不確実性の快楽のうしろめたさについて|中野信子「脳と美意識」
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不確実性の快楽のうしろめたさについて|中野信子「脳と美意識」

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※本連載は第41回です。最初から読む方はこちら。

 自分はたしかに昭和生まれではある。が、昭和、と言われても自身は中学生までしかそれを経験しておらず、自分で生きた世界の肌ざわりとしての昭和を知らない。

 私自身より少し上の世代、昭和を大人として経験している、50代半ば以上の人の話を聞いていると、この人たちが口にしている日本というのは私の知っている日本とは全然違う国のことなんじゃないかと思えてくる。彼らのいう日本は、並行世界の日本、ではないのだろうか。そう考えるのが不自然ではないくらいには、彼らの世界は「向こう側」だ。

 いや、私たちの方こそが「向こう側」にいるのか?

 リアリティがないのは私の触っている現実の方で、彼らの話に出てくる、私の知らない諸々の方がずっと、リアルとしての重さを持っている、ような気がしてくる。私のいる側は半透明で色も形もはっきりしない。足元から揺らいでくるような気持ち悪さがある。

 一方で裏側にはそんな気持ち悪さにぴったりと寄り添った酩酊感が同時に存在していて、そのどこかうしろめたいような快楽を味わい続けて来てしまったがために、私たちはここから抜け出すことができない。基準がはっきりせず、一晩で価値が反転してしまいかねないような、あいまいで流動的な、予測のつかない世界。

 もはや自分たちは中毒患者のようですらある。先が見えず、基準も価値も変容していくことを前提にするどころかそれを利用しきって私たちは生きている。不安定さが失われることには耐えられない。くっきりとした形をもった世界で生きることを強要されたとしたらそれは既に難しい。時間的にも生理的にも、自分と違う側に適応することはもうできないだろう。

 輝いていて、はっきりと鮮やかな、自分は決して行くことのできない、かつてあった世界。こちらからはとても眩しく見える。彼らから、「向こう側」としてのこちらは、いったいどう見えているのだろう。

 見ていても見えていない。言葉を交わしているようでいて、おそらく通じ合える日は来ない。触れていても真の温度を感じることもない。近いようで在りながら決して近づけない。すり抜けてすれ違っていく絶望的な遠さの先にある不毛な果てを見るまでこんなことを続けるのか、思考が止まるまですり減らされ続けるのかと考えるだけで、疲れてしまう。

 あまりにも消耗しすぎてしまったとき、助けてほしいと思ってもそんな余裕をもった人はめったに見つかることはないし、それどころか、助けを求めるメッセージを発しても気づかれもしない。こうやって、最初はそれとはわからない形で、少しずつ戻ってこられなくなるんだろうなと想像はつく。もう何もわからないようになってしまえたらどれほど楽かと思うことすらないではない。溺死する人は静かに沈んでいく。そういうビジョンが自分には繰り返し現れることがある。溺れる人が静かに、誰にも気づかれないように沈んでいくのは、顔を水面に出そうともがき、呼吸するのに必死で、声を出すことも手を上げることもできないからだ。

 私たちは終末思想が好きなようだ。

「杞憂」という言葉がある。いらざる心配、取り越し苦労をすることをいう。これは昔、杞の国の人が、天地が崩れ落ちはしないかと憂えて、夜も眠れず、飯も喉を通らなかったという故事による。

 長廬子は、「天地が崩れるかと心配するのは取り越し苦労だが、崩れないとも言い切れない」と述べ、列子は、「そんなことで心を悩ますのは、到底わかるはずのないことを憂えるのであって、甚だ無駄なことだ」と笑った。現在の「杞憂」は、この列子の言から来ている。

 しかしながら、天地が崩れ落ちる確率はゼロではない。列子は「起こり得ないことを憂う」のを笑ったのではない。「到底わかるはずのないことを憂う」のを笑ったのである。これは見方を変えれば、列子のほうが能天気なのではないか、という見方も当然、あって然るべきであり、そもそも私たちの脳は正当な「杞憂」を抱くように出来ており、さらに言うなら、杞憂を味わうことに快楽さえ感じている。

 天体物理学者のマルコム・ルコントは、紀元前の中東地域で3000年にわたる繁栄を誇った都市トール・エル・ハマムが、発掘調査の結果、紀元前1600年ごろに発生した天体衝突にともなうエアバーストによって破壊されたと結論づけている。高温の熱放射、さらには高温かつ高速の爆風が襲いかかり、都市を跡形もなく破壊したばかりか、周囲の肥沃な土壌もすべて吹き飛ばし、出土した骨は人体が非常に強い衝撃を受けて損傷したことを示していたという。

 戦争や自然災害などにより文明や人類が死に絶えるさま、そしてその後の世界を描く終末ものの作品は繰り返し制作される。以前も触れたが、これは私たちにとって、考えなければならない、シミュレートしておかなければならない情報であるからこそ、この世界が描かれた作品を、少なくはない一定数の人々が支持するのであり、脳がそのように仕向けられているのだろう。

 危険な現象に関する情報を収集しようという傾向が高まることで、現実のさまざまな危機的状況で役立つ知識と対処戦略の大きなレパートリーを獲得するという戦略を私たちは採用している。明日何が起こるかわからない、という快楽を私たちは、どこか禍々しい予言の成就を期待するような後ろめたさを感じながら、享受しているのである。

■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。京都芸術大学客員教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。


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