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キャッシュレス化が世界で最高速のインド/野口悠紀雄

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※本連載は第18回です。最初から読む方はこちら。

インドではキャッシュレス化が急速に進んでいます。この背後には、国民背番号制や、銀行預金口座増設運動などがありました。

PaytmやUPIなど、世界的に評価されるサービスが生まれています。

◆世界最高速でキャッシュレスが進むインド

キャッシュレスの進展に関して注目すべき国として、インドがあります。

BIS(国際決済銀行)の統計(https://stats.bis.org/statx/srs/table/CT5)によると、2018年におけるキャッシュレス決済額の対前年比で、インドは54.5%を記録し、世界一となりました。

これに続くのが、中国(同48.1%)、サウジアラビア(同35.8%)、ロシア(同35.0%)、インドネシア(同22.9%)などとなっています。

インドでは、キャッシュレス決済が、日常の細々した買い物、乗り物、公共料金の支払いなどに広く使われるようになっています。

2016年では、キャッシュレス支払いを受け付ける店舗は150万店ほどしかなかったのに対して、現在では1000万店以上になっていると言われます(https://qz.com/india/1746910/cashless-payments-growing-faster-in-india-than-almost-anywhere-else/)。

わずかの期間に、インドは、中国に続くキャッシュレス大国になりつつあるのです。

世界中の投資家が注目し、投資が集まっています。

なぜこうしたことが起きたのでしょうか?

◆高額紙幣の廃止はなぜ行なわれたのか?

2016年11月に、インドのモディ首相が高額紙幣を突然廃止したことは、記憶に新しいところです。日本でも大きく報道されました。

廃止されたのは、500ルピー札と1000ルピー札。この2種類は、インドで流通する紙幣の9割近くを占めていたのですから、廃止宣言がいかに大きなショックを与えたかが想像されます。

この目的は、ブラックマネーの締め出し、脱税や不正蓄財、偽造の防止などだと報道されました。

一方では、インドを大混乱に陥れるだけの「奇策」だとも言われました。

そう言われたのも無理はありません。実際、この時点より前のインドは、世界で最も現金決済に依存した国だったのです。

それは、銀行システムがまったく普及していなかったからです。

2009年頃、インド国民の約半数は、戸籍を持っていませんでした。病院や役所のない村に生まれた人々は、出生証明書を受け取ることができなかったからです。

戸籍のない人々は、銀行口座を開設することができません。また、融資や保険などの金融サービスを受けることもできない状態でした。

政府にとって大きな問題だったのは、税の徴収がままならなかったことです。

その上、広大な国土で紙幣を運搬するために、多大のコストがかかります。

このような状態を変えるために、インド政府は、以下に述べるような政策を進めてきました。

◆国民背番号制度と銀行口座の拡大

第1は国民背番号制です。

2009年に、インド政府はアドハー(Aadhaar)と呼ばれる国民背番号制度を導入しました。氏名、生年月日、性別、住所のほか、顔写真、そして指紋や虹彩などの生体情報が、中央のデータベースに登録されます。2015年1月時点で約7億3400万人に対して発行がされています。2016年には、約11億人の国民に発行されているといわれます。

これを銀行口座などに紐づけることが行なわれました。

第2は、銀行口座の拡大です。

高額紙幣の廃止は、銀行口座の開設につながりました。紙幣を持っていると紙切れになってしまうので、預金しなければならないからです。

それを後押しするため、「国民皆銀行口座プロジェクト」が進められました。

2015年3月末までに7500万の口座を増やす目標を掲げたのですが、2014年11月に達成し、2015年1月末の時点で、新規口座開設数は1億2547万に達したとされます(https://www.ituaj.jp/wp-content/uploads/2015/06/2015_07-19-kaigai.pdf)。

ただし、銀行システムといっても、日本の場合のように全国の津々浦々に支店を開設し、人々がそこに出かけていって利用するという仕組み(ブランチバンキング)とは違います。

単に銀行口座を持てば良いだけで、その後の利用はモバイルの仕組みによって行うわけですから、国土が広大なインドでも問題はありません。

◆インドで開発された電子マネーの技術(1)Paytm

さらに、電子マネーが開発されました。

最も普及したのは、「Paytm」(Pay Through Mobile(モバイルを通じて支払う)の略)です。

2013年に「Paytm Wallet」が設立されました。創業者のシャルマは、中国を訪問したときに野菜の売り手が携帯電話で支払いを受けるのを見て、このアイディアを思いついたと言われます。

