
小説 「観月 KANGETSU」#2 麻生幾
第2話
チョコレート箱(2)
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10月3日 杵築市郊外の霊園
「クソ!」
霊園の駐車場に車を停めた涼は、ドアを閉めながら毒づいた。
「昨夜の男、自転車まで用意しやがっち!」
悔しそうに涼は言った。
「狭い路地を逃げまくったんやけん、パトカーじゃどうしようもなかったちゃ」
霊園墓地のひっそりとした坂道を、涼とともに登りながら七海が言った。
「でも、あらためて、ありがとう」
涼を振り返った七海はそう言って微笑んだ。
「一昨日の居酒屋で、七海、怒っちょったけど、オレだって心配しちょんのちゃ」
「今日のお参りにも、ついちょって来ちくれち、安心したわ」
七海が満面の笑みをみせた。
「ちょうど非番やったけん──」
涼が軽くそう言ってから、記憶を探るような表情となった。
「それにしてん、あの老人。偶然にもあそこにいてくれち助かったな」
涼の言葉に、七海は黙って頷いた。
「昨日、聞く余裕なかったけど、あんしたあ知り合いか?」
涼が訊いた。
「熊坂パンのご主人なん」
「えっ? 熊坂パンって、杵築市役所近くの、行列ができる、あの有名なパン屋?」
涼の言葉に、七海は大きく頷いてから言った。
「私と母に、いつも優(やさ)しゅうしちくるるん」
「優しゅう?」
「ええ、そうっちゃ。例えば、売れ残ったパンを家に届けちくるるん」
「家に? なしそげえ親切を? 昔からの知り合い? それともご両親と関係が?」
涼が矢継ぎ早に尋ねた。
「なんか、刑事みたいなぁ」
七海は、そう言って声に出して笑ってから、
「私の小さい時からのお付き合いやけん、私はよう知らんじ……」
と付け加えた。
「昨日、あれから事情、聞こうち思うちょったんだが、いつん間にか、おらんごつなっちもうたんちゃな。後じ(後で)パン屋に行っちみるちゃ」
そう言った涼が、さらに七海に声をかけようとした時、
「あっ、あそこや」
と、七海が階段の上を指さした。
立ち並ぶ墓石の一つを涼は仰ぎ見た。
「隼人君が、交通事故で亡くなっち、もう15年じゃな……」
たくさんの墓石に囲まれた階段を七海とともに登りながら涼が呟いた。
「早えもんね……」
七海は小さく言った。
「隼人君をひき逃げした犯人が捕まらないまま時効になっちから……。交通部はちゃんと捜査したんかって、今でも頭にくるっちゃ」
涼が残念そうな表情でそう言った。
「いいのちゃ」
穏やかな口調で七海は返した。
「ところで、昨日、襲ってきたその男なんやけど、本当に心当たりはねえか?」
涼は神妙な表情で七海を見つめた。
七海はゆっくりと顔を左右に振った。
(続く)
★第3話を読む。
■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。
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