務局員として昨年9月に千葉県を中心に甚大な被害を出した台風15号と19号の現場にも入った経験があります。ですから、災害時における初動対応については経験がありました。

それからダイヤモンド・プリンセス号の前に千葉県柏市の税関研修所で医療活動を行っていたのも大きかったですね。そこには武漢からの帰国者を乗せたチャーター機の第3便の方が滞在していて、彼らに対してメンタル面でのケアを行ったんです。人数としては帰国者と支援者合わせて70人ほどですから、3700人もの乗客・乗員がいたダイヤモンド・プリンセス号とは規模が違います。ただ、柏での医療活動のノウハウがあったことは大きかったですね。

――どういった形で医療活動を始められたんですか。

 2月8日の夜にはダイヤモンド・プリンセス号の近くにあるホテルで前泊していました。9日の朝8時から活動開始だったので、前日夜に現地入りして、しっかり睡眠をとってからスタートしよう、と。当日は朝7時に船外指揮所に入り、8時から船内で行政や船側のスタッフ・医療チーム全体でのミーティングが始まりました。

――ミーティングではどんな話がされましたか?

元々、船に乗っていた船医の方や厚生労働省のスタッフ、検疫官や自衛隊の職員のほか、船会社の職員が一堂に会するミーティングでした。前日の申し送りから始まって、「いま何人くらいの検査を行っている、搬送優先をどうするか」といった情報共有があり、それに対して感染症を専門とする先生が意見を述べるんです。「このエリアではマスクをきちんと着用するべき」とか「手指衛生を徹底するように張り紙をしよう」など。そういう細かいことを含めて議論して、各チームに周知していくという態勢でした。

ミーティングは基本的には朝と夜に行われていましたが、現場の状況は常に変化していますから、3時間おきくらいに開かれる日もありました。

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――船内では「グリーンゾーンとレッドゾーンが混在している」との批判もありました。関口先生がご覧になった船内の様子はどんなものでしたか?

私が普段、詰めていたのは、船の5階の「プラザ・デッキ」にある「サヴォイ・ダイニング」です。ここには船全体の医療チームの本部があって、隣にある「ヴィヴァルディ・ダイニング」では、発熱をした患者さんを治療する部屋が置かれていました。

この2部屋は感染リスクの低いいわゆる「グリーンゾーン」なのですが、部屋を出ると感染リスクのある「レッドゾーン」として扱われていました。当初は足りない部分もあったかもしれませんが、日毎に改善はしていました。私が活動を終える頃にはきちんと区別されていたと思います。

最初は船内の状況がよくわかりませんから、手袋にマスク、そしてタイベックスという宇宙服のような防護服を着ていました。ただ中にいる専門家から話を聞くと、タイベックスの着用までは不要ということがわかりましたから、乗客との接触時にはガウンのような服を着て、帽子とマスク、手袋を着けて活動するようになったんです(写真②)。

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写真②

――ガウンを着て患者さんの診察にも当たったわけですね。

そうですね。ただ、私たちは手当たり次第に客室に行って診察したわけではありません。チームの人員はわずか4人です。乗員・乗客合わせて3700人に対する医療体制を作るためには、まず患者さんの優先順位をつけることが何よりも大切なんです。災害現場においては「助けてください」と声を挙げられる人はまだマシです。

重要なのは「助けてくれ」が言えない人たち。声が挙げられないけど、本当は医療を必要としている人たちを3700人から抽出しなければなりません。乗客の方々の医療的な優先順位がわからない時点で、「とりあえず部屋へいきましょう」とやってしまうと、残りの3699人を置き去りにしてしまう。

もちろん、体制構築の最中にも精神症状を訴える声は、医務室やDMAT(災害派遣医療チーム)からも入ってきます。「死にたい、飛び降りたい」などという乗客の声が届いた場合、緊急性が高いですから、「私とナースだけで行くから、ロジスティック担当の2人は本部に残ってくれ」と言って、船室に行くことはありました。

ただ、私が離れるとほかの乗客の方への影響もありますから、5日間で対面して私自身で診察を行ったのは5〜10人くらいでしたね。診察しようと思えば、 100人の客室を訪れることもできましたが、仮に1人5分としても100人診れば500分。それだけの時間をかけても乗客全体からみればごく一部です。私はチームのリーダーとして乗客全体の状況を把握したうえで、優先順位を判断しなければいけません。