2016年の高額紙幣廃止によって、Paytmの利用者は急速に増加しました。高額紙幣廃止から3カ月で、104%増加したといわれます。

Paytmには、アリババやソフトバンクが出資しています。

現在ではインド最大のモバイル決済サービスプラットフォームとなっており、3億人以上のユーザーと800万のオフライン加盟店に決済システムを提供しています。

「インドのアリペイ」と呼ばれることもあります。

2018年 、日本でソフトバンクとヤフーの合弁会社によって「PayPay」のサービスが始まりましたが、PayPayはPaytmの技術を活用しています。

◆インドで開発された電子マネーの技術(2)UPI

インドの電子マネーについて注目されるのは、「UPI」(Unaited Payments Interface)と呼ばれるシステムです。これは、インド決済公社(National Payments Corporation of India)が開発した決済システムで、2016年4月にサービスが始まりました。

その特徴は、異なる銀行口座からの利用を可能にしている点です。

つまり、UPIの仕組みを使うと、複数の電子マネーを使うことができるのです。

現在インドには、45もの電子マネーが存在しますが、これらがばらばらにならず、連携して使うことができます。

◆外国のIT企業が参入

アメリカのIT企業が、UPIの仕組みを用いてインド市場に参入してきました。

Googleは、UPIの仕組みを用いたアプリを開発しました。最初は「Tez」という名称で2017年9月にインドでリリースしました。2018年から、「Google Pay」という名称になり、いまや全世界に普及しています。

Googleは中国からは撤退しているので、中国の巨大な人口を対象にして電子マネーを提供することができません。しかし、インドの人口も巨大です。そこで、UPIを利用することによって、インド市場に参入したのです。

この他にも、Facebookの通信アプリ「WhatsApp(ワッツアップ)」を使った決済サービス、サムスンの「Samsung Pay」、GMOインターネットグループが出資する「MobiKwik(モビクイック)」などが参入しています。

Google Payのサービスは、日本でも提供されています。

Google Payのアプリをダウンロードすると、楽天Edy、nanaco、WAON、Suica、QUICPayが使えるのです。

電子マネーは、その電子マネーの口座に入金した残高がないと使えません。

しかし、Google Playの仕組みを使えば、クレジットカードから複数の電子マネーに簡単に入金できるので便利です。

どのクレジットカードを使えるかは電子マネーによって違いますが、楽天Edy、Suicaなら、日本で発行されているほとんどのカードが使えます。共通のQRコードができたようなものです。

◆なぜインドでキャッシュレスが進展したか?

インドでキャッシュレスが急激に進展しているのは、上で述べたように、これまで銀行を通じた決済の仕組みがほとんどなかったからです。国民背番号制や銀行預金口座増設運動によって電子マネーを用いうる基盤が整備されたため、高額紙幣が廃止され、電子マネーが急増したのです。

これは、中国の場合と同じような「リープフロッグ現象」であると考えられます。

これ以外に、つぎの要因が考えられます。
 

第1は、インドのインターネットユーザー数が多いことです。2018年9月時点で5億6000万人であり、中国に次ぐ世界第2位です。

第2は、ITの技術者です。

インドのIT技術は世界的にみても高く、インド科学大学(IISc)バンガロール校などが世界的に高い評価を獲得しています。

それらの大学で学んだあと、アメリカに留学してさらに高い技術を身につけた人々が多数います。この点は、中国に似ています。

さらに、IT革命による世界的なアウトソーシングの進展に伴って、海外からの需要が流入したため、多くのIT技術者が生まれたのでしょう。この点では、アイルランドに似ています。

インドの経済発展は、これからのことです。OECDのレポートによれば、人口成長率が高いために、インドはこの後も高い経済成長率を続けます。

インドのGDPは、2020年ではアメリカの15.6%でしかありませんが、2040年には44.5%となり、さらに2060年には86.1%となります。

この結果、2040年には、GDPの順は、中国、アメリカ、インド、日本となります。

2060年においては、順位は変わりませんが、中国とアメリカの差が開き、インドとアメリカの経済規模が拮抗するようになるのです。

こうしたインドの発展を、キャッシュレスが支えることになるでしょう。

日本では、ほぼ全家計が銀行口座を保有しています。また、住民登録のような制度も昔からあるし、マイナンバー制度も導入されました。

それにもかかわらず、キャッシュレス化が進展しません。さまざまな決済システムが乱立しており、QRコードも統一されていません。

日本がインドから何を学べるかを、真剣に探る必要があります。

(連載第18回)
★第19回を読む。

■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。
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