森功

“総理の振付師”今井尚哉#1 森功「新・現代官僚論」

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 安倍政権における今井尚哉といえば、今さら多くの説明を要すまい。首相の政務秘書官という影の存在が2019年9月の内閣官房人事で補佐官に就任した。内閣法第22条によって定められている首相補佐官の定員は5人で、官房副長官と同じく、国会議員と官僚出身がいて、それぞれに担当が与えられる。たとえば今井と同様、この9月から首相補佐官に就任した2人の代議士のうち、秋葉賢也は「ふるさとづくりの推進及び少子高齢化対策」、木原稔は「国家安全保障」を担当することになる。

 その5人の首相補佐官の中で、今井は政策企画の総括担当というポジションを与えられている。企画担当といってもわかりづらいが、要するに政策全般の企画立案、推進を担う。2012年12月に発足した第二次安倍政権ではこの7年近く、長谷川榮一が企画担当補佐官の任を担ってきた。今井にとって経産省の先輩官僚にあたる長谷川を押しのけ、その重要ポストに就いたことになる。

 これまでも「総理の振付師」と呼ばれ、あらゆる重要政策に首を突っ込んできた今井だが、いわばそれは秘書官という影の存在であり、組織上の権限があるわけではなかった。それが今度の人事で正式に政策を扱う権限を与えられたことになる。で、霞が関の各省庁の幹部たちに、「今井秘書官の行動範囲がますます広がる」と恐れられているが、それは大手新聞やテレビの記者たちも同じ。ある高級官僚はこう話す。

「今井さんに対しては、これまでも政治部の番記者たちはありがたがって情報をもらい、言われるがままでした。さらにその傾向が強くなると危惧しているのは、記者や役人だけではありません。自民党内の議員も今井さんに煮え湯を飲まされてきたという思いがある。なかでも岸田さんなんかは、今井さんに対して相当に忸怩たる思いがあるはずですよ」

 繰り返すまでもなく、ポスト安倍をうかがう岸田文雄のことだ。巷間、この先首相本人が後継指名するのではないか、とも囁かれる岸田は、いま一つ頼りなく見られている。だが、実は霞が関の評価はけっこう高い。わけても岸田の功績として今も政府内で語られるのが、外務大臣時代の日韓慰安婦合意である。

 第二次安倍政権発足からまる3年経た2015年12月28日、岸田は韓国の尹炳世外交部長官と外相会談に臨み、合意にこぎ着けた。いわゆる慰安婦合意だ。そこでは双方の外相が「(慰安婦問題が)最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と表明。そのうえで、日本政府が韓国政府の設立する財団に10億円を拠出し、慰安婦たちの支援に充てるとした。

 今後、日韓両政府は国際社会で慰安婦問題を持ち出さないという内容まで含んだ画期的な合意だといえる。朴槿恵政権時代とはいえ、昨今の徴用工問題とは雲泥の差であり、これを進めたのが岸田なのだ。が、この日韓合意でも岸田の印象は薄い。なぜか。そこでも官邸の思惑が働いている。

 実は日韓交渉の当初、首相の安倍は慰安婦合意にこぎ着けられるとは考えていなかったという。動きそうにないその背中を押したのが岸田にほかならない。

 日韓合意の4日前にあたる15年12月24日クリスマスイブのことだ。夕方6時過ぎ、日韓交渉に消極的だった安倍を説得するため、外相の岸田が国家安全保障局長の谷内正太郎と外務事務次官の齋木昭隆を伴い、首相の執務室で本人と向き合った(肩書はいずれも当時のもの)。

「総理、事務方が頑張ってくれたおかげで、そろそろ煮詰まってきました。外交部の尹長官との会談をセットしようと思います」

 そう口火を切った岸田に対し、安倍はいつもの早口で言を左右にするばかりだった。

「岸田さん、そうはいってもねぇ。いつも約束を破る国だからね。私は納得していないし、外相会談を開いて駄目でした、では、あまりに政権へのダメージが大きいですよ」

 岸田は引き下がらなかった。こう畳み込んだ。

「総理、もうすぐ2015年も終わります。つまり日韓正常化50周年の年が……。この50年という節目を逃して合意をまとめず、来年に交渉を持ち越すと、どうなるでしょうか。日韓交渉は永久に漂流しますよ。それでいいのですか」

 声は大きくはないが、岸田の決意は固かった。

「えっ、漂流? そこまでおっしゃる」

 安倍はなにより「漂流」という言葉が引っかかった。交渉の舞台についていながら、成果がないとマスコミから攻められる。その不安が頭をよぎり、迷った。

「うーん、なら、おっしゃるように岸田さん、韓国に行ってください」

 そう答えた。そして、こう付け加えることを忘れなかった。

「ただし、その代わり、プレスにどう発表するか、そこは私たちに任せてくださいね」

 むろん岸田に異存はない。執務室をあとにした。

 この「私たち」の意味するところ、それは官邸であり、秘書官である今井を含んでいたのだろう。すぐに今井が動いた。岸田たちが官邸から外務省に戻ると、そこには外務省担当の霞クラブの記者たちが待ち構えていた。

「大臣、総理から訪韓を命じられたのですね。いつ韓国に行くのですか」(敬称略、以下次号)

(連載第4回)
★第5回を読む。

■森功(もり・いさお)  
1961年福岡県生まれ。岡山大学文学部卒。出版社勤務を経て、2003年フリーランスのノンフィクション作家に転身。08年に「ヤメ検――司法に巣喰う生態系の研究」で、09年に「同和と銀行――三菱東京UFJの闇」で、2年連続「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞。18年『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞を受賞。他の著書に『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』、『なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか 見捨てられた原発直下「双葉病院」恐怖の7日間』、『平成経済事件の怪物たち』、『腐った翼 JAL65年の浮沈』、『総理の影 菅義偉の正体』、『日本の暗黒事件』、『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』、『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』、『官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪』など多数。
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