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出口治明の歴史解説! 偉大な詩人・毛沢東の失敗とは?

歴史を知れば、今がわかる――。立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんが、月替わりテーマに沿って、歴史に関するさまざまな質問に明快に答えます。2019年12月のテーマは、「失敗」です。

★前回の記事はこちら。
※本連載は第5回です。最初から読む方はこちら。

【質問1】日本の外交で大失敗といえば、徳川幕府の不平等条約。とくに領事裁判権はひどいと思います。幕府はみんな馬鹿だったのでしょうか。

 日米修好通商条約(1858)を皮切りに、蘭、露、英、仏と結んだ安政五カ国条約のことですね。たしかに領事裁判権など、あとで不平等だと問題になる項目がありました。

 領事裁判権というのは、外国人が日本国内で罪を犯したとき、日本の法律で裁判にかけるのではなく、母国の領事が裁くというものです。日本に罪人を引き渡すこともなければ、日本人を傷つけても自国民を贔屓して罪を軽くすることにもつながりやすい。徳川幕府は、日本人の生命や財産をちっとも守ろうとしていないようにも見えます。

 つまり、「日本人の生命や財産」という発想自体がなかったのです。でも、当時の状況からすれば、極論すると幕府にも(もちろん日本中どこにも)日本人という発想の前提となるネーションステート(国民国家)が確立していない頃でしたから、当然といえば当然なのです。

 歴史上の出来事を振り返るとき、その時点でネーションステートが成立していたかどうかは重要なポイントです。そのBefore/Afterで、人々の考え方はまるで異なるからです。

 江戸時代の日本は、約300の大名領(藩)が集まった封建国家でした。それぞれに藩士や領民はいても、「日本」という意識はありません。自分の藩を一歩出ればそこは外国なので、現代のパスポートのような「往来手形」を持ち歩くことが必要だったのです。

 幕府にいわせれば、どこかの藩で誰が罪を犯しても知ったことではありません。たとえば薩摩藩で犯罪が起こったら、薩摩藩が勝手に裁いていたのです。そうであれば、外国人の犯罪は各国の領事に任せればいい、と判断するのが普通でしょう。

 幕府の役人たちが馬鹿に見えるとしたら、それはネーションステートができる前の世界だからです。この前提を踏まえないで、江戸時代の出来事を解釈するほうが、愚かというものです。

 幕末から明治が舞台のドラマでは、薩摩や長州、土佐などの志士が活躍し、倒される徳川幕府の人たちはともすれば悪役もしくは烏合の衆のように描かれがちです。しかし、そんなはずはなく、幕府には優秀な人がたくさんいました。そのなかでもぶっちぎりなのが、ペリーと日米和親条約を結んだときの老中首座だった阿部伊勢守正弘(1819~1857)です。

 彼は備後福山藩の第7代藩主で、25歳で老中になり、2年後に老中首座に就きました。27歳で現在の首相に当たるポストに就くのですから驚くべきスピード出世です。

 ペリーの艦隊が浦賀沖に現れたとき、阿部正弘はすぐに開国を決断しました。200年つづいた鎖国を廃止し、外国と交易して産業を興し、その儲けたカネで軍事力を強くする。黒船来航で日本中が慌てふためくなかで、この“開国→富国→強兵”というグランドデザインをしっかりと描き切り、それを着実に推進していきます。それが安政の改革です。彼は開明的な発想ができたうえに、実行力もあり、スピード感もある。相当に腹の座った人物だったろうと想像できます。

 ペリー艦隊が現れると、彼は国家の一大事と判断して、朝廷や雄藩の外様大名にも意見を求めました。さらに市井の人々からも意見を聞こうとしています。明治の「五箇条の御誓文」は、第一条に〈万機公論に決すべし〉とあって、政治を行うにあたってはさまざまな意見を聞くことが大切としていますが、阿部正弘の手法はまさにこれでした。

 勝海舟、大久保忠寛、高島秋帆といった開明的な人材を能力主義で登用したのも画期的です。その一方で、陸軍の前身となる講武所、海軍の前身となる長崎海軍伝習所、東京大学につながる蕃書調所などを矢継ぎ早に創設していきます。福山藩では義務教育の先駆けとなるような教育改革まで行っています。改革を実現するための人材登用、人材育成までしっかり押さえていました。