――ただ、乗客の方は「お医者さんに面と向かって診断してもらいたい」と思う人もいたのではないですか。

ただ、逆に言えば会わないことによる安心感もあるんです。ドアを開けると、防護服で完全装備した医師が現れる。「エッ、この人やばいじゃん。なんでそっちはフル装備で、こっちはマスクだけの軽装備なの」と思われる可能性もあります。私が客室を訪れることで、いたずらに不安を煽ってしまう危険性もあるのです。

――患者さんの優先順位を判断するためにどんなことに取り組まれたんですか。

体制構築のために、まず、ほかの医療チームとのコミュニケーションが大切です。乗客に向けて船内に張り紙を掲示するにしても、船会社の許可を得たのか、他医療チームはどう見ているのかといった様々なことを調整しなければいけません。そのために全体ミーティングで体制構築の提案をしたり、船医さんや厚労省、DMATなどと意思疎通を密にすることが重要でした。いろんなチームが乗客のために動いている中で、自分たちの正義だけを通そうとするとうまくいかないのが災害医療の現場です。

――具体的な体制構築について教えてください。

従来、船にあった医務室は、パンク状態にありました。通常の船旅であれば、フロントに電話すると「医務室に回しますね」といって、医療に繋がることになります。

ところが隔離生活に入ったことで、薬不足に加えて、タオルやごみ袋の交換、食事についての問い合わせなど、フロントに対しては通常の船旅をはるかに超える相談がきていました。医務室でも発熱者等の患者対応が大幅に増え、医療需要と供給のバランスに限界が出ていました。特に船側の乗員は本当によく耐えていたと思います。そういったこともあり、普段の医療ルートでは精神症状に対する乗客の声は届きにくくなっていたのかなと感じました。

そこで、DPATチーム専用の電話回線を作って精神医療に関する問い合わせについては、フロントから私たちに連絡をもらうことにしました。ただ、それを乗員に伝えるのが難しかったですね。

看護師が「精神症状について何かあったら、フロントからDPATチームに連絡をするようにしていいですよ」とフロントや医務室の負担を減らすために書面を持って話に行きました。すると、フロントデスクの乗員から反対の声が上がったんです。「そんなことをしたら、一気にフロントデスクがパンクしてしまう」と。乗客からすれば、これまで「個人的な不安は言っちゃいけないものかな」と思っていた人が、「相談していいんだ」となる。そうして2600人の乗客がフロントデスクに「DPATチームにつないでください」と電話してきたら大変なことになってしまう、というわけです。それで「だめでした」と看護師が戻ってきました。

このような異常事態ではボタンのかけ違いは起こりやすいこと。交渉相手のフロントデスクは心理的に穏やかな状態でもないことや、外国の方であり細かいニュアンスが伝わらなかったのだろうと思いました。そのため、サービスキャプテンへ交渉相手を変え、「乗客の方はもちろんですが、結果としてクルーの負担も減らすことになるんですよ」と説明して、どうにか乗客の方の声をフロントから私たちに届けてもらうルートを構築していきました。災害時には支援者も通常の心理状態ではなく、勘違いや視点の違いは起こりやすいものです。

――乗客はもちろんですが、乗員にも大きな負担があったんですね。

乗員(クルー)の方々は本当に大変だったと思います。薬不足をはじめ様々な苦情が寄せられて、船内に設けられたコールセンターはパンク状態。10分おきに「ゴミ袋はいつ交換してくれるの」、「なんで薬がないの」と言われ続けるとクルーの方も気が滅入りますよね。

当然、彼らにも感染のリスクがありますし、極端な過重労働もあるため本来であれば休みたいはずなのに、懸命に働いている姿が印象的でした。それはきっと、船乗りとしての使命感だったのでしょう。1年のうち10カ月くらいを船上で共同生活を送るわけですから、ものすごい団結力を感じました。皆さん一致団結して困難に立ち向かっていましたね。

――患者さんからはどんな不安の声が寄せられましたか?

