伝説の刑事

【KO強盗事件#1】高円寺で初老男性の変死体発見|伝説の刑事「マル秘事件簿」

 警視庁捜査一課のエースとして、様々な重大事件を解決に導き、数々の警視総監賞を受賞した“伝説の刑事”と呼ばれる男がいる。
 大峯泰廣、72歳――。
 容疑者を自白に導く取り調べ術に長けた大峯は、数々の事件で特異な犯罪者たちと対峙してきた。「ロス事件(三浦和義事件)」「トリカブト保険金殺人事件」「宮崎勤事件」「地下鉄サリン事件」……。
 老境に入りつつある伝説の刑事は今、自らが対峙した数々の事件、そして犯人たちに思いを馳せている。そして、これまで語ってこなかった事件の記憶をゆっくりと語り始めた。/構成・赤石晋一郎(ジャーナリスト)

■警視庁捜査一課

 新橋はサラリーマンが行き交う街だ。刑事の制服もスーツに革靴である。ねずみ色の雑踏に溶け込むようにして歩きながら、私はある場所を目指していた。

 警視庁捜査一課――。

 そこは刑事を志すものにとっての聖地だ。昭和56年2月、その憧れの部署に私は配属された。当時、33歳の警察官だった私の胸は高鳴っていた。

 私は学校を卒業後、まず専売公社(現在のJT)に入社した。しかし単調な仕事が続く日々に飽き飽きするようになった。そこで、よくテレビで見ていた「七人の刑事」という刑事ドラマを思いだし、「刑事って面白そうな仕事だなあ」と興味を持つようになった。

 だから警視庁に入ったときから刑事になりたい、という目的を持っていた。警察学校で学んだことも大きい。捜査の授業が凄く面白かったことが刑事になろうという気持ちを更に強めてくれた。所轄で刑事としてキャリアを積んだ。すべては警視庁捜査一課の刑事になるためといっても過言ではなかった。

 捜査一課では所轄時代とは違い、連続事件や凶悪事件などの大きな事件を取り扱う。解決に導けば新聞でも大々的に報じられる。警察の“花形”部門といっても過言ではない。

 当時、桜田門に位置する警視庁本庁舎は立て替え工事に入っており、捜査一課は新橋のオフィスビルを間借りしていた。

 40~50代のベテラン刑事が揃う捜査一課の雰囲気は、若い刑事にとっては緊張を強いるものだった。

「お前、ちょっと来い!」

 ある日、“殺し”の部屋を通りかかったとき、鈴木主任に呼び止められた。
“殺し”、いわゆる殺人犯捜査係は通称・「大部屋」と呼ばれる60畳くらいある広いスペースに陣取っている。捜査一課の中でも猛者ばかりが揃う“虎の穴”のような場所だ。

 当時の警視庁は、部門ごとに部屋が割り当てられていて、私が配属されたのは強盗犯捜査係、通称“タタキ”と呼ばれていた。タタキの部屋は14、15畳くらいで、“殺し”に比べるとかなり狭い。

 そのタタキの新米刑事が、よりによって“殺し”の主任に声をかけられたのだ。

「お前、どこから来たんだ?」

「亀有署から来ました!」

 私は上ずった声で答えた。鈴木主任は50過ぎの古参刑事だ。

「亀有では何をしていたんだ」

「強行犯捜査係をやってました」

 鋭い視線が突き刺さる。私が捜査一課の刑事として相応しいのか、まるで値踏みをされているかのように感じられた。

 鈴木主任はこう諭すように話した。

「捜査一課には風習がある。各係には部屋長という者がいる。階級は関係ない。部屋長のいうことは絶対だぞ。わかったか!」

 捜査一課には捜査一課の“流儀”というものがあった。

 部屋長は所轄にはない警視庁独特の風習だった。警察には部屋主任という役職はあるが、部屋長という役職はない。部屋長はいわゆる刑事部屋の“主”みたいなもの。腕利きのベテラン巡査部長が部屋長と呼ばれていることが多かった。

■お茶汲みをさせられて

 捜査一課強盗犯捜査係強盗5組に配属された私の最初の仕事は、“お茶汲み”だった。みなが出勤する朝8時前には部屋で待機して、「おはようございます」と挨拶をしながら一人一人にお茶を出すのだ。この役割も役職は関係ない。警視庁捜査一課に配属された新入りは必ず行う通過儀礼のようなものだった。階級が下であろうが上であろうが関係ない。実際に私は巡査部長として配属されたが、階級が下である巡査長の方にもお茶を出していた。

 古株を尊ぶという独特な「年功序列」と「実力主義」の世界、それが当時の捜査一課だった。

 その一方で刑事としての仕事は楽しかった。捜査一課員は“捜査のプロ”として仕事に専念できたからだ。

 所轄では刑事はいろいろな仕事をしなければならない。例えばデモ警備とか、警護に狩り出されることが普通にあった。他の業務に振り回されるところがけっこう多いんだ。

 私が所属する強盗5組は主任、部屋長が各1人、巡査部長3人、巡査長が1人という6名体制だった。

 仕事は楽しかったが、やはり厳しくもあった。事件が発生すると、まず所轄の署に捜査本部が設置される。そこに我々は投入される。

 署では毎朝捜査会議がある。これが辛かった。所轄の刑事時代は捜査会議というものがなかったので、勝手がわからず緊張したものだ。

 捜査会議では主任が捜査員を質問責めにする。これが恐ろしい。下手な報告をすると「ツメが甘い」、「もう一回いってこい」と叱責されることは日常茶飯事だった。勢い捜査に没頭せざるをえず、家に帰れないので警察署の道場に泊まるということも多かった。