 しかし阿部正弘は、改革の最中に39歳でこの世を去ります。彼がもし長生きしていたら、幕末から明治にかけての歴史は少しは違ったものになっていたかもしれません。

 尊皇攘夷を掲げた薩摩と長州は、薩英戦争と下関戦争でボコボコにされて列強との差を実感し、結局は阿部正弘の“開国→富国→強兵”というグランドデザインを踏襲していくことになります。まさに阿部正弘こそが明治維新の最大の立役者です。

 安政五カ国条約に話を戻せば、Afterの世界になって、その不平等を解消するために、日本の近代化が急ピッチに進んだともいえます。岩倉具視(1825~1883)がリーダーの使節団が欧米をめぐり、大日本帝国憲法を発布して法整備を進めたのも、不平等条約の解消という大きな目標があったからに他なりません。


【質問2】毛沢東が主導した大躍進政策と文化大革命は、中国共産党も歴史的な失敗だと認めていますが、何が原因だったのでしょうか。

 大躍進政策(1958~1961)と文化大革命(1966~1976)について、失敗の理由はいくつも考えられます。しかし根本的な原因は、毛沢東(1893~1976)の夢想から出発した点でしょう。僕から見ると、毛沢東は政治家というよりも、偉大な詩人です。誰も思いつかない壮大なビジョンを描くことにかけては天才的です。

 大躍進政策がそうでした。

 ソ連は1957年に世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げ、最高指導者だったニキータ・フルシチョフ(1894~1971)は「農業生産と工業生産で15年以内にアメリカを追いこす」と宣言しました。これに刺激された毛沢東は「中国は15年以内にイギリスを追いこす」という目標を掲げます。この一言から、農業と工業の大増産をめざしたのが大躍進政策です。実力と懸け離れた政策は、大飢饉を招く結果となり、餓死者を中心に7000万人以上が命を落としたと推計する研究者もいます。

 大躍進政策が失敗だったことは本人も認め、毛沢東は国家主席を辞任して、一時的に権力を失いました。毛沢東に替わって実権を握った劉少奇国家主席(1898~1969)や鄧小平共産党総書記(1904~1997)は、大躍進で混乱した国内経済を建て直すために市場経済を部分的に導入します。復権を狙う毛沢東は、この政策は資本主義的で共産主義に反すると批判し、紅衛兵と呼ばれた学生や大衆を扇動して劉少奇たちを失脚させようと企てます。この運動が文化大革命です。大量の殺戮や内乱の結果、1978年に開かれた中国共産党の会議で「死者40万人、被害者1億人」という推計が報告されています。

 多くの犠牲者を出した2つの政策は、毛沢東の描いた途方もない夢想や権力への執着心が発端でした。このような毛沢東がトップでも何とか国家を運営できたのは、政治の実務能力に長けた周恩来(1898~1976)などの優れた部下がいたおかげです。

 毛沢東が詩人の才能を見せつけたしびれるようなエピソードがあります。毛沢東の長年にわたる腹心で後継者と見られていたNo.2の林彪(1907~1971)が、毛沢東暗殺に失敗してソ連へ亡命しようと中国を脱出したときのことです。

 林彪の逃亡を知った周恩来たちが、毛沢東に「追跡して撃ち落としましょうか」と相談したとき毛沢東は「雨は降る。娘は嫁に行く。行かせてやれ」と言ったそうです。この「天要下雨、娘要嫁人」は、中国のことわざらしいのですが、こういう緊迫した状況で、さらっと文学的な表現を口に出すような真似は並の人間にはできないでしょう。詩人の才が傑出した毛沢東の真骨頂といえます。

 しかし、現実を直視しない詩人タイプが国のトップに立つと、部下や国民は苦労します。日本でいえば、西郷隆盛(1828~1877)が詩人の魂を持った人です。明治維新がうまくいった理由の1つは、「詩人の毛沢東が早く退出して、鄧小平のような実務家が実権を握ったことだ」という趣旨のことを半藤一利さんがいわれています。西郷隆盛と大久保利通(1830~1878)のことです。まったくその通りで、名言だと思います。

(連載第5回)
★第6回を読む。

■出口治明(でぐち・はるあき)
1948年三重県生まれ。ライフネット生命保険株式会社 創業者。ビジネスから歴史まで著作も多数。歴史の語り部として注目を集めている。
※この連載は、毎週木曜日に配信予定です。

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