医師としての守秘義務もあるので具体的にはお話できない部分もあるのですが、私が船内で医療活動をしていた時については大きく分けて2つのフェーズがありました。

最初は「薬がなくなった」という不安や不眠の声がとにかく多かったですね。あの状態であれば、不眠や不安が出て当然の心理状態になります。その状態で精神安定剤や睡眠薬が急になくなったことで、不眠や不安といった症状はより強く出てしまうでしょう。寝られなくなることもそうですし、それによって精神的な緊張やイライラが出てくる。

乗客の皆さんの平均年齢は70歳とされていますが、高齢者の向精神薬や睡眠薬の服薬率は4割くらいに上ります。乗客は2600人ですから、仮にその4割とすれば1000人強です。私が1000人の客室に行って話を聞くよりも、1000人に薬を配る方がはるかに効率がいいし、船内はイギリス領であり、この時点では医療チームとして処方はできなかった。

ですから、そういった不安を持つ方からDPATチームに電話がかかってきた場合は、船室に行くのではなく、「もうすぐ薬が届きますよ」と丁寧に見通しを伝えてあげる。これだけでも不安感は軽減されます。2月11日時点ではほとんどの人に薬を配り終えていたと思います。

――薬が配られたことで、患者さんの不安はだいぶ抑えられたのでしょうか。

「薬がない」という不安はなくなったのですが、11日くらいになると陽性と診断された方が治療のために、数十人規模で船外の医療機関に搬送されるようになりました。たとえば一緒にいた旦那さんが感染した場合、普通であれば病院に付き添って医師から病状の説明を聞いて安心できる。ところが今回は陽性と診断されるとすぐに搬送されるわけですから、詳しい病状説明は難しいわけです。

それだけでもストレスなのですが、同室の家族や友人がウイルス検査で陽性と診断されて搬送されてしまうと、残された人は密閉空間で孤独になってしまう。テレビからは連日、新型肺炎関連のニュースが流れてきます。それまでは、「ニュースでこんなこと言っていたけど、どう思う?」と、些細なことであっても同室の人と共有できていました。雑談をすることで不安がデトックスされていたのですが、それができなくなってしまうわけです。

また、同室者が陽性であれば、残された人はまぎれもない濃厚接触者です。孤独に加えて、「自分も感染しているかもしれない」という不安も出てきます。つまり、薬不足が解消されてからは、孤独と感染不安というダブルパンチが出始めたのです。

――乗客から多くの声が寄せられることで、先生の負担も増えていったのではないですか。

朝の8時からミーティングが始まりますから、朝6時に近くのホテルを出て、夜の11時くらいまで働く。それからホテルに戻って寝るので、睡眠時間は3~4時間くらいでしたね。乗客の方にはDPATチームの携帯番号を伝えていましたから、午前0時や1時でも「不安で眠れません」という電話がかかってくることもありました。

――体力的にも非常に厳しい現場だったんですね。

私は救急医でもあります。私の信念としては、緊急事態で助けを求めている人がいれば、どんなところであっても診察に行くのが医療の使命だと思います。そしてそれが医の原点でもあると思います。なので、同じ状況が起きれば私が選ぶ道は自然と決まっています。

今回は目に見えないウイルスが敵ですから、医療関係者もみんな不安に思っていました。私も不安はありました。でも誰かが行かなければなりません。仮に私が感染したとしても、年齢的には重症になるリスクは低いし、5日間死に物狂いで働いても、うつ病などにかかることはないでしょう。ですから、医師として現場で診察する理由の方が圧倒的に勝るわけです。

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――ただ、感染予防に努めたとしてもリスクはゼロにはできません。周囲の人から心配されたんじゃないですか?