■高円寺で変死体が発見

 捜査一課に配属されて間もなく、ある現場を踏むことになった。高円寺の駅近くの路上で、初老の紳士が頭から血を流して死亡しているところが発見されるという事件が起きたのだ。早速、捜査本部が設置され、強盗5組が投入された。

 捜査の指揮を執るのが寺尾係長だった。大仏のような風貌の寺尾係長は、まだ40歳手前と若かった。私といくつも変わらない年齢だ。

 これが、後に長い付き合いとなる寺尾正大氏との出会いだった。

 聞くと寺尾係長は、内閣調査室にいたところを自分から希望して捜査一課に着任したという。刑事経験といえば、浅草署で一度、刑事課長代理をしただけ。私は所轄時代から刑事一筋だ。こんな奴に捜査ができるのかと思った。

 変死者は初老の会社員だった。まず私たちは聞き込みを始めた。目的は事件性があるかどうか確かめるための目撃者捜しだ。

 不審に思えたのは持ち物が路上に散らばっていたことだった。酔っ払って転倒して死んだにしては派手な散乱の仕方だった。彼が所持していた週刊誌は近くの住宅敷地内から発見された。

 しかしいくら聞き込みをしても目撃者が出てこなかった。一週間で捜査が打ち切りになり、「変死事件」として処理されることになった。

■KO強盗事件が発生

 人気のない暗い夜道――。

 酔っ払った紳士がおぼつかない足取りで歩いていた。その後を静かに追う二つの影がいた。影は二手に分かれると、猛然と紳士に襲いかかる。アスファルトに頭をしたたかに打ち付けられた紳士は気絶した。影は2人組の男たちだった。彼らは紳士の所持品を漁り終えると、暗闇の彼方へと姿を消した。

 そのころ首都圏では奇妙な強盗事件が続けざまに起きていた。発生エリアは東京、埼玉など関東広域に及んでいた。

 被害者を失神させて金品を奪うその手口ら、マスコミは「KO(ノックアウト)強盗」と名付け、恐怖を煽っていた。

 世論に押されるような形で警視庁も動く。上野周辺で被害が多かったといという理由で、上野署に捜査本部が置かれることになった。

 警視庁捜査一課には「事件番」という制度がある。事件番となった組は本部で待機を命じられる。いざ事件が起こると、事件番の組が現場に投入されるわけだ。事件がないときの事件番は暇なので、将棋や囲碁をしている刑事が多かった。または、捜査を終えた事件記録の製本作業などをして、時間を潰す。

 上野の捜査本部には強盗犯捜査係長の寺尾氏、そして事件番だったわれわれ強盗犯5組が派遣されることになった。高円寺の事件と同じメンバーだ。

 私にとっては初めての大きな事件だった。

 強盗被害は無数に出ていたうえに、KO強盗の暴行により死亡したガイシャ(被害者)もいた。強盗致死が出たことで凶悪事件と判断された。初め10数名だった捜査員は、直ぐに50名規模まで拡大された。

 捜査員はみなどうホシをあげれることが出来るのかと頭を悩ましていた。被害者は突然襲われ失神しており、犯人の顔を知らない。具体的な目撃証言も乏しく、犯人像は洋として判らない。連続通り魔的な犯行の捜査は苦戦が予想された。

 そんなときに、捜査指揮を執っていた寺尾係長がこう言い出した。

「マグロの捜査をやろうじゃないか」

 言葉を聞いて捜査員は一同、ポカンとした顔をしていたことを覚えている。私も「この若い係長は何を言い出すんだ」と、とこの時は思った。

 “マグロ“というのは「仮睡盗」のことを指す刑事独特の隠語だ。仮睡盗とは駅構内などで酔い潰れ寝ている人間から財布などを抜くコソ泥のことだ。市場に転がされている冷凍マグロのように動かない酔客を狙い犯行に及ぶので、マグロと刑事の間で呼ばれるようになったそうだ。

 寺尾係長の捜査方針は一見、突飛に思えたが、よく考えると筋は通っていた。

 まずターゲットを物色して、無差別に犯行に及ぶという手口はKO強盗も仮睡盗も似ている。マグロをする奴も二人一組で犯行に及ぶケースがある。一人は見張り役で、一人は財布を抜く係という具合だ。

 ホシは酔客を狙いマグロやKO強盗を繰り返していたんじゃないか。寺尾係長はそう読んでいた。

 さっそく上野駅を中心に特別捜査網が張り巡らされた。終電間際の駅のホームに配置された私服刑事たちは、面白いように次々とマグロを検挙してきた。

 私は所轄の刑事時代から取調べ術には少しばかり自信があった。亀有署の強行犯係にいたとき、連続強姦事件が起きた。犯行は小松川、小岩、綾瀬、亀有署の管内で連続して起きており、KO強盗にも似た広域事件となっていた。

 泥棒崩れが犯人じゃないかという捜査方針が立てられ、連続窃盗犯を私が取調べることになった。

 強姦の証拠は何もなかった。そこで私は心理戦を仕掛けることにした。現場写真を突きつけて、全てを知っている風を装って「もう割れているんだぞ」と呟いたんだ。すると犯人が強姦の自供を始めた。

 捜査一課でも早くホシを挙げたい。少しばかり腕には自信があったので意気込みだけはあった。しかし捜査一課と所轄とではレベルが違う。配属されて間もない新米刑事に重要な役割はなかなか与えられないものだ。取調べは慣習として、係長や部屋主任、部屋長などベテラン刑事が行うことが多かった。

 だが、チャンスはいきなり訪れた。上野署の刑事が挙げてきたマグロ犯は29名にも及んでいた。調べ官の数が足りなくなり、私にも取調べの任務が回ってきたのだ。

(#2へ続く)

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