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「なぜ麹町は地図の聖地になったのか」 門井慶喜「この東京のかたち」#17

★前回の話はこちら。
※本連載は第17回です。最初から読む方はこちら。

 麹町は江戸城(皇居)の西にひろがる町である。地名の語源はよくわからない。「こうじ」とは何か。おもに三説があるようだ。

1「麹」。酒、醤油などの醸造の原料である麹の生産地だった。
2「小路」。せまい路地が入り組んでいた。
3「国府(こくふ)路」。

 3は多少、註釈がいるだろう。律令時代、武蔵国の国府(首都)は現在の府中市に置かれていた。そこへ向かう街道ぞいの町だから「国府路」ということ。

 コクフの音(おん)がコウに変わるのは、これは神奈川県の国府津(こうづ)という実例がある。東海道本線の駅がある。はっきりと相模国の国府の港だったところである。しかしまあ、実際は、

 ――2じゃないかな。

 などと、江戸時代の切絵図(地図)を見ていると何となく思うのだ。

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そもそも当時の麹町はかなり広い。町というよりも、むしろ地区ととらえるほうがいいだろう。何しろ江戸城の西側、内濠と外濠のあいだを占めるのである。

 より正確に言うと、内濠をまたぐ半蔵門から、外濠にかかる四ツ谷門まで、まっすぐ東西方向に街道がのびていて(こんにちの新宿通り)、その北側一帯があの皿屋敷ものの怪談で有名な番町であり、南側一帯が麹町。おそらく街道をはしからはしまで歩いたら20分はかかるのではないか。

 その麹町地区の、ことに東側(内濠側)半分は、切絵図では、べったり灰色でぬりつぶされている。

 凡例を見ると灰色は「町家」。もちろん巨大な一軒がそこにあるという意味ではなく、そのなかに、ごちゃごちゃと家や道がつめこんであるという意味。もっとも、この場合の「家」とは、ただ人が住むだけの純粋な長屋のようなものもあったろうが、それ以上に、商店や職人の家が多かったのではないか。

 つまり職住一体の家。呉服屋、筆屋、油屋、八百屋、風呂屋、煮売茶屋……麹町はいわゆる江戸の山の手に属するが、こんなに繁華な街はほかにないのではないか。麹町は一種、

 ――山の手の浅草。

 といえるような土地柄だった。

ところでこの灰色つまり「町家」一帯の、外濠側のはしっこには、よく見ると、

切ヅ板元 金リン堂

 と記されている一画がある。

「切ヅ板元」は「きりず・はんもと」と読むのだろう。この切絵図の版元である金鱗堂はここにありますよ、という合図ないし宣伝だ。

外桜田絵図1(麹町部分)

『日本地図選集 嘉永慶応江戸切絵図 全』(人文社)より
麴町六丁目に「切ヅ板元 金リン堂」の文字が見える

 これはたとえば、こんにち文藝春秋が自社の刊行した東京地図本の紀尾井町のところに「文藝春秋」と書きこむ、というのとは話がちがう。文藝春秋の本は東京中――日本中――どこでも買うことができるけれど、金鱗堂の切絵図は、通例、ここでしか買えなかったと思われるからである。この一枚を買ったお客は、あとで、

 ――この地図は、ここで買ったんだよなあ。

 というあたたかな思い出とともにその一点をしげしげ見つめるだろう。ふるさとの家族や知人へおみやげとして渡したときには、聞かれもしないのに、

「ここだよ。ここで買ったんだ。麹町っていうんだ」

 と自慢するにちがいない。地図が生むささやかな会話。金鱗堂はこのあたり、なかなか商売上手な版元だった。

 ただし金鱗堂は、最初に切絵図を売り出した版元ではない。最初にそれを売り出したのは、おなじ麹町の、近江屋という店だった。

 近江屋はもともと出版業者でも何でもなく、何とまあ荒物屋だったというから畑ちがいもはなはだしいが、これには理由がある。何しろ店が四ツ谷門の近く、つまりお濠の内側の第一歩というべきところにあったためだろう。道ゆく人に、

 ――番町の、誰々さんの家はどこですかね。

 と、あんまりたびたび尋ねられたのだとか。

 番町というのは甲州街道をはさんだ麹町の向かい側、つまり北側一帯の地区の名で、いってみれば麹町の武家版。やっぱり家や道がごちゃごちゃしているから、そこの誰々さんを訪ねようとすれば、人々はまず第一歩のところで地元の店に聞かなければならなかったのだ。

 近江屋のほうはさだめし煩わしかったろう、本業の荒物売りにもさしつかえたろう。彼らはそこで、やむを得ず(!)地図を紙に刷ったわけだ。説明の手間をはぶくために。

 ところがこの地図が、大売れに売れた。番町やら麹町やらへ用がある人はもちろん、ない人までが、

 ――きれいな絵だから。

 とか、あるいは、

 ――ふるさとへ帰るので、世話になった人へのおみやげに。

 などと言って買い求めた。

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 刊行は弘化3年(1846)だから、ペリー来航の直前あたり。まあ幕末としていいだろう。近江屋はこの予想外のベストセラーに気をよくして、さらなる客のもとめに応じることにした。

 内桜田、外桜田、八丁堀、日本橋、巣鴨、雑司ヶ谷、浅草、大久保……地域ごとに製作した。みんな売れた。切絵図というのは幕末になって突然に、ほんとうに突然にあらわれた一大社会現象なのだ。