周りの人からは「なんであんなところに行くんだ」と言われたこともあります。船内に入った医療関係者も同じだと思いますが、いまでもウイルス検査は受けられていません。現場では万全の感染防御をしていましたし、いまでも毎日体温を測っていて、体調も悪くありません。ただ、感染している可能性がゼロかといえばそうではありません。人の動きがある以上、感染をゼロにすることは出来ません。

他隊員の中には妻子がおり活動後は自宅には帰らず、車やホテルで過ごしたという方もいました。

医学的に考えると、自宅でも1階や2階など動線スペースを分ければ、理論上感染リスクはほぼないと考えますが、活動を終えた夫を迎え入れたい妻の気持ちと子供を守りたい母親の気持ち、葛藤があったんだなと思います。クルーズ船に限らず、帰国便対応の隊員も周囲からの心配は強かったと聞いています。

――ダイヤモンド・プリンセス号で陰性と診断されて下船された方でも、感染の「加害者」になるのではないかと、肩身の狭い思いをしている方もいるようです。

私もそれに近い思いを感じています。ダイヤモンド・プリンセス号での医療活動を終えて実感したのは、厳しい活動をした医療チームに対する「風評被害」です。これまで、数々の災害現場に行きましたが、今回のように、医療活動を終えた後、「頑張ったね」という声もある一方で、「ウイルスを持ち込んできたんじゃないか」と見られているように感じたのは初めてです。

一緒に船内で活動したチームの仲間には「大丈夫。私が守るよ」と言って連れて行きましたが、戻ってきた職場ではどうしても、やや距離を置かれたりしたようにも感じます。実際、ウチの病院では感染リスクを心配した職員が一人辞めてしまいました。ただ、その判断を批判することはできません。平時から、職員のみんなに向けて、災害現場で困った人がいれば積極的に参加する病院なんだというマインドを徹底することができなかった。悲しいことではありますが、院長である私の責任も感じています。

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――先生が経験された東日本大震災などと比べて、ダイヤモンド・プリンセス号の現場は厳しい状況にありましたか。

非常に厳しい現場でした。やはり医療チームの隊数が少なかったですね。天災の場合は、医療活動を終えて帰ってくると、「よくやった。お疲れ様」と迎えられるんです。活動後の感染の心配は基本的にはありませんから、全国の医療機関の手が上がりやすい。また、地震や台風の現場であれば、今までの経験があり医療チームの身の安全の、安心感も違います。

ところが今回は、医療チームにもリスクがあって、「感染しているんじゃないか」という風評被害がありました。そのためなのか、DPAT事務局としても参加する医療チームがいなくて困っていたんです。

今回、ダイヤモンド・プリンセス号の現場に行った救急車の中には車体に書かれた病院名を隠した救急車もあったようです。「助けに行っているのに、なんで?」と思いますが、これも風評被害を防ぐためでしょう。そういうことをせざるをえない、いまの日本の風潮を見ると、少し悲しい気持ちになってしまいます。

――最後に、今回の医療活動で得られた教訓や課題について教えてください。

今後、「第2のダイヤモンド・プリンセス号」が出た場合、日本はどう動くべきかという課題が浮き彫りになったと思います。今回は各医療チームが自主的に手を挙げました。ただ今回のような風評被害を受けることを怖がって、誰も手を挙げなくなったらどうなるのか。最終的には国が公立病院などに対して「行きなさい」と命令を出すのでしょうか。自衛隊だけでは足りないでしょう。本来は自主的に災害現場に行く医療チームがいる国になってほしいと思います。

私が風評被害のリスクを感じつつ、こうしてオープンにお話しているのは、全ての災害においてメンタルヘルスケアが必要だということを広く認識してほしいという思いと多くの医療チームの勇気ある行動を尊敬しているからです。新型コロナウイルスは、国民全員が「被災者」となりうる災害ですから、みんな些細なことで不安を抱くようになっています。そうした状況の中で、今後、新たな災害が起こった場合、身体医療はもちろんのこと、メンタルヘルスケアも極めて重要となります。今回の教訓を生かし、災害時の医療体制の構築に向けて国民全体で考えていかなくてはならないと思います。


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コメント (1)
やはり読みにくかった
インタビューなのかドキュメントなのか
美形の院長さんのバストショットばかりが目立って
あのときどうだったのかの部分が特に伝わってこない
手柄話なのか警鐘か
何がしたい文章なのですか?
過去?未来?反省?自戒?
いつかのための問題提起?
風評被害受けちゃった だけ?

ダイヤモンドプリンセスは日本のコロナ周知の一丁目一番地だったはず
この方にインタビューしたこと自体
適切だったのか?
手近な聞きやすい人材だったとか、そういう事情じゃないですよね?
だってあまりにも何も伝わってこない…
言論の教養の雑誌なんですよね?
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