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【連載】EXILEになれなくて #12|小林直己

第二幕 EXILEという夢の作り方

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七場 「渋谷に行け」

 高校2年のある朝から学校へ行けなくなった。どんな朝だったのか、詳しくは覚えていない。しかし、「今日は行かなくていいかな」と何の気なしに思ったことが、始まりだった。

 少し前から振り返っていくことにしよう。僕はアコースティックギターの音色が好きだった。姉がどこからかアコースティックギターを手に入れ、家で、エリック・クラプトンの「Tears In Heaven」を弾き始めた。そのうち、どうしても触りたくなって、姉の目を盗んで触っていると、それに気がついた姉は、手ほどきをしてくれるようになった。

 小6から始めたアコースティックギターには、いつしか趣味の域を超え、のめり込んでいった。中学に入る頃には、路上アーティスト、つまり、ストリートで弾き語りをするアーティストがブームとなっていた。そんな流れもあってか、僕はアコギの弾き語りで曲をカバーしては、一人悶々と部屋で歌っていた。壁の薄い家だったから、階下のリビングにも、隣の家にも聞こえていたのではないだろうか。しかし、この衝動は誰かに止められるものではなかった。楽譜を探し、無いものは耳コピをし、何曲も何曲も弾き、歌った。次第に友達を誘って外で歌うようにもなった。地元の駅では、知り合いのおばさんがネギを入れた買物袋を腕に抱えながら立ち止まり、「あら、直己くんじゃない」と声を掛け、そして立ち去った。その時は、敬愛するアーティストのせつなく甘いバラードを歌っていた。

 中3になり、部活の顧問と折り合いが悪くなり、1週間ほど学校をサボった。初めての経験だった。悪いことをしているという罪の意識に苛まれ、押入れにこもって、布団を頭からかぶっていた。それでも、なんとか学校に戻り、無事に中学を卒業した。

 高校は普通科に入学したが、音楽への興味は膨らむ一方だった。バンドを組み、ギターを弾きながら歌った。決して、巧いとは言えない4人組だったが、音楽を誰かとここまで追求するということは、喜びでしかなかった。部屋には機材が増え、お金を貯めて4トラックのMTRを買い、何度もダビングしては、山下達郎さんのア・カペラアルバムをカバーした。今思うと、なんと無謀な挑戦だっただろう。でも、憧れのアーティストの作品を、自分なりに分析し、それを自らの手で再現するという喜びは、他では代えがたい経験として今でも胸に残っている。

 高校2年になると、音楽をもっと学びたいという気持ちが高まり、普通科の高校よりも音楽系の専門学校へと心が惹かれていた。いくつか学校を調べては、自分に合うところはどこなのかと夢想する毎日だった。通っていた高校では、学年が上がり、友人ともクラスが分かれた。そして、ある春の日に、ふと思ったのだ。「今日は行かなくていいかな」。

 そこから、高校へはパタリと行かなくなった。そして、音楽の道へ……と言いたいところだが、そう簡単でもなかった。何をするわけでもなく、早朝の新聞配達以外は自分の部屋で、ただ好きな音楽のCDを聴き続けた。

 ある日、兄から突然こんなことを言われた。「渋谷に行け」。なんと唐突で、理不尽な言葉だろうか。しかし、年上の兄姉がいる人ならわかると思うが、年長の言うことは、絶対なのである。意味もわからず、次の日から渋谷へ通うことにした。のちに、真意を聞くと、「家にいたって、夢に近づくわけでも無い。今の自分にはない、新たな発見をするわけでもない。元気が有り余っている若い世代なのだから、一番刺激があるところで揉まれてこい。一番刺激があるのは……そう、渋谷だ。だから、渋谷に行け」ということだった。

 兄の思考の中でこれだけの長い前置きが端折られていたことは置いておいて、今では兄に感謝している。確かに、あのまま家にいたって何も起こらなかっただろう。あてもなく歩きまわり、目に入るもの、耳に聴こえるものすべて、興味あるものをながめていた。しかし、数度しか訪れたことのない渋谷で、僕は人酔いを起こした。人混みが怖かった。そして、なけなしのバイト代で渋谷まで通っていたので、当然お金はなく、昼はおにぎり1個を、デパートのトイレの個室に入って食べた。人が溢れた都会の、唯一のプライベートスペースだった。

 そんな渋谷通いの日々にもようやく慣れ、次第に様々な専門学校を見学するようになる。いくつか体験入学でレッスンも受けた後、目星をつけてから、親と話す日を設けた。「高校を辞めて音楽の専門学校に行きたいと思っているから、援助をしてほしい」「高校を辞めて、何になるの?」母が率直な質問をしてくる。「音楽を勉強して、自分の言葉と歌で曲を作り、歌うアーティストになりたい」「その夢は良いと思う。でも、多くの人に支持される曲を作りたいんでしょ?」「そうだね」「だとしたら、多くの人が体験する高校生活を送っておいた方が、良いんじゃないかな?」。

 衝撃だった。母の言ったことは的を得ていて、その瞬間、現在通っている高校を中退し、専門学校に編入しようと、自分の中で99パーセントまで固まっていた気持ちが、全てひっくり返った。「確かに、……そうだと思うよ」。そして、続けざまに父が言う。「自分のやりたいことをやるのは良い。それを止めたりしない。でも、親は先に死ぬんだ。自分で食っていかなきゃいけない。お前は、何で食っていくんだ」。至極真っ当な、当たり前のことをつきつけられた僕は、決断した。「高校に戻る」。

 なんとか、修学旅行のタイミングまでに高校に戻ると、友達が誰もいない修学旅行を楽しんだ。レールを一度、はみ出たことで、こんなにも世界は広いんだと知った。

 それからは、全てをやることにした。バンドも、バイトも、学校行事も、恋も。そして、勉強も。高校3年になり、選択授業で倫理を取った僕は、またも打ちのめされることになる。哲学者の言葉から抜粋して、担当教員が黒板に書いたこの言葉。「『愛』とは、なんなのか」。僕は、ワクワクした。これが、僕の人生にとっても大きなテーマとなると感じた。その後、大学では哲学科に入るが、3年次には、中退を選ぶことになる。なぜなら、自分にとって、『愛』を哲学することは、学ぶものではないと感じたからだ。人生を通じてこのテーマを感じていこう、と決め、大学を後にした。そして、その時に、自分が一番熱中していたもの=ダンスの世界に飛び込むことになる。自分は、興味の無いものは頑張れないことをよく知っていたし、逆に興味のあることであれば、寝食を忘れてのめり込むことを、音楽に触れたことでよく知っていた。その瞬間、僕の心を掴んでいたのは、ダンスだった。

 その数年後、僕はEXILEのメンバーになった。あの時、兄に言われた「渋谷に行け」という言葉からすべてが始まっているかと思うと、感慨深いものがある。

(# 13 につづく)

■小林直己
千葉県出身。幼少の頃より音楽に触れ、17歳からダンスをはじめる。
現在では、EXILE、三代目 J SOUL BROTHERSの2つのグループを兼任しながら、表現の幅を広げ、Netflixオリジナル映画『アースクエイクバード』に出演するなど、役者としても活動している。

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