 これを横目で見て、

 ――そんなに売れるなら、うちもやろう。

 と思い立った後発組が、つまりあの「切ヅ板元 金リン堂」の金鱗堂というわけだ。

 刊行開始は近江屋の3年後。こちらは本業が地本(じほん)問屋だった。錦絵や戯作、草双紙などをあつかうので、地図専門ではないにしろ、荒物屋よりは近いだろう。こうして麹町には切絵図の二大版元が出そろった。

 マーケットを文字どおり二分した。そうなると、こんにちから見てふしぎなのは、

 ――ほかの業者が、なぜいないのか。

 このことである。

 これほど人気が出たのなら、3匹目、4匹目のどじょうをねらう野心家が出てもよさそうなのに。あるいは麹町とは別のところで新たに店をたちあげる者がいてもよさそうなのに。

 結局、誰もそうしなかった。切絵図という商品は、言問(こととい)団子が向島名物であるごとく、たけのこめしが目黒名物であるごとく、

 ――麹町名物。

 になったのである。なぜだろうか。

 地図というのは、もともと軍事機密だった。

 学者のなかには、

 ――文字より古い。

 と言う人もいるほどであるが、それも戦争に必要だったからだろう。日本の場合には鎌倉時代なら御家人たちが、戦国時代なら大名たちが、隣人または隣国との境界あらそいに資するため可能なかぎり精密なそれを必要としたことは容易に想像できる。これは広域図の話である。

 ましてや狭い範囲をあつかう、ひとつの街の地図となると、なおさら機密の度は高くなる。ことに徳川時代の城下町の場合には、それはそのまま要塞の構造図になるわけだ。そんなものがもしも現実さながらに描かれ、売られたりしたらたいへんだ。敵の手に落ちればたちまち最短最適の侵入経路を明示する危険な誘導灯になるのだから。常識的に考えれば、市街図など、積極的に取り締まるべきなのである。

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 ところが徳川時代とは、異様な平和の時代だった。

 幕府開創から250年以上、戦争のない時代がつづいた。イギリスも中国も攻めてこなかったし、国内の大名が革命戦を標榜したりもしなかった。江戸城は安泰だったのである。

 江戸の人々も、だからすっかり安心した。そこではじめて気づいたのは、

 ――地図というものは、ひょっとしたら軍事以外にも使えるんじゃないか。たとえば、そう、道がわからないとき役立つとか。

 このことだった。軍事機密から日常の道具へ。まさしく天文学におけるコペルニクスの地動説にも比せられるような、たいへんな意識革命がこのとき起きたことになる。

 あの切絵図のベストセラー現象は、根本的なところでは、これが最大の要因なのではないかと思う。当時の人々のおどろきはたぶん、こんにちの私たちがスマホではじめてマップアプリを起動したときのそれを遥かに上まわるものだったろう。地図ってすごい。きれいだし。幕府当局ももうそれを取り締まることはしなかった。まさしく江戸城は安泰だったのだ。

 そのさい切絵図の生まれたのが麹町であることは、そうして麹町以外に生まれなかったことは、私には偶然ではないように思われる。なぜなら麹町という地区もまた、地区そのものが「軍事から日常へ」の場だったからである。

 もちろん麹町は町家である。武家の街ではないし、したがって軍事都市ではない(外濠側には大名屋敷もあるが)。けれども甲州街道をはさんだ向かい側には、そう、あの麹町の武家版というべき番町があるのだ。

 番町はもともと、

 ――大番衆。

 という将軍直属の常備軍の屯所だった。

 それが住まいに変わったのである。目的は江戸城の西のまもり。

 甲府、八王子方面から来る敵をしっかり迎え撃つこと。まさしく純然たる軍事都市。純然たる兵営。番町の番は番人の番なのだ。しかもその重要性はきわめて高かった。そもそも江戸城というのは西側があぶない城なのである。北にはもともと強敵はいないし、東と南は低地であり、城とのあいだに高低差がある。敵はなかなか攻めこみづらい。

 ところが西側というのは台地がえんえんと西へつづき、高低差がない。敵から見れば攻めやすく、場合によっては疾風のはやさで半蔵門へ到達できる。半蔵門とは、江戸城のアキレス腱なのである。

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 そうして番町が兵営なら、麹町はそれをささえる酒保である。補給基地と言いかえてもいい。そういう意味ではやっぱり一種の軍事都市なので、それが250年以上の平和ですっかり「山の手の浅草」になったことが、この場合、人々の心に微妙に作用した。

 平和な軍事都市である麹町で、平和な軍事機密である地図を買う。その行為のおさまりのよさまでをも、人々はたのしみとしたのである。田舎へのおみやげとしたのである。

 もしも誰かが麹町以外のところで切絵図を売っても、買うほうは興ざめだったのではないか。ちょうど目黒以外の地でたけのこめしを食うような、そんな感じのしらじらしさ。

 たけのこめしはどこで食ってもたけのこめしだが、そういう身もふたもないことを言わないところに都市の風情はあるのだろう。

(連載第17回)
★第18回を読む。

門井慶喜(かどい・よしのぶ)
1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2003年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。08年『人形の部屋』、09年『パラドックス実践』で日本推理作家協会賞候補、15年『東京帝大叡古教授』、16年『家康、江戸を建てる』で直木賞候補になる。16年『マジカル・ヒストリー・ツアー』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、18年『銀河鉄道の父』で直木賞受賞。その他の著書に『定価のない本』『新選組の料理人』『屋根をかける人』『ゆけ、おりょう』『注文の多い美術館 美術探偵・神永美有』『こちら警視庁美術犯罪捜査班』『かまさん』『シュンスケ!』など。
新刊に、東京駅を建てた建築家・辰野金吾をモデルに、江戸から東京へと移り変わる首都の姿を描いた小説『東京、はじまる』。
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