この東京のかたち

銀座は大阪に負けた 門井慶喜「この東京のかたち」#5

★前回の話はこちら。
※本連載は第5回です。最初から読む方はこちら。

 銀座はつらいよ、という話を前々回しました。今回はその「つらい」銀座に誰がした、という話をします。ややスキャンダラスに言いかえるなら、誰が銀座を殺したか。

 結論から言うと、その犯人は大阪でした。まずは前々回のおさらいから。銀座は維新後すぐ、明治5年(1872)にはもう「銀座煉瓦街」という美しい名のベッドタウンになった。ベッドタウンということは他の使いみちがないということで、なるほど商店街なら北に日本橋があるし、繁華街なら南に新橋がある。ふたりの巨人にはさまれて何にもなれない小さな凡人、ただ広いだけの無個性地帯。

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 その上そのベッドタウンでさえ、建てたところで入居者は少ない。あんまり空家だらけだったので、一部の区域には犬や猿の見世物小屋すら出るありさま。銀座はつまり「死んだ」のです……とまあ、このへんから今回のテーマに入るわけですが、銀座はじつは、そのベッドタウン化のほんの数年前まで無個性どころか江戸唯一の個性の街でした。そこには、そう、徳川幕府の銀貨鋳造所があったからです。

 この鋳造所の名がすなわち「銀座」、こんにちの地名の由来であることは皆さんご存じのとおりですが、考えてみたら、この個性はべつだん奪われる必要はなかった。

 維新後ひきつづき近代的な鋳造所がつくられてもよかった。何しろ貨幣の鋳造というのは金属をとかし、打ち延ばし、偽造防止の印刻をほどこす総合理工学プラントでありつつしかも国家の金融政策を左右する事実上の政策機関にほかならず、本来は、そうそう引っ越しできないはずだからです。

 実際、おそらく当時も、

 ――銀座跡へ、設けよう。

 という案もあったのでしょうが、結局のところ新政府は、明治2年(1869)というびっくりするほど早い段階でそれを大阪に設けることを決めました。

 用地は幕府の材木置場跡。これがつまり造幣寮(現在の造幣局)です。そこでの「桜の通り抜け」がこんにち大阪の春の風物詩であることは、少なくとも大阪人には有名です。銀座はやることがなくなった。銀座は銀座を奪われたのです。

 なぜでしょう。それはたぶん、日本の首都と関係がありました。日本の首都は、

 ――浪華に置くべし。

 というのは、じつは維新直後というか直前というか、あの幕府相手の「鳥羽伏見の戦い」に勝った時点でもう新政府内の有力な案でした。

 ことに大久保利通が強硬に主張した。理由の詳細ははぶきますが、大久保は大阪がよかったというより、京都だけは嫌だったのでしょう。何しろ天子のまします御所のまわりには、無駄と迷信にみちみちた公卿どもが幅をきかせていて、そのとりなしに苦労することが、つまりは大久保にとっての幕末の世だったからでした。近代には、彼らは邪魔でしかありませんでした。

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 ところがその後、江戸が無血開城ときまると、この無傷でのこるであろう大都市へ、

 ――首都を、置くべし。

 これが新政府内の主流になった。大久保もしだいに考えを変えたようです。結局こちらが実現のはこびになったので、江戸は東京と改名し、天皇は江戸城(皇居)に住むこととなりました。遷都が完成したわけです。

 この間、わずか半年あまり。

 革命の機関車というものがいったん走りはじめるとどれほど猛スピードで疾走し得るか、その好例ともいえるでしょう。ところで造幣寮の計画はやっぱり、

 ――首都に、建てる。

 この方針が確定していた。まあ当たり前のことですが、問題はその時期です。右の経緯の「大阪時代」、すなわち首都の最有力がまだ大阪だったころに確定しました。

 だから大阪に建ったわけです。計画どおりにやっただけ。こんにちから見ると少々拙速の感もありますが、しかし何しろ、貨幣づくりの可否というのは、近代史では国家存立の第一条件。欧米諸国に対して

 ――俺たちは、ただの田舎侍じゃない。ちゃんと日本を統治できる。

 ということを示すためには、論より証拠、大阪だろうが東京だろうが即座にやらなければならなかったのです。造幣寮の創業式は明治4年(1871)2月。当時の技術を考えると、かなりの韋駄天ぶりでした。

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 余談ですが、硬貨鋳造は、もちろん外国人の助言のもとにおこなわれました。まずはデザインを決めるというとき、イギリス人工場長T・W・キンドルが、

「世界では、硬貨には国王の肖像をきざむのが一般的である。君民相親しむ一助になる。日本もそうしたらどうか」

 と勧めたところ、日本政府の返答は、

 ――不許可。

 その理由は、

「天皇の尊顔へ、民衆のきたない手でふれるのは恐れ多し」

 このあたり、洋の東西における君主イメージの差があらわれています。とにかく銀座が銀座を奪われたのは、銀座のせいではありませんでした。ただ時勢によるとしか言いようがない。街の歴史というのはサイコロのようなもので、いい目が出ない時期がどうしてもあります。私たちの人生がそうであるように。

(連載第5回)
★第6回を読む。

 門井慶喜(かどい・よしのぶ)
1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2003年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。08年『人形の部屋』、09年『パラドックス実践』で日本推理作家協会賞候補、15年『東京帝大叡古教授』、16年『家康、江戸を建てる』で直木賞候補になる。16年『マジカル・ヒストリー・ツアー』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、18年『銀河鉄道の父』で直木賞受賞。その他の著書に『定価のない本』『新選組の料理人』『屋根をかける人』『ゆけ、おりょう』『注文の多い美術館 美術探偵・神永美有』『こちら警視庁美術犯罪捜査班』『かまさん』『シュンスケ!』など。
2020年2月、東京駅を建てた建築家・辰野金吾をモデルに、江戸から東京へと移り変わる首都の姿を描いた小説『東京、はじまる(仮)』を刊行予定。



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